続・貴方の欠片【宮高】





軽い音を立てて色とりどりのこんぺいとうは瓶の中を転がった。その凹凸がお互いに引っかかり、ぎこちなく透明なガラスの表面をころころと。陽の光を浴びれば、淡い色合いがさらに淡く柔らかいものになる。
たかが砂糖のかけら。
それでも、オレにはこれしかない。
あなたが唯一、オレに残してくれたものだから。あなたの最後の甘えだから。

甘い甘い、あなたの甘え。


清志さんが死んだ。

とある諸侯の護衛についていたあの日、その知らせは届いた。
なんの知らせかは聞く前から想像がついていた。もっと焦って戸惑ってしまうかと思っていたけど、そんなことはなかった。むしろ、落ち着き過ぎていたくらいだった。
清志さんの危篤の知らせ。
急いで、同僚に仕事を変わってもらって上司に休暇をもらった。いつも真面目に働いているから、こんな時だってすぐに休める。清志さんが言っていた言葉が本当になってしまった。いつか、いつかこんな日が来ることは覚悟していた。もうずっと前からわかっていたはずだったのに、やっぱり納得はいかない。
清志さんがいない世界がやってくる。
それはどんな世界だろう。
知りたくもない。


清志さんがこんぺいとうを吐いた。
次の日の朝、全部忘れたかのように寝巻き姿であくびをしていた清志さんを無理矢理に王都まで引っ張った。はあ?! 意味わかんねえよ!! なんてオレの後ろで喚いていたけど、意味が分からないのはどう考えたって清志さんの方だ。なに、当たり前のようにオレのこと見送りに来てんだよ! しかも、だらしない!
清志さんが泣いているところなんて初めて見たんだ。どんなに痛くたって辛くたって泣かない人だった。どんな怪我を負ったって涙すら流さない、いや流せない人がぼろぼろと泣いた。それほどの痛みだったんだろう。
 
 死んじゃうんじゃないかって本気で思った。
 
村の医者も腕は悪くない。むしろ、こんな辺鄙な村にいるのはもったいないくらいの腕なんだけど、普通の病ではないことは明白だったから、医療も進歩しているし国中の文献、資料がある王都へ。ひとり、奇病にえらく関心があって、古い文献も相当漁っている医者の知り合いがいた。その人のところへ連れていった。
その日のうちに診断してもらえて、清志さんは理解しているのかいないのかよく分からないけど、医者の話には相槌を打っていた。あの表情は興味ない時の顔だったから、多分、分かってなんかいない。分かるつもりもないんだろう。どうして、そう危機感がないんだろうか。あんまりにも現実離れしているからだろうか。一晩、オレの部屋に泊まってもらって、すぐに帰した。別に安静にしていなくてもいいようだけど、できるだけ安静にしていて、と頼んで見送った。王都と村の距離は相当あるし、オレも焦って随分馬を飛ばしてしまったせいで、日頃、馬に乗らない清志さんの腹筋は耐えられなかったらしい。筋肉痛辛い、と引き攣った笑みを浮かべていた。
夜、オレの広いとはいい難い一人部屋のやっぱり広くはないベッドに並んで寝た。もちろん、何もしていない。腹筋が痛い痛いと咳1つする度に漏らす清志さんは可愛くて、本当はやることやっちゃいたかったんだけど、オレだって明日は仕事があるし、まさか病人にそんな負担をかけるわけにはいかない。今は、とにかく静かに大人しくしていて欲しかった。清志さんは、成人男子二人を乗せた古臭いベッドをみしみしと鳴らしながら、湿っぽいことを話し出した。珍しいことだった。真面目に話を聞いてはいなかったけど、それなりに自分の死への意識みたいなものが生まれたんだろう。あんまり、生への執着ってものはない人だった。昔から、無気力で、でも努力家という矛盾を抱えた人だった。やる気なんてないのに負けず嫌いと強すぎる責任感から、なんでも義務として最善を尽くそうと無理をする。なんであんなに頑張れるのか全く分からない。何か、好きなことはないの? と聞けば、お前といること、と素面で答えるあたり、恥ずかしいという感情はないんじゃないだろうか。いつも、そうだ。大したこともないように歯の浮くような台詞を連発する。オレ以外に関心がない、と本人が言いきった。オレが死んだら、どうなるんだろうと思っていたが、まさか先に清志さんがオレを置いていくかもしれないなんて、思ったこともなかった。オレだって、死ぬというよりかは、ただ漠然と清志さんと俺が離れてしまった時にどうなるんだろうかっていう程度で。多分、オレのあとを追って死ぬと思っていた。あの人は、生きたいと思っていない。ただ、オレがこの世界にいるから、ここにいる。それだけなんだと思う。
「俺さ、死んだ恋人にさ、なんか残されるのって我儘だと思うんだよな」
「なんで?」
「だってさ、そいつは死んでもう、いないのに、未来のある相手に自分を忘れるなって、ただの嫌がらせじゃね? もはや、呪いの領域のような気がするんだよな」
「清志さんは、忘れてもいいんすか?」
「いいよ」
「ええー。オレが……忘れちゃっても、いいの?」
「いいよ」
「ひどくね!」
「いいよ、だって、そこに俺、もういねーから。死んでんだから、お前なんか見えないし、知らないし、何にも聞こえないし、俺がねえんだもん。知ったこっちゃねーんだよ」
「そっか。まあ、いいけどね。オレはがっつり、形見も手紙も残すから! 絶対に一生、清志さんに忘れられたりしないもん」
「いいよ。俺はお前を忘れたりなんてしない。忘れる前に、全部持って、死ぬから」
「あーもう!! どうして、そう! あなたは! オレのこと、大好きかな!!」
「大好きだよ。お前がいるから、生きてるんだと思う」
ぎしりぎしり、という音が止み、微かに寝息が聞こえてきて、背中合わせの恋人が相変わらずの台詞を言い逃げして眠ったことを知る。その言葉が、本当に言葉の意味だから、恐い。重い、とも言えるのかもしれないけれど、オレは小さい頃からこの重い愛を何にも考えずに受け止めてきたので、同僚の恋愛話なんて聞いているともう、意味が分からない。この重さがオレには必要だった。重力、みたいなものでないといけない圧力で、まさに重り。ないとぷかぷかとどこかへ流れて行きそうなのだ。結局、オレも清志さんに繋ぎとめてもらっているようだ。
お互いに重いから、愛のてんびんは今日も釣り合っているようです。

 「おやすみ、清志さん」


病名―なし(砂糖菓子を吐き出す奇病、と表現されることが多い)
症例―今までに5件が確認されているが、かなり古くから存在していることが分かっている。ただし、気候や立地、民族などの共通性は皆無。性別、年齢も共通性なし。件数が少ないため、確証はとれていない。
症状―咳とともに砂糖菓子を吐き出す。強い吐き気を催す場合がある。症状が出始めの時に特に多い。ある程度進行してくると、吐き気は収まる。軽い咳でも砂糖菓子を咲きだすようになる。砂糖菓子を吐く時には強い痛みを伴うが、これも進行と同時に弱くなってくる。
そこまで書いて、ペンを止めた。王宮の書物は基本、帯出禁止なので、司書に許可をもらってから紙に写さないと外に情報を持ち出すことはできなかった。この間、診てもらった医者に文献を紹介してもらって、できるだけのことをまとめてしただが、あまりにも情報は少なかった。
そして、不思議な情報がでてきた。
症状―吐き気、咳を伴い砂糖菓子を吐くという症状に並行して、惚れっぽくなる。
どういうことだ?
惚れっぽくなる?
もっと、不思議な情報。
対処法―薬はない。ただし、不確定な情報ではあるが、とある村には『雪解けの水』が薬として伝わっている。

雪解けの水?
この世界に雪は存在しない。書物のなかにしか出てこない。はるか昔には、振ったり積もったりしたらしいが、水が固まったりするなんて想像すらできなかった。しかも、固まった水が雲から降ってくるなんて。


あの日、オレは間に合わなかった。
うつらない、と医者に言われているのにオレのことを気にしてだろう、キスをめっきりしなくなった清志さん。
セックスだってしなくなって、ただ、オレのことを抱きしめて笑っていた。どこかぼーっとしていて、会う度に眠たそうだった。一緒に布団に入ればあっという間に寝てしまった。もし、時間が限られているのならば、本音を言えば、たかが一晩なのだから一緒に夜を明かしかった。でも、それは清志さんも同じはずで、頑張ってくれていたんだと思う。オレなんかよりも自分の体のことを清志さんは分かっていた。なんにも、教えてくれなかったけれど。症状は進行しているはずなのにそんなそ素振りは全く見せなかった。
あの日、知らせを聞いて村に帰ったオレは、マントも脱がないで清志さんの手を握った。まだ、生きているというけど、オレがなんて言っても目蓋はこれっぽちも動かないし、本当に心臓が動いているだけだった。体は暖かったし、胸に耳を当ててみれば規則正しく、聞き慣れた優しい音がした。悲しい、とはなぜか思わなくて、ただただ涙ばっかりが溢れてきた。こぼしちゃダメだ、と上を向く。でも、清志さんを一瞬一秒だって見ていたくて、視線を戻せば、ぼったぼたと水が落ちた。目から頬を伝って、鼻の脇を通って、首筋まで流れ込む。鼻水も出てきた。顔が、熱くて重い。全体的に熱を持っているのがわかった。清志さんの手を握っているもう片方の手で、涙を拭い、鼻水を拭う。眼も鼻も、痛かった。でも、こすってもこすっても出てくるんだから仕方ないじゃないか。ばか。きらい。好き。大好き。好き。好き。好き。言いたいことを全部言ってやろうと思って、口を開く。嗚咽まじりに出てきた言葉は、自分でも言葉として聞き取れないくらいひどかった。大きなしゃっくりみたいなのが呼吸を辛くさせたし、鼻はずーっと垂れてくるし、だんだん、言いたい言葉が何だったか、思い出せなくなって、好き、だけを何度も繰り返した。ああ、なんかこの間もこんなことあったな。清志さんは、すらすらと何かを言っていた。なんて言ってたっけ。そうだ、好きだって言ってくれてた。

「オレも……あと、追っちゃ、っいます、よ……?」

そう呟いたら、清志さんの目蓋が、ほんの少し震えた。睫毛が震えを伝え、そのひとみが開く。何度も何度も見つめた、あの琥珀色のひとみ。うるんだ琥珀は、オレを見つける。

 『き』
 『す』
 『し』
 『て』

ゆっくり、半分も開いていない口は、そう形を作る。
笑って、顔を近付ける。こんなにぐしゃぐしゃの顔でも、清志さんはオレのこと好きだよね。というか、どんなオレでも好きっしょ。オレだったら、全部、許してくれるでしょ。

久しぶりに触れた唇は、いつもと同じようで、違った。
それは空いた時間のせいじゃなくて。
生きている、か、いないかの壁。


 「オレ、間に合わなかったんだね。キス、できなかったんだね」


清志さんの胸に顔を近付ける。ずっと、そうしていると、窓の外はどんどん暗くなり、同じように清志さんの体は熱を失った。


かり、とわざとらしく音を立てて、こんぺいとうを食べる。
これは、清志さんが生を失った分、残ったもの。清志さんが、ひとつ、死に近づいた分が、ひとつ、こんぺいとうで補われていった。清志さんのいのちは、こんぺいとうに変換されていった。だから、清志さんは、全部消えてしまった訳ではないんだ。そういう考えは嫌いだ。死んだら、ひとは消えてなくなるものだって、清志さんは言ったから、もう、記憶というあやふやな何かの中にしかいないと思っているけど、それでも。ここに清志さんのいのちが残っている。それは、いけないことだ。ひとは消えなくてはいけない。
 
だから、消す。清志さんの欠片を、オレが食べて、なくなって、オレの中にだけたまっていく。

清志さんの残骸でしかないとしても。抜け殻、みたいなものだとしても。

何も残さないと宣言し、その通り実行した清志さんが唯一、オレに残してくれたものだから。残らないものなら、いいのかよ、って言ったって、聞いてくれるひとはいない。オレがこれを食べるって清志さんは信じていたのだろうか。もしかしたら、永久保存してたかもしれない。

清志さんはオレに、忘れることを望んでいる。

だったら、忘れよう。ただ、猶予が欲しい。この、こんぺいとうが消えるまでの間だけはあなたを思うことを許して欲しい。1日にひと粒。ずるはしないから、心配しないで。

 
最後のひと粒がなくなった時にあなたは、消える。


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