きみと歩くこと。上【兎赤】




部活が休みなのはいつ?
毎年、聞かれるこの質問。
答えはこれまた、毎年同じ。
「お盆だけ」
そうして、毎年、お盆の間だけどこかへ連れていかれる。
今年はどうやら海のようだった。


木兎はぼんやりと砂浜を歩いていた。
腕時計を見ると、画面は『4:43』を表示していた。まだ昇り切ってはいない朝日に目を向けてから、少し遠くのテトラポット郡へと視線を移した。振り返れば、数分前まで眠っていた旅館の姿が見えた。
誰もいない。
気温も湿度もまだまだ低かった。心地いい海風は海の塩辛い匂いを孕んでまとわりついた。頭は半ば睡眠の中にあるようだ。重いようでふわふわとしており、とりとめのないことが現れては消えていく。
ふと、風に乗って歌声が聞こえた。
夏になるとよく聞く、とても有名な曲だった。その歌手よりもわずかばかり高い声で歌っていた。思わず、早足になった。真っ直ぐに進んだ先、テトラポットのある方から聞こえてきていた。
サンダルと足の間に細やかな砂が入るのもお構いなしに、ーーけれど痛いものは痛いーーずんずんと進んだ。声は木兎の歩く速度と同じだけ近くなっていく。
よく通る、のびやかな歌声。
砂浜が岩場に変わった。そして、テトラポットがたくさん積んであった。
木兎はその規則正しくおかしな形をしたコンクリートに登り、隙間を飛び越えた。
ここだ。ぴたりと足を止めた。数メートル、少なくとも木兎の倍くらいの高さまで積み上げられたテトラポットの下を覗く。
透明に近い水がめいいっぱいに光を反射して、水が白く見えた。真下には、人が膝を抱えて座っていた。
小学生くらいの男の子だろうか、木兎にはそう見えた。

「へいへーい、そこの少年」

声をかけた。何も考えてはいなかった。

「え……?」

少年は上を見上げた。歌声も止まった。

「なにしてんの?」
「え、っと……いえ、特には……」

見るからに気まずそうに目を逸らした。
ぴちゃん、と何かが跳ねる音がした。

「なあ、オレもそっち降りていい?」
「怪我しますよ、やめた方がいいと思います」
「行ってもいいのね。じゃ、降りる」
「こ、来ないでください」
「なんで」
「なんででも、ですよっ」

木兎を見上げて、声を張り上げた。
木兎は朝日を反射して、オレンジ色に見える瞳を見つめてからひとつ、頷いた。少年がほっとしたように前を向き直したので、コンクリートの塊を降り始めた。

「ひとの話聞いてましたか?!」
「聞いてたー」

はしごを降りる要領で、テトラポットと向き合って、伸ばした足の先で次に足をかけるところを探す。ヨイショ、とやっと地面に着いたと思ったら、水の中だった。冷たいものが足を包み、そこからぞわりと寒気が走る。

「あれ、いない?」

灰色のコンクリートとの睨み合いを終えたものの、少年は消えていた。
ばちゃん。
水が音を立てた。音の方を見ると、何かがきらきらと光っていた。魚の尾ヒレの先端のようなものも見えた。やはり、それもきらきらとしていた。

「あれ? あ、いた!!」
「……随分早い時間に散歩するんですね」
「ねえ、なんで隠れんの?」
「どうしてだと思います?」
「人魚だから」
「やっぱ、見えてましたか」

うん、ばっちり、と親指を立てて見せた木兎。少しずつ、テトラポットの影から体を出した少年は、よく見れば木兎と大して変わらないくらい、つまり、高校生くらいだった。水面に波紋が生まれ、透明な水の中の何かが輝いた。

「それ、ウロコ!?」
「え? ああ、半分は魚ですからね」
「……触ってもいい?」
「や、ちょ……それは」
「そっか! じゃあ、名前は?」

あかあしです、とそっぽを向きながら告げた。

「あかあし……? ピンとこない」
「いや、そんなこと言われても」

あごに手を当て、う〜ん、と考え込んだ木兎。少年は呆れているのか困っているのか、無表情に近いが、ほんの僅かに眉を寄せていた。木兎は数秒して顔をあげて笑顔を見せた。

「で、あかあしは何してたんだ?」
「なに、と言われても。歌ってたとしか……」
「歌、上手いな」
「そうですかね」
「ああ、うまいよ。絶対に」

岩の上のビーチサンダルが波に揺れる水面にとどまることなく形を変える。テトラポットの下も岩場が広がり、少し先は随分深いのか、黒っぽかった。木兎は膝下まで水に浸かってしまっていて、短パンで良かったと内心ほっとしていた。僅かにでも高い波が来れば、ズボンも濡れてしまうだろうと思うとひやひやもしたが、これだけ脚が濡れているのだから今更気にする必要もないと開き直ることにした。
照れているのか、俯いていた少年があの、と恐る恐るといった風に声をかけた。

「旅行ですか?」
「へ? なにその観光地のベンチで一緒になったおばあちゃんの質問みたいなの」
「その例えはよく分からないですけど、毎年、夏はどう見ても地元の人じゃない人が海をよく訪れますから」
「そう、旅行。家族旅行に付き合わされてんの」
「へえ、家族旅行。自動車ですか?」
「ああ、うん」

男子高校生の平均身長を上回る木兎は直立しており、それに対して少年は座っているので、そこには随分な高低差が生まれている。木兎は足元の少年へ視線を向けると自ずと見下ろす形になる。少年も、木兎を見るために首筋をぴんと伸ばして仰いでいた。

「あ、指……怪我しているんですか?」
「あーちょっとね、突き指しちゃって」

少年が腕を伸ばした。木兎の指にそっと触れた。腕から重力に負けた水滴がぽたぽたと水面に消えていく。それも陽光にきらきらと反射する。
ひんやりとした少年の指が、テーピングされた木兎の指の上を撫でた。布越しなので、くすぐったかった。

「何か運動でもしてるんですか?」
「ぐいぐい来るなぁ。バレーやってんの、バレーボール」
「すみません。陸のことは何も分からないので……。ばれーぼーる、ですか」
「ビーチバレーなら見たことあったりしない?」

ほら、こうやってさ。
腕をぴたりと合わせて手を前で組む。その腕を膝の曲げ伸ばしと共に上下させた。
ボールが上がるでしょ、んで、これをこうやってね、ばーんと。
両腕を一気に上に掲げて、右腕だけ、ぐっと頭の後ろに引く。左手のひらに右のそれを打ち付けるように勢い良く振り下ろす。浮いたかかとがばちゃんっ、と波と混ざって水を跳ねさせる。

「ネット挟んで、砂浜でやってたりしない?」
「見たことあります……!! 楽しいですか?」
「うん、楽しいよ。上手くできた時はね」
「かっこよかったですよ、さっきの」
「ははは、照れる。コートに立ってるときのがカッコイイよ、俺」

好きなんですね、とぽつりと少年は呟いた。その目は木兎の指先に向けられていた。

「明日も会おう」
「はい?」
「俺、1週間ここにいるから、毎朝会いに来る。明日はビーチボール持ってくるから」

きょとんとした表情を見せる少年。思わず、しゃがんで少年の手を握り締めてしまう。

「っうわ! 冷たっ!!」
「服、びしょびしょじゃないですか……」

ようやっと少年と同じ高さの目線で話すことができた。正面で見ると少年はとても普通の少年で、見れば見るほどにどこにでもいそうな顔をしていた。制服を着て、隣を歩いていても誰も違和感など抱きもしないのだろう。そんな自分とほとんど変わらない歳だろう少年から、あんな声が出ることが不思議でならなかった。女性のような高く澄んだ歌声。話している声は特別高くもない。どちらかいえば、低い方だろう。少し掠れた低音で、確かに耳障りのいい声であることには間違いないが。

「大丈夫ですか? オレの顔に何かついてます?」
「ううん! どっからあんな綺麗な声出るんだろうって」
「唐突ですね」
「あかあしの声に惹かれてあの辺から走ってきた」
「うわ、結構あるじゃないですか」

海岸線に沿って指差す。木兎の指す先をじっと見つめて苦笑いをした。

「のど、から出ますよ。もちろん」
「ですよね!」
「セミの鳴き声って区別つきますか?」
「ん? あーそれなりに。ミンミンゼミ、アブラゼミ、クマゼミも分かるな。あとは、つくつく法師とか」
「そうじゃなくて、ミンミンゼミが2匹いて、どっちがどっちの鳴き声か分かると思いますか?」
「ムリ」

おんなじなんですよ、少年はいつの間にか、自分が腰掛けている岩に同じように座っている木兎に言った。
木兎は、一度濡れてしまえばどこまで濡れようと同じだと、腰まで海水に浸ってしまった。海にしゃがみこんだせいで、ちょうど尻だけがびしょ濡れになるという恥ずかしい状況の打開策のひとつでもあった。

「オレ以外の人魚もおんなじ声で歌いますよ」
「鳴き声ってこと?」
「まあ、そういうことです」
「何を呼ぶの? ヨメ?」
「何を呼ぶんですかね。オレも分かんないです」
「分かんないんだ」
「喉の奥がたまにむずがゆくなるんです。歌えばすっきりするから」

小さな声で口ずさんだ。どこかで聞いたことのあるクラシック音楽だった。

「カノンだ」
「この曲はカノンっていうんですか。きれいな名前だ」
「んーと、カノンっていうのは、なんか、作曲技法とかいうやつで、それはパッヘルベルって人の作ったカノン、だったと思う。選択音楽で習った」
「へえ、パッヘルベルのカノン……」
「クラシックが好きなの?」
「なんでも好きです。えんか? なんかも歌えますよ」
「まじで?」


上野発の夜行列車 降りた時から
青森駅は 雪の中


「知ってますか?」
「津軽海峡冬景色だ」
「曲名ってあんまり聞くことなくて」
「どこで歌覚えるんだ?」
「通り過ぎる車から聞こえてきたり、海の家で流れてるのを聞いたり、あとはたまに落っこちているラジオを拾ってを聞きます」

あんまり落ちてませんけどね、と付け加える。
ふんふん、と頷きながら携帯でも持ってくればよかったと後悔した。携帯電話か音楽プレイヤーを持ってきていればこの少年に音楽を聞かせてやれたのに、と。

「明日、ボールと一緒に音楽聞くもんも持ってくる!!」
「あーえっと、ほんとに明日も来るんですか?」
「なんで? 来るよ」
「これ、危ないから辞めた方がいいですよ」

これ、と少年が指したのは少年も寄っかかっているテトラポットである。

「テトラポット?」
「上に登ったことはないから細かいことは分かりませんが、足をすべらせて、この隙間にちょうど落っこちることって結構あるんですよ。釣りにきたひととか。これ、擦ると怪我するじゃないですか。間に挟まった段階で擦り傷だらけだし、骨が変なふうに折れるし、潮は満ちてくるし、波がひっきりなしに当たるしで、すごい辛い死に方しますよ。ほんと」
「……ビビらせんなよう」
「事実ですよ。この間、俺、ひとり看取りました」
「みとっ!? ほんとに死ぬの!?」
「上を人が通りかかった時に大声出してみたんですけど、その頃には虫の息だったみたいで。オレ、なんにもできなくて申し訳なかったです……」
「あかあしは悪くない! 気にすんな!」
「はは、そうですね。ありがとうございます」

いつの間にか太陽は昇り、あたりは随分と明るくなった。空の青白さにも橙が差込み、柔らかな白さを見せていた。雲は引き伸ばされたような薄いひも状のものが遠くに浮いている程度で快晴だった。

「気持ちいいね」
「もう少ししたら、暑くなりますよ」
「だよなぁ、暑いのあんまり好きじゃないんだよな」
「オレは夏って好きですけどね」
「夏は俺も好きだよ」


携帯電話のアラームが鳴って、木兎は飛び起きた。旅館の浴衣から素早くTシャツと海パンに着替える。腕時計を着けて、表示された『4:35』 。ポケットに音楽プレイヤーと携帯電話を突っ込んで、部屋の端に転がしてあった、スイカを模したビーチボールを脇に抱えてそおっと部屋を出た。
昨日の朝と同じように、砂浜進んでいくと歌声が聞こえてきた。昨日よりも急いで、テトラポット郡へ走る。やはり、サンダルと足の間に入る細やかな砂が痛い。
砂浜が終わり、岩場になって、テトラポットによじ登って、歌声の中心に声をかける。

「へいへーい、あかあし!!」
「おはようございます、木兎さん」
「おはよ!」

木兎が覗き込むと、真っ直ぐに上を見上げた少年と目が合った。持っていたビーチボールを真下に落とす。軽さから空気抵抗で右に左に軌道が少しずつぶれるボールを腕を左右に動かしてあたふたをキャッチする少年に木兎は「それがビーチボール」と教えた。首を傾げながら、ボールを回して観察そている姿は微笑ましかった。

「気を付けてくださいね、ほんとに」
「だいじょーぶ!! ゆっくり降りる」
「お尻向けてる姿、笑えますよ」
「笑わなくていいです!」

テトラポットを下り切り、途端に横に並んで座った木兎にびくり、と少年は目を丸くした。挙句の果てに木兎はTシャツも脱いで、ぐしゃりと丸めてテトラポットの上に投げた。きちんと着地したのか、落ちてくることはなかった。

「ひょお、つめてー」
「脱いでいいんですか!? 後でまた登るのに……」
「ああっ!! 忘れてた……がーん」
「それ、水着なんですよね?」
「うん」
「テトラポット登らなくても、上がれるところまで泳いで、そっから浜に上がって上の道歩いて服を回収したらどうですか?」
「一緒に泳いでくれんの?! やった!!」

万歳して喜ぶ木兎に再び目を丸くしたものの、釣られてか破顔した少年。

「昨日は大丈夫だったんですか、服」
「散歩してたら波かぶったって言ったら笑われた」
「そんな高波、そうそう来ませんよ」
「ほんとそれな!! てきとーなんだよなぁ、ウチの家族。まー、俺が言えることじゃないんだけどさ」

少年はボールを木兎へと渡した。木兎はそれをくるくると手の中で回して、うーん、とうなった。

「どうやって遊ぼうか」
「距離を取って、投げるんですよね?」
「大雑把に言うとそんな感じ」
「座っててもできますか?」
「ビーチボールならできる」
「じゃあ、木兎さんはそこ座っててください。オレがそこらへんまで離れます。ストップって言ってください」

木兎が返事をする前に少年はするり、と水の中に消えた。あっという間に木兎の正面、3mくらい前で両手を振っている。上半身の半分くらいが水面から出ていた。音もなく滑るように離れていく少年が5mくらい離れたところで、ストップ!! と叫んだ。

「やり方分かるー?」
「昨日、教えてもらったオーバーハンドパスすればいいんですよね?」
「そうそー。じゃ、いくぞ!」

軽く頭上に投げ上げられたボール。両手の指先でそっと力をかける。普通のバレーボールは全く勝手が違う。力を込めるだけで遠くに飛ぶわけでも球速が上がるわけでもない。バレーボールもそんなに単純ではないが、それでも、木兎にとってみれば慣れたバレーボールの方が扱いは簡単で単純に感じた。
ボールは緩やかな弧を描いて、少年の伸ばされた両腕に届く。ボールの影になって、一瞬、少年が見えなくなったが再びボールは木兎の元へ返ってきた。
たまに木兎が「いい感じ」などと声をかける以外は終始無言だった。真っ直ぐ、木兎の手元へ飛んでくるボールは正確で、初心者とは思えないほどだった。ビーチボールといえども、こんなにパスが長く続くとは予想がいだった。しかし、木兎の言葉に頷くことしかできないところ、ボールを睨み付けるような真剣な表情から、パスに全神経を尖らせているだろうことは分かった。

「力抜けー!! 遊びなんだから、楽しくやろーぜ?」

木兎と少年の間、橙とも白とも取れない色に光る海の上を何往復もしたビーチボール。木兎は、飛んできたボールを掴んで、正面の少年を呼んだ。
少年は、恥ずかしそうに、けれど、申し訳なさそうに首を縦に振って応えた。

「あのね、絶対に両手じゃなくてもいいんだよ、なんつーの? ボール相手に届かせればいいわけじゃん。今度こそ、落っことした方の負けにしよう」

限度は保てよ? にやりと不敵に笑って見せた木兎は、投げ上げたボールを今までよりも少し強い力を込めて平手で打った。ぺちん、と間抜けな音を立てて飛んだボールは風にゆらゆらと左右に動く。

「あっ」

さっきまでほとんど風はなく、少年とって初めてボールが目の前で左右したことになる。音もなく軌道を大きく右に逸らしたボールに腕を伸ばす。慌てている、というよりかは半ば恐怖しているように見えた。唸りながら、なんとか間に合った左手でボールに触れた。力が入り過ぎたのか、空気抵抗に風が吹いた時よりもおかしな軌道描いて、ボールは落ちた。
沈みもしなければ、跳ねもしないことはなんらおかしなことではないのだが、どうも見慣れないせいか、変だな、と考えてしまう。数秒してから「あ、なんもおかしくないんだわ」と思考が追い付き、口からそんな言葉が零れる。

「あかあしの負け!! はやいなぁ」
「ごめんなさい! って、オレが謝る必要ないじゃないですか。負けただけですし」
「確かにそうだぞ。じゃ、罰ゲームする?」
「初耳なんですけど」
「あかあし、こっち来て」

小さなため息を吐いて、少年は水に沈んだ。そして、本当に比喩ではなく木兎の目と鼻の先に、顔を出した。

「おおう、ちょっとびっくりした」
「あ、すみません。で、罰ゲームって何をするんですか?」
「やってくれんの?」
「やるんでしょう?」
「もちろん!」

大きく頷いて見せたものの、何も考えなどない木兎は隣の少年を手で制した。「ちょっと待って」と言うと、少年は無言で首を立てに振り、ビーチボールに手を伸ばした。ぷかぷかと浮いているだけのボールが波に持っていかれそうになると、それをそっと押さえた。そして、手を伸ばす、を繰り返した。木兎は何をやっているんだろうか、と無表情な少年を見ながら思ったが、それどころではない。

「俺のリクエスト歌って」
「え、そんなんでいいんですか? 一回は聞かないと流石に歌えないですけど」
「ジャーン!!」

積み上げられたテトラポットに腕を突っ込んだかと思うと、密閉できるタイプのビニール袋に入った携帯電話と音楽プレイヤーを掲げた。

「ラジオの仲間ですか?」
「うん、ラジオの仲間!!」

いかにも興味津々とビニールの中身に釘付け少年にニヤリと笑いかけた木兎。

「つかう?」
「いいんですか? あ、でも、手が濡れてますし、そもそも使い方分かんないから、大丈夫です」
「手は平気だぜ? ビニールの上からでも地味に動くから。まあ、出さないと音が聞こえないか」

手を振って、水を払う。小さな水滴が飛んだ。自然乾燥である。大体乾いたところで、袋を開けた。中から音楽プレイヤーを取り出した。ロックを解除して、中央の円をくるりと撫でる。少年はその様を食い入るように見ていた。

「ボタンはないんですか」
「んー、この丸がボタンかな」
「まじですか」
「まじです。押してみ」

もう手くらい乾いてるだろ? とプレイヤーを差し出した。木兎とプレイヤーの間を何度か視線がさまよう。木兎が少し呆れたように笑って頷いた。一番真ん中の銀色の円に恐る恐る人差し指を伸ばす。白い指先は、まるで血の気がなかった。よく見ると、細かく柔らかな鱗が表面を覆っているようで、それが薄青く光っているようだった。
その手に触れたい、と木兎は思った。

「押せました……!」
「よし」


新たな旅立ちにMotorbike、
オンボロに見えるかい?
Handleはないけれど、
曲がるつもりもない。

Brakeが軋むなら、
止まるのを諦めて。
Bikeと呼べなけりゃ、
名前はどうでもいい。

心は、空を裂く号令を聞いた
跳ね馬のように乱暴だけど、
それでも遠くまで運んでくれる。
ただ必死にしがみついてたら、
君が目の前に現われた。
Hey you!このBig Machineに乗っていけよ。

Mirror取り付け、
見つめた後ろに寄添う人。
海が見たい、
と言われたからHandle切って。

大切なものを乘せて走りたいなら、
生まれ変わっていかなければねえ。

錆びついたBody塗り直して、
太陽に映えるMetal Blue。
Gorgeousな風に行き先任せ。
Days of the sentimentalを駆け抜けたい。
いっそ自ら巻き込まれて。
明日の忘れ物は今日にある。

僕たちは、自分の時間を
動かす歯車を持っていて、
それは一人でいるなら勝手な速度で迴る。
他の誰かと、例えば君と、
触れ合った瞬間に、
歯車がみあって時間を刻む。

僕が跨がった風は、
いつも跳ね馬のように乱暴だけど、
ここに留まることを許しはしない。
ただ後ろでしがみついてた、
それでも遠くまで運んでくれる。
ただ必死にしがみついてたら、
君が目の前に現われた。
Hey you!このBig Machineに乗っていけよ。

Mirror取り付け、
見つめた後ろに寄添う人。
海が見たい、
と言われたからHandle切って。

大切なものを乗せて走りたいなら、
生まれ変わっていかなければねえ。

錆びついたBody塗り直して、
太陽に映えるMetal Blue。
Gorgeousな風に行き先任せ。
Days of the sentimentalを駆け抜けたい。
いっそ自ら巻き込まれて。
明日の忘れ物は今日にある。

僕たちは、自分の時間を
動かす歯車を持っていて、
それは一人でいるなら勝手な速度で迴る。
他の誰かと、例えば君と、
触れ合った瞬間に、
歯車がみあって時間を刻む。

僕が跨がった風は、
いつも跳ね馬のように乱暴だけど、
ここに留まることを許しはしない。
ただ後ろでしがみついてた、
君がとばせと煽るのなら、
Hey you!途中じゃ降してやらないぜ。


この歌なら知ってます、と一番のBメロあたりからハモリ出した少年。思ったよりもたくさんの歌を知っているようだ。
穏やかな朝日に包まれながら聞くよりも、太陽が高くなり、じりじりと焼くような日差しの中、抜けるような青空の元で聞きたい。そして、すぐ隣に座ってでこの少年の歌声を聞きたい。

「次の曲がはじまってますよ? 木兎さん?」
「ん!? ああ、ごめん」
「タイトルはなんていうんですか?」
「さっきの? ハネウマライダー」

適用に音楽は流したまま、木兎と少年は取り留めのないことを話した。時折、少年が「この歌なら知っている」と言うので、その時は少年の歌声に耳を傾けた。

「そろそろ戻るかな」
「はい、じゃあ、泳ぎましょうか」
「あ、そっか」
「すみません、オレのせいで」
「忘れてただけで全然イヤだと思ってないから!! むしろ嬉しいんだってば!!」
「はい、分かりました」

そっけない言葉だったが、少年の表情は柔らかかった。木兎が驚いたような顔をして自分を見つめているのに気付き、目を逸らす。抱えていたビーチボールを渡した。

「浮きの代わりにしたらいいと思います」
「かっこわりー!」
「かっこ悪くないですから、ね?」
「子供扱いすんなよ!!」

少年は木兎の手を引いて泳ぎ始めた。二人が座っていた岩から1m強というところで、途端に深くなった。ビーチボールを顎の下にして、それに片手を回す。気を抜くとぽこんと飛び抜けてしまいそうなボールと海水よりは温かく、人肌よりは若干つめたい滑らかな手に身を委ねる。
軽くばた足をしているだけなのに、スイスイと進む。底が見通せないほどに暗く、一人だったら、ーー高校生だろうが男だろうがーー怖いと思わざるを得なかっただろう。どれだけ深いのかも、底に何があるのかも分からない。『見えない』『分からない』という不安があっただろう。

「もうすぐですよ」
「なあ、あかあしは怖くないの?」
「海が、ですか?」
「うん」

少し水の中を覗き込むと、ぼんやりと白いものが上下に波打っている。それが少年の尾びれだとはすぐに気付いた。

「怖いものも、もちろんありますけど、基本的に自分の生きる世界ですし、怖い怖いばかりでは何もできないですから」
「そりゃそうか」
「怖いんですか? 海。それとも、オレが?」
「海に決まってんだろ。あかあしのどこを恐がればいいんだよ、全く……」

振り向いた少年は木兎が自分の尾びれ見ているのだと分かった。見ていて楽しいものではないだろうに、と少しだけ手を握る力を強くした。

「あかあし?」
「ちょっと、ここらへんは波が強いので」
「ふうん」
「反応薄くないですか」
「あかあしがいるし、平気だろ?」
「う〜ん、まあ、そうですかね……?」

少年が引いていた手を離した。すぐ目の前に、海に沈みかけた階段がある。それはきちんと上まで、道路の高さまで続いているようだった。

「オレはここまでで。じゃあ。楽しかったです」
「明日も来るから」
「昨日も言ってましたね。……気を付けて来てください」
「おう」

木兎は水を含み、重くなった水着から水がぽたぽたと落ちるのを見ながら歩いた。少年はすぐ海へ消えてしまった。木兎の声に手を降るように海面に尾びれが現れて、それには木兎もそっと手を振った。


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