罪悪感のない上司と満更でもない部下【太刀+出】




外堀は埋まってると思う(三門市・Yさん)
お似合いだとは思うけど、面倒くさそうだから今のままがいいな(三門市・Kさん)


とある日のこと。提出用のプリントが終わっていなかった出水は米屋の一言により心に傷を負っていた。
「出水、お前、なんか字が汚くなってねえ?」
「習字二段なのに?!」
「いや……そんな驚かれても困るんだけど」
出水の前の椅子に後ろ向きに腰掛けていた米屋は、勢い余って迫ってきた出水に顔をしかめた。ふいと視線を逸らして、窓の外を見る。そろそろ空が赤くなり出した。なぁんか地雷でも踏んだ? とそうっと出水を窺う。
「あ……心覚えある……やべえ」
出水はそう呟きながら、ゆっくりと椅子に座り直した。
「太刀川さんだ……!!」
「え、太刀川さん?」
「あの人のレポート手伝ってるうちに字が似てきたんだ、絶対そうだ……」
さっき米屋が感じたことは間違っていなかった。出水にとっていい意味での地雷を踏んでしまったようである。米屋が被害を受ける、惚気を誘発する地雷である。
「あの人、まじで字がきったないの。タイ語かよ!! って感じな」
「あ、ウン、そう」
「まあ、レポートなんてパソコンだから関係ないんだけど、やっぱ手書きじゃなきゃいけないとこあんじゃん?」
知ったことではないが、うんうんと頷いて見せる。
「できるだけバレないように、似せてはみたんだよ……やっぱり、オレの字、それでもキレイなんだわ。んで、太刀川さんの字を練習したりしてさぁ」
惚気つつ自慢とは。逃れられない運命を感じつつ、ため息をつく。米屋が出水の『太刀川さんの話』に付き合わされるのは確定した未来なのだ。迅がいたら「オレのSEがそう言っている」とお墨付きがもらえただろう。

一方、太刀川は出水とは全く逆の状況だった。
「太刀川さん、文字が読めるんだけど、どうしたの?」
「どういう意味だ、国近」
「そのまんまだけど」
数枚の書類を手に太刀川を見つめる。純粋な疑問と驚きがそこにはあった。
「だって、ずっと、ねずみ花火の残骸みたいな文字しか書けなかったじゃない」
「……ペンよりも孤月だろ」
「おい、現役大学生! しっかりしようよ〜、まあいいことなんだけど」
国近の嘆きも虚しく、太刀川は目を逸らしただけだった。国近がため息をつくと、なんだっけ、と太刀川は国近の手元をのぞき込んだ。
「ちょっと出水の字の似てないか?」
「え? うーん、そうかなぁ」
「このハネとか出水くさい」
「あの、そういう惚気はNo Thankyouなんだけどなー」
のろけ? ときょとんと自分よりも背の低い女性にアホ面を向ける太刀川。国近は、書類を仕舞うためのファイルを机の上のケースから取り出した。
「大学生が高校生に課題手伝ってもらうのやめなよー、忍田さんに怒られるんじゃない?」
「チクるなよ? ほんとに殺されかねん」

出水の携帯電話が鳴った。机の上でバイブレーションに数mmずつ移動していく。米屋はちょうど、教室出ていこうとした出水に向かって言った。携帯電話投げて渡そうと、それを掴む。
「おい、出水、でんわ!」
「ん、出といて」
すぐ戻るから、とドアを閉めてしまった。仕方ない、と思い米屋は携帯電話を開いた。出水は誰からの電話か分かっていて、その上で米屋が出ても平気な相手だと思ったぼだろう。 非通知ってどういうことだよと思いながらも、そういうことだと信じて、通話ボタンを押す。
「……もしもし」
『出水……じゃないな』
「あ、太刀川さんすか」
『米屋か? 出水は?』
「プリント出しにどっか行きました。出とけって言われたんで、出てます」
『出水に言っといて、今日も7時に俺んちって』
米屋が了解、と言い切る前に通話は切れてしまった。出水の机に携帯電話を置いてから、米屋はなんと形容していいか分らない気持ちでそれを見つめた。
今日もってなんだよ。
どおりでひと狩りしよーぜって電話しても出ねえわけだよな。
毎日、上司の家に行って、出水何をしているのかと言えば本人も言う通り、太刀川の課題を手伝っているのだろう。それを疑おうとは思わないし、事実だとは知っている。出水が自分の書いたレポート高評価だったと、たまに写メを送ってくるのだ。
だとすれば、あのふたり課題を手伝い合っているだけなのに、どうして恋人同士かのような距離感を築いているのだろうか。むしろ、どうやって築いてるっていうんだ。
米屋考えることをやめた。考えてもこんなにもつまらないことはないし、ぶっちゃけると、それより先のことを知りたくなかった。

午後7時、太刀川の部屋に訪れた出水。玄関戸に鍵はかけられていない。チャイム押さずに、躊躇なくそれを押し開ける。
「太刀川さーん、飯買ってきたっす」
「おー、何にした?」
「チキンラーメン」
「まじか、卵ねえぞ」
玄関まで出てきた太刀川は出水からコンビニビニール袋を受け取った。袋を持って部屋に引っ込んだ。スニーカーを脱ぎ捨てて、太刀川のあとを早足で追う。
「昨日までありましたよね、たまご」
「全部、ゆでたまごにして食った」
「それ朝メシ?」
「他に食えるもんなかった」
キッチン付きのワンルーム、真ん中に置かれた脚の低いテーブルの上にはノートパソコンと散乱した紙類。ゴミ箱はどこだと言いたくなるような部屋各地に転々と置かれたゴミ類。流しには皿が重ねてある。しかし、それがこの部屋にある食器の全てだった。
「あ、出水! 俺、ちゃんと進級できそう!」
「まじすか!!」
当たり前のようにパソコンの前に座る出水。尻の下のクッションは出水が自宅から持ってきたものだ。ささっと、机の上の紙を手元でまとめて、全てに目を通す。いるものといらないものに仕分けて、太刀川に示す。
「ハイ、こっちが提出物。こっちは連絡事項。確認して」
「分かった」
パソコンを立ち上げつつ、台所立つ。冷蔵庫を開けてみるが、本当に何もなく、うーん、と出水はうなった。
「太刀川さん、コーヒー?」
「砂糖いらない」
「うーっす。あとでスーパー行かねえっすか?」
「やっぱ、チキンラーメンには卵ないとな」
出水が太刀川の部屋に出入りするのは、出水の試験前と太刀川の試験前、あとお互いに課題が終わらない時だった。と言っても、出水が課題が終わっていない時というのはあまりなかったが。太刀川のレポートを出水がやりつつ(太刀川が大学の友人からもらってきたノートコピーを元に作成)、その間に太刀川は出水の課題を解く。はじめは「太刀川さん、高校生の勉強なんて分かるんすか?」なんて言っていたが、いざ、教科書を渡せばすらすらと解いていた。一部の問題のみだが。解けようが解けまいが、太刀川はいつだって答えを写す。ない場合はそれ相応に考えてもいるようだったが、大抵、自分でやった方が早いので、出水は自分でやっていた。
「あー、あと、今回のヤマ張っといた」
「まじすか、あざっす!!」
「教科書に丸してあるから」
湯を沸かし、コーヒーフィルターをマグカップにセットして、パソコンの、出水の座っていた場所の向かいに座っている太刀川の隣に座り込む。
「あ、今日ね、米屋に字が汚くなったって言われたんすよ〜」
「あ、俺も」
「は? ミミズがミカヅキモにでもなったんすか? 」
「おい。読める字になったって国近が」
ふたりは顔を見合わせた。そして、お互いに指を差す。
「あんたのせい」
「お前のおかげ」
机に突っ伏して、どんどんと拳をそれに叩きつける。太刀川さんのひげもじゃ〜ひげ川隊長のばか〜と低い声で唸りなった。と思ったところで勢い良く、顔をあげて、太刀川の襟元につかみかかった。
「なんでオレだけが損するんすか!?」
「なんでそんなに怒るんだよ。俺とお前でプラマイゼロなんだからよくないか?」
「よくねえよ!! オレ、マイナスやだ!! なにその、結果オーライみたいな! あんたとオレはセットかなんかか!!」
「似たようなもんだろ」
掴んだ襟元を前後に大きく振る。ぐらぐらと動きに逆らわず首を揺らす太刀川は澄ました顔で言う。それがなおさら、出水の勢いを加速させた。
「出水、お湯湧いてるぞ」
「オレの方が頑張ってんのに、太刀川さんが得してんのずるいっすよ!! ちくしょー、ずりい」
お湯を注ぐ出水を見ながら太刀川は鼻で笑った。
「そういや、この間、授業サボり過ぎて、単位欲しけりゃこれやれって」
どこぞから引っ張り出してきたファイルを掲げて、出水に見せる。
「え、課題増えたんすか?! ハァ? もういっぺん、単位落っことしちゃったらどうすか? どうせ大学出たって、就職しないんだし」
「……太刀川さんな、近界民と出水のいない世界だと生きていけない」
捨て犬のような目をして出水を見る。
「あまりにもガチすぎるんでやめてください。鳥肌立った」
マグカップをテーブルの上に置く。出水はスリープ状態のパソコン画面見ながらマウスをくるくると回す。明るくなった画面にパスワードを打ち込む。もはや、太刀川パソコンには出水がユーザー登録されている。
「とりあえず、今やってるレポートは今日中に終わらせるんで、太刀川さんはその間に数Uのワークと物理の例題を写しといて」
「何割?」
「数学は8割、物理は6割で」
答えを写す際の正答率の話である。
「あ、ノートもらえました?」
「コピー、これ」
「スタンプの人のノート、まじで分かり易いんだよな〜」
今やっているレポートを出した教授の授業を真面目に受けているとある学生の話だ。ノートを可愛らしいスタンプを使ってまとめているので、出水からはスタンプの人と呼ばれている。他には青ペンの人と丸文字の人、エクセルの人といる。
出水がキーボードを叩く音と、太刀川がペンを走らせる音しかしなくなってどれくらい経っただろうか。切りが良かったのか、太刀川が腰をあげた。
「あとどのくらいだ?」
「あー、2時間?」
「また、泊まってく気かよ」
「もーしゃーないでしょ。何度も言うけど、あんたのせいな」
「こっちは終わったから」
「あー!! スーパー行ってない」
「とりあえず、卵は買ってくるよ。あとは?」
「カレールーいくつか買っといて、シチューでもいいけど。あとは、炒めるだけでできる系」
了解、と太刀川は部屋のどこかから拾い出した財布を尻のポケットに入れて、これまたどこかから引っ張り出したパーカーを羽織って玄関を出ていった。

「ただいまー」
「おかえりなさい、もうちょっと終わりそうっす」
「え、早くね」
太刀川は冷蔵庫に買ってきたものを詰めながら、ちらりと出水を見た。出水は大きく伸びをしながら、眉間を揉んでいる。
「俺は今、罪悪感に駆られている」
「なんすか、突然」
「若者に何をやらせてるんだろうかと」
「そう思うなら、チキンラーメン作って」
「安くて簡単な若者だな、出水は」
チキンラーメンの袋を開けながらしみじみと言う。出水顔には「今更何を」と書かれている。
「オレ、太刀川さんとこの大学受けようかな〜、絶対に受かるし、入ってからもぜってえ余裕なのわかってるし」
「お前がゴーストライターだってバレるぞ。ギリギリ、かぶるし」
「太刀川さんが留年した日にゃ、目も当てらんねえすね。やめよ、もっといいとこ行こ」
「そうしとけ」
どんぶりに乾いた麺のかたまりを入れ、やかんに水を入れて、火にかける。
「出水、また携帯忘れてきただろ」
「あー、家っすね。どうせ、太刀川さんとこ来るんだったらいらないし」
「いや、俺が中辛か辛口かで迷うからいるんだよ」
パソコンを閉じて、太刀川がスーパーで一緒に買ってきたポテトチップス手を伸ばす。
「俺のだ」
「ケチんないでくださいよ、隊長」
「こーいう時だけ隊長扱いするような上司を思いやれない子にはあげません」
出水は驚きと呆れ混じった表情して、憐れむように微笑んだ。
「胸に手を当てて、よく思い出してみてください。あんたの目の前の少年は何をしていますか?」
「俺の代わりにレポートをやってます」
「少しは悪びれろって! そういところが、太刀川さんが1回ヤったらバイバイされる原因だと思うよ、オレ!!」
「いや、それはよく分からん」
「なんでもいいから、年上なんだからポテチくらい後輩におごってやって!!」
「いやだ」
「何をそんなに」
「コンソメが最後ひと袋だったからだ」
「明日にはちゃんと補充されてますよ」
「コンソメでものりしおでも、ポテチならなんでもいいと思ってるようなやつに渡すコンソメはない」
ドヤ顔しつつも、ポテトチップスの袋を持って逃げる太刀川と、謎の意地によってポテトチップスを追いかける出水。床の至る所にものが置かれている、この狭い部屋で酷く無益な追いかけっこを始めたふたりが、階下の住人に怒鳴られるまで残り数分である。
ちなみに出水の部屋に置いていかれた携帯電話には、米屋からの「ひと狩りいこーぜ」電話が入っているのだが、そんなことは知る由もない。


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