この翼をあげるから.02




(黒高表現あり)

部活中、やけに宮地が時計を気にしているのに高尾は気が付いた。高尾が倒れてから数日が経ち、あれから斑類についての話はしていない。そんな話をするようば空気にも状況にもならなかった。数日前のあと瞬間が異質だったのだ。
「宮地サン、今日、なんかあるんすか?」
「え?」
「ずっと時計見てるから」
「ちょっとな」
アレっすか、と高尾は体育館の入口を指差した。宮地が勢いよく振り返る。体育館のドアから顔を覗かせている人影があった。
「……黒子?」
「気付いてなかったのか? 黒子もそうだぜ」
宮地の言う『そう』とはもちろん、斑類のことだろう。
黒子が斑類?
高尾はいまいちピンとこなかった。
高尾と宮地しか黒子の存在に気が付いていないようだった。ちょっと抜ける、と高尾に告げて宮地は走っていってしまった。この休憩が終われば、個人メニューになるので、少しくらい抜けていても何も問題はない。
黒子が会釈をしてきたので、手を振って応えた。困ったような笑みを浮かべて、宮地と扉の向こうへ姿を消した。
「おい、高尾」
「あれ、真ちゃん。どったの?」
「さっきまで宮地さんと一緒だったよな?」
「え、ああ、うん」
ボトルを手に緑間が高尾の横へ腰を下ろした。もし、宮地がどこに行ったのか聞かれたらどうしようか。便所って言おう、なんて考えていると、緑間がじっと見つめてきた。
「……ホントにどした? 用があんでしょ」
「用というほどでもないのだが、少し……」
何をまごついているのだろうか。緑間らしくない。
「宮地さんはやはり、オレ達と同じだと思うのだよ」
「やはりって? ああ、斑類ってコトね」
白々しかっただろうか。とぼけて見せる。緑間は特に気にかけている様子はなく、話を続ける。
「たぶん、黒子の縁者だ……ただの勘に等しいが」
「珍しいじゃん、根拠もなんもないあやふやなこと言うの」
「黒子のぬるさをたまに纏っている、ような気がする」
ぬるさ? 黒子? ついさっき姿を消した、黒子と宮地を考えればあの二人に何かしらの関係があることは紛れもない事実だろう。緑間の使った纏う、という言葉で連想されたのはジャミングだった。いや、しかし、黒子と宮地で、しかも宮地がされる側というのはなんとも……。あまり深く考えない方がいいと、高尾は思考にストップをかけて緑間の次の言葉を待つ。どうせ、緑間は高尾に何を求めているわけではない。そもそも高尾は斑類の世界を何も知らない。緑間は自分の情報を整理するために高尾に、誰かに吐き出すという過程を経ているだけだ。高尾からすれば、それが唯一の情報網なので、興味深いものがあるし、利害は一致しているのでなんの問題もない。
「黒子って斑類なの?」
「お前は本当に無知だな。黒子も大きな家系だ。緑間と張るのだよ」
「ふうん、黒子ねえ……。オレ、全く気が付かなかったんだけど!!」
「アイツは特殊だからな」
「なんなの、黒子って」
「猫又なのだよ、中間種の」
らしいわ、と高尾が呟くと緑間は顎に手を当てて黙り込んでしまった。何を考えているのかは分からないが、少なくとも宮地と黒子に接点があることを緑間に知られない方がいいことは薄々察している。
宮地が翼主で(証拠はないが)、緑間は天狗の家系である緑間家の次期当主だ。そして、緑間は蛇の目。宮地が何重にも魂現を隠している最たる理由は緑間の存在だろう。翼主の遺伝子を一番求めているのは緑間という家系のはずだ。緑間にバレるということは、宮地は宮地というひとりの人間から、翼主という種になることなのだろう。
「そろそろ休憩終わるんじゃね? オレ、次は第二だからもう行くわ」
「あ、ああ。しっかり水分補給しておけよ」
「なに心配してんの、気持ち悪っ。優しい真ちゃんとか気色悪いっての。ま、さんきゅな」
ボトルを持って、立ち上がる。緑間をちらりと一瞥してから、高尾はとなりの体育館へと移った。

宮地が早退したという話を聞いたのは、部活が終わった頃だった。高尾は、黒子と何かあったのだろうかと考えた。原因はそれくらいしかないだろう。もう一度、しっかり話したいと思うのに、そんな機会はなかなか巡ってこないものである。そもそも宮地とふたりきりになるタイミングなど皆無に等しい。高尾はなんだかんだいつも緑間と一緒に行動しているし、宮地だって木村や大坪と共にしている。改めて、ふたりきりというのもおかしな話だ。もし、ふたりで話したいなどと言えば、驚かれるだろう。宮地に相談を持ちかけたりするほど個人的に親しい関係に高尾はない。今はもう、あるとも言えるのだが。それは親しさではなく、条件に適しているだけだ。
体育館の床にモップをかけながら、緑間の横を併走する。緑間は、一瞬、目を細めて邪魔だ、というような表情を見せたがすぐに高尾から視線を外して、モップの先端を見た。
「真ちゃんはどーして宮地サンこと、気にかけるワケ?」
「隠されると、気になるだろう」
「いやいや、そこは触れちゃいけないなぁって見なかったにするのがオトナだと思うのよ、オレ」
「お前には関係ないのだよ」
あー、これは心あたりあるな。
そう思った。緑間は宮地に関して何かに気が付いている。斑類の世界は決して広くない。とはいえ、高尾はその末端に所属できているかも怪しい存在なので、なんとも言えないが、その中央に近い部分にいる緑間ともなればそれなりの情報はすぐに入ってくるのではないか。
緑間が蛇の目と分かった段階で、高尾にとって斑類の緑間真太郎は価値をなくした。今あるのは、緑間真太郎自身とバスケットプレイヤーの緑間真太郎の価値だ。
斑類に関することで、高尾は緑間に協力する義理も義務もない。どちらかといえば、宮地に同調する部分もあるので、緑間に言うことは何もない。これ以上、宮地へと興味が移らないように微力ながら動けるといった程度か。
「そういうこと言っちゃう? ヒッデーな、仮にも相棒にかける言葉じゃないぜ!」
「仮も何も、相棒じゃないのだよ」
くる、とモップを方向転換させてしまった緑間。高尾も壁際ほんの少し手前でモップを軸に体を回転させる。
「高尾くん」
「うおっ!? ……なんで、んなトコいんの、お前」
黒子が体育倉庫の扉をわずかに開けて、そこから手を伸ばしていた。突然、Tシャツを引っ張られた高尾は間抜けな声をあげてしまう。明かりも何も点いていないそうこの中から手が出ているのも、体育館の照明で扉の間に丸い瞳が浮かび上がっているのも十分にホラーだった。ホラーは嫌いではないが、単純に驚く。
「静かにしてください。緑間くんに気付かれます」
「……ウン」
突っ込みたいことはいくつかあったが、とりあえず黙る。
「部活終わったら、少し話したいことがあるので一緒に来てください。コンビニの裏の通りにいます」
「了解……。それって宮地サン絡み?」
「そうです。では」
あんまり立ち止まっていても怪しまれるので、しゃがみこんで靴紐を緩めながら話をする。黒子は何事もなかったかのように倉庫から出て、体育館を出ていった。ジャージ姿だったので、確かに違和感はなかったのだが、あまりにも手が込んでいる。しかし、体育倉庫にいるし、とにかく何も理解できなかった。
「高尾!! サボってんじゃねえ! 早くしろ!!」
ボールかごを仕舞おうとしていた、宮地の弟の裕也に怒鳴られる。すいません、と謝りながらモップを押しつつ走る。
裕也はどうなのだろう。宮地斑類であれば、裕也もそうである確率は高い。しかし、ぱっと見た感じではやはり猿人だ。そこは宮地と同じである。まあ、聞いてみればいいのだ、気になるのならば。猿人には斑類に関することが理解できない。耳を右から左へ、一片も残らず記憶から勝手に消えてしまう。そこらへんの猿人に「ねえきみ、斑類って知ってる?」なんて聞いてみたところで「いま、なんか言った?」というような答えが返ってくるだろう。あとで聞いてみよう、と決めて高尾はモップを倉庫へ仕舞った。
ちょうどよく裕也が倉庫を覗いた。
「あ、裕也サン」
「あ?」
「裕也サンって斑類すか?」
「なんだよ、突然。そうだけど、なに」
裕也はホコリをかぶった棚を上から一段ずつしっかり睨みつけている。何かを探しているのだろうか。
「なんでサルの振りしてんすか?」
あっけらかんと聞く高尾。裕也は、眉を寄せた。
「なんででだろうな、オヤジも兄キも被ってたから、そういうもんかと思ってた。クセだな」
「一家揃って猫又すか?」
同じ匂いする、と付け加えるように呟く。
「急にどうしたんだよ。そうだけど、お前も猫又だよな……? 猫又にしちゃあ、おかしい匂いするんだけど。ああ、恋人がソッチなのか」
ひとりで納得して、裕也は倉庫の扉を閉めて出てしまった。お目当てのものはなかったのだろうか。裕也サン、置いてかないで!! と高尾が冗談めかして声を張る。真っ暗になってしまったホコリ臭い倉庫の中で高尾は、うーん、と首を傾げた。あっさりと裕也から答えは聞けてしまったが、その答えは真実ではない。黒子に会えば分かるのだろうか。
特別、気になってはいなかったことが裕也のせいで矛盾が現れてしまい、色々と気になってきた。はじめは、宮地は翼主で緑間は翼主を欲しているので気をつけよう、それだけだったのに、黒子は絡んでいるし、家族なのに裕也は何も事実を知らない。おかしくないか。裕也は嘘をついていない、勘だがそう思った。何が気になるって、裕也に嘘をついている理由だ。家族ならば、教えてあげればいいのに。
高尾はごほ、と小さく咳き込んで倉庫の重くて軋む扉を開けた。

高尾くん、と呼ばれて振り向くと、黒い外国車が止まっていた。車の後部座席の窓が開き、黒子が顔を出した。
「乗ってください」
「え、オレどっか連れていかれるの?」
「とりあえず、ウチでゆっくり話しませんか? 宮地さんのこと知っちゃった以上、少し約束して欲しいことがあるので」
逆側に回ってドアを開けて乗り込む。運転手がドアを開けようと運転席から降りてこようとしたのを手で制した。黒子ちらりと見て運転手は開きかけたドアを引いた。
すぐ車は発進した。
「んで、何から話してくれるの?」
「キミが気になることがなければ、宮地さんのことを猫又として接してくれとしか言うことはないですけど」
そういえばお久しぶりです、とシートベルトを引っ張った高尾に会釈した。かちゃん、とシートベルトがはめられて、高尾は黒子を数秒見つめる。
「どうして裕也サンはなんも知らないの?」
「あ、そこなんですね。キミの気になるところ」
「あー、うん、まあ、そうかな」
「宮地さんと直接、血は繋がっていないからです」
黒子はさらりと言ってのけた。
「お前って何者……?」
「キミは蝙蝠でしたっけ、じゃあ、あんま感じないんですかね。一応、猫又ですよ。黒子は猫又の家系ですから」
「緑間みたいに次期当主ってやつ?」
でも、黒子は中間種だと緑間が言っていた。基本、能力の一番ある重種が当主になるのではないか。直系だとか、そういう話か? お家問題のようなものとは縁が一切なかったので、昼ドラくらいしか参考になるものがない。
「いいえ、僕が現・当主ですよ」
「ふーん」
「驚かないんですね。中間種なのにって言われるかと」
「いやぁ、オレ、蝙蝠ってバレてるなら早いけど、できるだけ、そーいうのから離れて生きてきてるからわっかんねえんだよね。やっぱ、変なの? 中間種が当主って」
「そうですね、珍しいと思いますよ。というか、蝙蝠なのに緑間くんと共にいるっていうのは、なんとも皮肉ですね」
「それな。つーか、オレから近付いたんだけどね。緑間は鈍感で助かったぜ」
「本当にそのようですね。僕は気にしませんけど、緑間くんがどうあれ、緑間くんの横に蝙蝠がいるなんて知ったら、緑間の当主ぶちギレですよ。キミ、今頃は退学とか」
恐ろしい話だ。蝙蝠に生まれただけでこの仕打ちである。高尾自身は表立ってイジメられたことなどはないが、父親はあるらしい。蝙蝠というだけで散々、辛酸をなめてきたようだ。それは母親も同じで、高尾と高尾の妹はできるだけ斑類から隠されて生きてきた。幼い頃から成り魂の練習をさせられてきた。
「退学ねえ……。緑間はどうなの、そこんとこ」
「どうなんですかね……たぶんですけど、蝙蝠よりも高尾くんを優先させると思います。しかし、おじいさんには絶対に逆らえませんので、おじいさんにバレたら、庇ってはくれませんよ」
緑間祖父というのは、現在の緑間家を取り仕切っている人間なのだろう。高尾が気にしなくてはいけないものと宮地が気にしているものが一致したようだ。
「宮地サンがバレるまずいのも緑間祖父?」
「ええ、お揃いですね。羽と危険視しているものが」
黒子が目を眇めて高尾を見た。心を見透かされているようで驚いた。
「オレのこと、宮地サンから聞いた?」
「いいえ、見れば分かりましたよ。初めて会った時から視えてましたし。宮地さんも言ってましたけどね」
「あんまり深く突っ込む気はないんだよね。それこそ、オレはまだまだ緑間の隣でバスケしてたいし、目をつけられたくない」
「はい」
「だから、細かいことは聞かないし知りたくない。宮地サンに関してオレがしなくちゃいけないことと、できればオレが自分の身を守るためにできることくらい教えてくれたら、帰る」
いいですよ、とひとこと言ったきり、黒子は窓の外へと向いてしまった。世間話を振る空気でもなかったし、高尾も同じように黒子に背を向けて外を見た。
10分もしないうちに、車は停止した。
「でかい家だな」
「僕は住んでませんよ。あ、降りなくていいです。挨拶してくるだけだけなので」
勝手に寄り道してすみません、と黒子はひとりで車を降りた。老舗の高級旅館のような大きくて、決して新しさきらびやかさはないのに、お金がかかっていることが伝わってくる古さゆえの荘厳さを持った建物。駐車場(?)の周りの生垣も綺麗に整えられている。一寸の狂いもなく、直線に刈り込まれていた。
運転手とふたりきりというのは、なかなかに気まずい。さっさと戻ってこねえかなと思いながら、車内を見回す。高級車ってこういうかんじなのかぁ、と感心してしまう。高尾家のマイカーは日本車で軽自動車である。生活する上ではなんの問題もないが、男の子としてかっこいい外車へのあこがれは当然ある。偶然とはいえ、乗れてよかった。
「すみません、出してください」
黒子がドアを開けた。運転手ははい、と返事をする。
「緑間ん家もこんな?」
「うちは旅館経営ですけど、向こうはホテル経営が主なので、洋風ですよ」
「そういうこっちゃねーのだよ……」
「規模ですか? うーん、どっこいでしょうね。同格として扱われますし」
黒子は察しがいい。ぼんやりとした見た目とは裏腹に、だ。
「すぐに着きますよ、うち」
「ていうか、ここどこよ……」
「都内某所です」
黒子が微笑んだ。良く見ないと微笑みかわからない程度に口角をあげ、目を細めた。

「普通だな」
「でしょう? ジュース持っていくんで、先に行っててください」
階段上って手前のドアです。適当に座っててください、と黒子はリビングだと思われる空間に入っていった。言われた通りに階段上って、部屋に入る。いわゆる勉強机とベッドがあって、あとは本棚とクローゼット。散らかってるものが何もない。あえていうならベッド上にも机の上にも本が積んであることだろうか。
黒子が僕のうちです、と言って、高尾を下ろしたところは極々普通の住宅街の真ん中にある2階建ての大きくも小さくもない一般的な家の前だった。若干浮き気味の外車はすぐにいなくなった。これは友達の家に遊びに来ちゃった感じなのだろうか、と高尾は妙なドキドキ感を胸に黒子家にお邪魔した。
「そこのクッションにでも座ってください」
黒子がお盆を片手に部屋のドアを開けた。それを受け取り、床に置く。黒子が高尾へクッションを寄越し、自分も色違いのクッションを引いて高尾の向かいへ座った。
「じゃあ、本題です。守って欲しいことがいくつかあります。守れなかったら緑間のじじいに売り飛ばします」
「今、じじいって」
「そんなことはどうでもいいんです。根本は宮地さんが翼主だってバレないためだということを分かってますよね。そこを踏まえて、行動してください。特に緑間くんに気を付ける。緑間家に気を付けると言った方が正しいですかね。次に弟さん、裕也さんにはできるだけ斑類関係で関わらないでください。宮地さんが一番気にしている部分なので。裕也さんを盾に取られたら、宮地さんはあっという間に緑間に身売りするんで。あ、これ、マジですよ」
「バレなきゃいいんだろ?」
「ええ、キミなら器用だし平気だとは思いますが……」
「どうして、家にまで呼んだんだ?」
全て、車の中で言えば良かったことではないか。わざわざ家に入れてもらってまで聞くことではない。
「せっかくなんで、僕にブラインドされてもらおうかと思って」
「……ブラインド? なんで??」
高尾はコップを持った手を滑らせそうになった。
ブラインドとは、自分のパートナーが他の斑類に目移りしないよう、斑類特有の視神経を麻痺させる技で、主に重種が得意とするものだ。独占欲の現れとも言える。
「まず黒子、中間種じゃん」
「目的は見えなくすることじゃなくて、僕の匂いなので、手段が目的なんですよ。目的のための手段ではなく」
「んん? はっきり言えって、分かんねえ」
「緑間くんは僕をなんて表現しましたか?」
「ぬるい」
「彼はへびなので、温度で、実際には赤外線でものを見ることが可能です。ただの猫又にしては、体温が低いんです、僕。理由は、ちょっと人魚が入ってるからなんですけど」
今、なんだかすごいことを言った気がしたが、たぶん名家のご子息で、というか当主を務めているような人間なのだ。黒子は色々とすごい経歴や能力を持っているのだろう。そう考えるのが一番手っ取り早い。
「鼻のいい人には僕はほぼ無臭なはずです。他にも、魂現に膜をかけるようなもので、はっきりしなくなるんで、身を隠すなら便利なんです」
「猫又なのに人魚?…… なんだっけ、キメラ? なの?」
「いや、違いますよ」
「ハイ、説明する!」
「えー」
棒読みで渋る黒子はジュースを一気に飲み干した。こつん、とお盆とコップの触れる音が聞こえた。ゆっくり瞬きをして、高尾を真っ直ぐに見た。
「面白くもなんともないんですけど、そうですね……母親が僕を妊娠してから、他の男と、どこで人魚なんてひっかけてきたんですかね、とにかく人魚の男と寝て、人魚の遺伝子も入り込んだんですよ。どういう理屈かは知らないですけど。魂現の上書きとでもいった感じです」
「なんか重い話じゃね?」
「寝たのは人魚だけじゃなかったみたいですけど、上書きできたのは人魚だけだったみたいです」
息を飲んだ。何を想像したわけではないが、気持ちが悪いと思った。斑類は腹に子が宿れば、その魂現がぼんやりと見えるものである。黒子の母親は黒子が腹の中にいることを知っていたはずだ。もう女ではなく、母であるはずの女性がそういう行為をするということが酷く汚らわしく思えて、顔をしかめてしまう。
「おかげで当主になれたので結果オーライです」
「はは、黒子はそんなものになりたかったワケ?」
「直系で、しかも長男なのに当主になれないと、それはそれで格好がつかないものです」
空のコップの底をのぞき込む。なんでもなさそうに黒子が言うので、黒子を非難することも軽蔑することもできない。そもそも悪いのは黒子の母親であるし、推測だが、黒子の母親も理由もなくそんなことをしたわけではないのだろう。現に黒子は中間種でありながら、特殊な能力を持ち、当主を務めている。
「堕ちてますよねぇ。ドラマみたいですが、本当にこんな感じなんですよ。権力が絡むと人間は黒い」
「そういうもんなんだな……」
黒子がええ、と頷く。腕を高尾の前について、ぐいと体を前にした。四つん這いのような姿勢で高尾との距離を縮めた黒子は無表情のまま、首を右へ傾けた。
「精子かけられるのとディープキスだったら、どっちがいいですか?」
「すごい二択!! キスで!!」
自分のためだと分かっているので、さっさと腹を括る。仮にも斑類、異性だろうが同性だろうが気にもしなければ、そこに感情がなくとも、キスだってセックスだってできる。本能である子孫を残すことができるのならば。
というわけで、特に黒子とのキスに抵抗はないのである。ただ、あまりにもムードがないというか……。いや、ムードなんてものは微塵も求めていなければ、ムードが必要な場面でもなかった。
お盆を脇へ寄せて、黒子は高尾の頬に触れた。もう片方の手は後頭部に回される。すぐ後ろはかったのだが、どうにも無意識に後退していたらしい。黒子が苦笑いのひとつでもしてくれれば、雰囲気も和むだろうに。そんなことを考ええている間に、視界には影がさし、高尾のくちびるに黒子のそれが押し当てられる。わずかに首の角度を変えて、くちびるがよりしっかりと合わさるように壁で、高尾はそれ以上さがれなかった。さがっているつもりはなした黒子。
テンパっているのは自分自身がよく分かっていたが、どうしていいのかは全くといっていいほどに見当がつかない。恋人ならば、キスには応えなければならない。しかし、黒子とそんな関係はもちろんなく、これは薬を処方されているようなもので、あくまで事務的なことだ。従って、あっさりと侵入を許してしまった(拒む方が間違っているのである。さっさと終わらせた方が互いに身のためだろう)高尾の口内をぬるりと掻き回す黒子の舌にされるがままであった。焦点の合わない近さの黒子はまぶたを伏せていた。黒子の舌はひんやりとしていて、異物感がはっきりとある。ついさっきまで飲んでいたオレンジジュースの爽やかさと苦さが広がる。同じ味だ。
「……ん、まだ?」
「あと少しです」
酸素の補給に、口を離す。顔の距離は相変わらずだ。言葉と共に熱い吐息が皮膚の上を滑る。
「飲んでください」
「え?」
黒子が再び、舌を挿し込む。唾液がふたりの口内で混ざり合う。舌が複雑に絡み合えば合うほどにそれは量を増す。ふとした時に生まれる隙間から零れるのを、指で拭ったり、放っておく。黒子が動きを止め、目をゆっくりと開く。淡い色の瞳に捉えられる。
ごくん。
溢れだしそうだった唾液を呑み込んだ。
黒子がすぐに離れて、ポケットからハンカチを差し出す。受け取り、口の周りを拭いてから拭いて良かったのか? なんて思ったが、もう遅い。
「悪い、つば拭いちゃった」
「いいですよ、半分は僕のです」
「それもそうか。なんか変わってんの?」
「キミには分からないと思います。本当に微弱なものですから。まあ、特効薬でもなんでもないので」
「ブラインドだったのか……?」
「いや、ちゃんと見えますよ。安心して下さい」
「そっか、良かった」
目的は全て達せられたということで、帰り仕度をはじめた高尾。ハンカチで黒子は自分の口を拭っていた。洗って返すと言ったが断わられてしまったのだ。
「送りますよ」
「いいよ、帰れるし」
「ここがどこかも知らないのにですか? 大丈夫ですよ、少し手前で降ろしますし、そもそもキミにはまだ誰も気が付いてない」
「確かに。あ!! 宮地サンは?!」
エナメルのバックを肩にかけたところで叫んだ。
「定期健診です、ちょっと具合が悪そうだったので早めましたが」
「なにそれ、定期健診?」
続きは車内で、と急かされてしまった。ちらりと壁にかけられた時計を見ると、もう9時を回っていた。家に何も連絡をしていない。これはまずい。高尾を急かす黒子を、更に高尾がその手を引っ張って急がせた。


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