春は遠い【宮高】




(『春は終わる』の続きです。)


宮地の退院は早かった。入院から2週間。宮地と高尾がとある約束をした次の日のことである。そんなことは一言も言わなかったじゃないか、と宮地を責めるにも、宮地にとってはそれどころではなかったのである。退院すれば、自分ひとりでは本当に何もできないということを実感せねばならないだろう。今までは看護師さんがやってくれていたことを誰かがやらなければならない。部屋は引き払って実家暮らしをするという。
考えてみれば、大学の卒業は目前で、内定も決まっていたのだ。どうするのかと聞けば、1年間は治療に専念するらしい。
高尾はひとつ決めたことがあった。

「宮地サン、オレと一緒に暮らしませんか?」

宮地が退院するその日に、そう切り出した。宮地の弟である裕也に迎えを頼んだというので、その裕也が迎えに来る前に話をつけてしまおうと、朝一番に病院を訪れていた。

「いやいやいや、お前忙しいし、そんなことできるわけねえだろうが」
「宮地サンが慣れてるところの方がいいと思うから、オレの部屋を引き払って、宮地サンんちに住みます。もちろん、家賃その他もろもろは半分しっかり出しますし。ご飯も作るし、病院の送り迎えもします」
「おい、何言ってんだ、学生が」
「無理だったら、その時はちゃんと言います。やってもないのに、無理かは分からないっすよね?」

高尾がにやりと笑って見せる。宮地には見えてはいないはずだが、付き合いの長さからか、どんな表情をしているのか想像が付いたのだろう。呆れたようなため息をひとつついた。
こういう言い方をすれば宮地は強く出れないということをよく知っていた。できないと決めつけて諦めてしまうような人間ならば、高尾は宮地を好きになどなっていないだろう。誰よりもリアリストに見えて、その根は夢を見続けるロマンチストに近い。しかし、その夢をどうにかしてでも叶えようと、結果に一番近い道を探し出す。一番近いというだけでその道は決して容易な道ではない。そこへ向けてあらゆる努力を惜しまない姿には一切の無駄が感じられず、もしかしたら、ロマンチストも極めればリアリストなのかもしれない。
宮地は自分の状況を『失明』と表現した。
事故の時に、衝撃で眼圧が変化を起こし、急激な視力の低下が起きた。実は全盲、つまり失明ではなく、弱視と全盲の間である準盲という状態であるらしい。面倒くさいから、と宮地は失明のひとことで片付けようとしたようだが、高尾としてはそこまでしっかりと説明してもらった方が圧倒的に安心できた。

「できるだけ宮地サンのそばにいるようにする……けど、バイトはしないと生きてけないからバイトはさしてください」
「当たり前だろ! 講義とバイトは俺よりも優先しろ。それができないならナシだ」
「うっす、分かってますって。オレがどんだけ尽くすタイプか知ってるっしょ、宮地サンは」

それもそうだな、と呟いてから、顎に手を当てて何かを考え込んでしまった宮地。高尾はその姿を黙って見ていた。

「俺は嫌だ」
「理由は」
「俺は昨日、1年待てって言っただろ。その意味を考えてくれ。……もし、俺の目が治らなければ、お前とは会わないっていうのは、お前の負荷にならないためで、俺がこれ以上かっこ悪い姿を見せないためだからだ。俺のわがままで、俺が、嫌なんだ。治ってからじゃだめなのか?」
「宮地サンが言いたいのは、治んなかった時に別れんのがしんどくなるから完璧に治るまではイヤってことでしょ? 言い方わりいけど、治んない可能性だってあんだから、このまま、1年後にじゃあ、バイバイなんてこともあり得るわけっしょ。そんなのオレに指くわえて見てろっていう方がひどいっすから」

俺が、と強調した宮地。宮地もまた高尾のことをよく分かっているようだ。宮地が嫌だということを、高尾が押しのけてまで実行しないということをよく知っている。
高尾がまくし立てると、ぎゅっと強くまぶたに力を込め、眉間に皺を寄せた。それも一瞬、すぐに俯いていた顔を高尾へ向けた。
事故のせいで精神的にも若干弱っているのか、宮地にしては酷く消極的だと思った。それとも、ただ単純に『恋愛』には臆病というだけなのだろうか。後者ならば、何も問題はない。むしろ、高尾としては可愛げのある先輩だなぁと思う程度である。

「よく分かってんな、お前。ほんと、流石としか言いようがねえ」
「どういう意味っすか、褒めてないっしょ、ソレ」
「褒めてはいるよ。ただ、」

言いかけて口を噤んでしまった。何を言おうかと迷っているのだろう。高尾は待つことにした。先を急かしたところでいいことは何もないだろう。できることならば、考えるなんてことはしないで思ったことをそのまま全て吐き出してくれればいいのに、とは思うが、きちんと宮地の中で折り合いをつけて納得した言葉も聞きたい。後者の方が互いにとって、いいことは目に見ている。
時計を見ていたわけではないので正確な時間は分からないが、3分くらい経っただろうか。そこにいるか? と小さな声で高尾を呼んだ。いますよ、と宮地の手の甲にそっと触れる。

「お前を幸せにできなかったら、俺は自分を許せないから、嫌だ」
「オレの幸せってなに?」
「それは分からないけど、少なくとも、目の見えない同性の恋人と生きることじゃないことだけは確実に言える」
「でも、宮地サン、オレのこと、すげえ好きっしょ。だから、一年とか言ってんだ」
今すぐここで「高尾のため」と諦め切れなくて、自身への甘えとして提示した期間。そうと気が付けば、全く憎いひとだなぁ、なんてのんきなことを思ってしまう。
「そうだよ、うっせーな。たぶん……だけど、今の俺とお前にとっては一緒にいられれば、どんなことがあっても幸せで、それはずっと、それこそあと10年20年では変わらないもんだと思ってる。少なくとも、俺はそうだ」

うん、と静かに頷いた。宮地の言いたいことは分かる。ドラマや漫画のように上手くは行かない。物事の優先順位は年と共に変わり、まだ学生の高尾には、本当の社会の中というものは見えていない。ぼんやりと、サラリーマンってこいうものという像はあるし、その像も数年前に比べたら、それこそ比べるまでもなくクリアに見えるようになってきていた。それも結局は、サラリーマンというイメージとたくさんの社会人の集合体から出来上がった、ひとつの例でしかなく、高尾和成という社会人がどうであるかは分からない。まだ誰も見たことのないものだ。その時、ぶつかる壁が、いわゆるといった壁なのか、一介の学生では想像のつかないような、世界でほとんどの人間がぶつかることのない壁なのか。それを知る由はない。
10年後、30歳になり、20年後には40歳になる。ずっと先の自分の姿は見えるようで見えはしない。

「俺がお前を、お前が俺を、いま選んだとして、後悔はしないと思う。死んでも悔やみきれないほどの後悔をする付き合いにはならない。何があっても心底からお前と付き合わなければ良かった、なんて思わないだろう。それは断言できる」
「……うん」
「でも、些細なところで後悔をし続けるとは思う。この1年の話じゃなくなるから論点はずれるけど、俺と生きていくか、生きていかないか。リスクは圧倒的に後者が低い。どんなリスクかはちょっと想像つかないけど、一般的にそうなんだろう。あの時こうしておけば良かった、なんていうことを言いたくないし、言われたくない」

何を選んでも後悔しない、なんてことはない。高尾があの日、高校最後の試合を終えた宮地の背中から学んだことだ。いつだって、最善の努力をしてきたように見えた。知らないところでたくさんの葛藤や矛盾を、高校生らしく、高尾とも同じように抱えてきたはずだった。それをおくびにも出さず、否、後輩という立場のせいで高尾からは見えなかっただけかもしれないが、いつでも正解を選んでいるように高尾には見えたのだ。正論ではなく正解を試行錯誤して掴んでいっているように見えた。過程はどうであれ、結果から言えば、負けだ。つまりは、間違いだったのだ。そんなひとことでまとめるつもりは毛頭ないが、赤の他人から見ればそうなのだろう。
そんな姿に他人事ゆえのもどかしさ、近付きたいという劣情からくる憧憬や焦がれを抱いたわけだが。

「あ。俺のわがまま、3回聞いてくれないか?」
「唐突っすね。真ちゃんだってもう、3回もわがまま言いませんよ」
「いいから聞け」
「だから横暴だっつーの。先に言っときます。聞くか聞かないかはオレが決める」
「分かってる。で、1個目のわがままな、お前と恋人としてではなく後輩としてもう一度、接する時間が欲しい。2個目な、その猶予をこれからの1年にしたい。3個目、1年したら、周りに怪しまれない程度に関係を全て絶ちたい」
「却下」

宮地は人差し指を立て、中指も立て、最後に薬指をぴん、と仰け反らせた。節のごつごつとした、ずっとボールに触れてきた手を高尾は見つめる。
ついさっきまでしてきた話を全て無かったことにしようとしやがった……、そろそろキレてもいいのではないかと、一瞬、本気で考えてしまった。

「言うと思った」
「むしろ、よくそんなことをいけしゃあしゃあと言えたもんっすね。何がそんなに怖いの」
「じゃあ逆に聞くけど、どうして、容赦なく進もうとするんだ。怖くないのかよ?」
「いやいや、メッチャ怖いっすよ。宮地さんともう会えないかもって思わされて、今度は生きてるのに、もう会うのをやめようって。オレたち、両思いなのに、そんなのはなかったことにしようって。オレの3年間ってなんだったの? って感じ」
「俺だってちゃんと我慢してんだろうが、ミンチにすんぞ」
「ちょ、突然、キレないで!!」

どうして我慢なんてするんだと問いつめようとして、すぐに無駄だと気付く。何度、堂々巡りをしようとも、巡る理由は明白だ。そこより先に進めないからで、その越えなくてはいけないものは、ひとつの疑問だ。幸せってなんだ。それだけだった。

「あーもうっ! 後悔してもいいし、ていうかオレは後悔なんてしないから、今のこの気持ちに任せて、若さゆえの過ち犯しちゃいましょうよ」
「ぶん投げんな。犯しちゃわないわ、今までの俺の哲学っぽい言葉がパーになるだろ」
「着眼点そこじゃねーし、理工学部に哲学とか言わせないから」
「お前だって所詮、文系つったって、経済じゃねえか。半分、数学だろ」
「俺は倫政でも受験したんだから、宮地サンよりかは哲学語れる!! ハズ」
「俺だって社会は倫政だわ!! 教えたのも俺な!!」

高尾は言葉に詰まってしまい、しかし、笑うこともできなかった。流れでいけば笑っていいところであるはずなのに、その流れを汲んでしまったら、もう宮地が話を戻してくれないことは分かり切っていたからだ。
ただ好きでいるだけでよかったのに。
先輩と後輩という関係を崩そうとしたのは自分だというのに、いざ壊れてしまえば、しかも、良い方向へと崩れたというのに、元の関係を望んでしまう。
たかおー? とひらひら手を振って、呼びかける。高尾は膝の上の拳をぎゅうっと強く握った。

「そんなにあんたが大人ぶるイミが分かんない。宮地サンはオレの先輩で、オレの先を行ってなきゃいけないと思ってるのかもしんないけど……!! いや、まあ、オレの憧れた宮地サンはそんな人だったけどさ!! ……オレが好きになった宮地清志は違う、そうじゃなかった」

拗ねるように言うと、宮地は鋭く舌打ちをした。お前のそういところが苦手なんだよ、とぼそりと呟いたのを聞き逃しはしなかった。

「それって……」

その言葉をこれ以上もないほどの褒め言葉に変換した自分の頭を殴りたかった。迂闊にも照れてしまいそうになったではないか。空気読め、オレの表情筋、にやけてしまわないように顔に力を込める。やけに決め顔になっているだろうことは想像にかたくなかった。突然、デレないで欲しい、なんて言った日が最後、もう一生デレてくれなくなるかもしれない。不謹慎なことを言えば、幸いにも宮地に高尾の表情は見えない。
反して、宮地は自分の言葉を高尾がどう受け取っているかも知らずに苦しそうに唇を噛んでいた。もちろん、高尾はすぐにそれに気付き、脳みそから花畑を追い出した。
宮地が答えを出す、そう感じた。そして、今、酷く迷っていることも。
数分経って、宮地は小さく唸った。片手で顔を覆い、見えないはずの目が指の間からちらり、と高尾を見た。

「高尾。あーうん、お前、言ったな? 俺は聞いたからな。これだけは、これだけ……お前のせいにするから、いいよな?!」

半ば怒鳴るように告げて、ぷいとそっぽを向いてしまう。
思わず、手が伸びた。
宮地の頬にそっと指の腹から触れて、自分の方を向かせる。

「アハハ、照れてる」
「うるせえ!! 高尾のせいなんだからな!!」
「はい、オレのせいっす」

頬が緩むのが分かった。どれだけ間抜けな顔をしているのだろうか。またも、見られなくてよかった、なんて思ってしまう。
嬉しさに耐え切れず、キスをしてしまった。触れるだけのキスを一度、すぐに顔を離して、何も言わない宮地の額にもう一度。

「宮地サン、一緒に暮らそう」

宮地からの返答は、いつもよりも少し優しいが的確に決められた、脳天への一撃だった。


そのあと、予定通りに迎えにきた裕也が「おふくろを呼ぶから」と高尾をその場に残らせた。裕也は、呆れと怒りの混ざったような、複雑で真剣な表情で高尾に浮かれてる場合じゃねえからな、と釘を刺した。
宮地は宮地で、全部話すけどいいよな? と問うた。もちろん、と答える。宮地が緊張しているを見て、自分まで緊張してきてしまった。

「すっげえ驚かれると思うけど、お前が不安になることはないから。裕也も味方してくれるし」

手を出せ、と言われた通りに宮地のてのひらに自分のそれを重ねた。高尾の手を握って、宮地は笑った。それを見た瞬間に、一気にどことなく苦しかった呼吸が元に戻り、自分の単純さを感じた。
裕也が病室に宮地と裕也の母親を連れてきた。

「おふくろ、話がある」

高尾は、座っていたパイプ椅子を譲った。宮地が出ていこうとした裕也を引き止め、ベッドの脇に並ばせた。
宮地の顔をのぞき込んだ、宮地の母親。

「俺、こいつが好きなんだ」

宮地はそう切り出した。
宮地が一切の口出しを許さなかった(何も言うなと雰囲気で制された)ので、高尾も裕也も黙っていた。案の定、宮地の母親はとても驚いていたが、宮地が本気であることも、高尾が同じ気持ちであることも理解してくれた。一刻を急ぐわけでもなければ、宮地の目が治る可能性が大きいこともあってだろう、一緒に住むということに関しても反対はされなかった。すかさずに、裕也が先を見据えた鋭い指摘をしたが、高尾が「全部はできないので、その時は助けてください」と頭を下げた。そして、何様だ、と裕也の拳骨が先ほど、宮地によって受けた場所と全く同じ脳天に直撃することとなった。
宮地の退院準備手伝いながら、宮地の視力回復のための治療、リハビリについての説明を受けることになった。家族でもない高尾が同席していることに、医者は首を傾げたが宮地がいいのだと言えば、それ以上は何も言わなかった。
かくして、宮地と高尾の同棲生活は、結果からすればあっさりと幕が上がったのであった。


宮地は、入院前から住んでいた自室に戻り、その日中には高尾が最小限の荷物を持ってやってきた。
これはどこに仕舞えばいいか、と高尾が聞き、宮地は部屋の真ん中、テーブルを前に座ったまま全てに答えた。
同じワンルームでも宮地と高尾の部屋では面積がまったく違う。家賃も大して変わらず(宮地の方が若干高いが、)駅から少々遠いためなのか、高尾の部屋よりも広かった。物が多くないのも原因のひとつだろう。入院中に宮地の母親が手を入れたからなのか、もともと宮地がまめに掃除をしていたからなのかは分からないが、きちんと物は仕舞われていて、床も宮地が家を開けていた二週間分しか積もってはいないようだった。
何度か訪れたことはあった。しかし、それも大学に入った当初だけだった。
高尾は自分の思いをこれ以上ふくらませないために宮地から離れていた時期がある。それが、大学入学当初であり、宮地が何を察したのか、それからは、ほどよく誘ってくれるようになった。自宅への誘いはめっきりなかったし、互いに忙しかったこともあって、顔を合わせた時に少し話す、程度だった。

「お前んとこよか広いけどさ、ふたりで住むにはつらくないか?」
「今更じゃないっすか」
「確かに今更なんだけど……お前のこと踏みそう」

宮地は元から使っているベッドで寝る。高尾はその横に持参の布団を敷いて寝る、ということがさっき決まった(それ以外の方法はなかった)。宮地はそれについて言っているのだろう。
そもそも平均をはるかに超えた長身だ。高尾だって、決して低くはない。そもそも、どんな部屋でも宮地には手狭に見えた。そこにもう一人、成人男子を加えるのだから、狭さから逃れることはできないだろう。

「宮地サンがこけなきゃいいっす」
「……あーまあ、うん、そっか」

照れてるんだろうなぁ、と振り向く。宮地は机に頬杖をついて、目を瞑っていた。その頬は、普段と変わらぬ血色だった。
ありがとな、と小さく呟くように言った。
狭い部屋で、ふたりが動きを止めれば物音ひとつしなくなる。宮地の声は小さくともよく響いた。
宮地を今すぐに強く抱き締めたい衝動に駆られたが、じっと留める。なんか言えよばか、とひと息に怒声が発せられて笑って応えた。だんだん何が面白いのかも分からなくなり、ただただ笑ってばかりいるのが、いつもの自分で、同じようにげらげらと声を上げていた。今度は、うるせえぞばか、と怒られた。

「あー、オレ、どうしよう」
「なにが」
「いま、すごい、幸せで」
「…………ふうん」
「今なら飛べるかも」
「レッド〇ル 翼を授けるってか」
「そんな感じっす」

タオルを乱暴に引き出しに詰めて、高尾は座っている宮地の後ろからそっと腕を回した。なんだよ、と宮地が問うたので、なんでもないです、と腕に込めた力をわずかに強くした。





宮地さん、happybirthday!!


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