Love lives in sealed bottle of regret. 【宮高】




「あいつの我が儘だけど、結局、求めさせられてるのは俺だよ」


宮地清志は誰もいない部室のベンチでこっくりこっくりと船を漕いでいた。本日、体育館の鍵当番である高尾和成を待っている間に日頃の疲れが溜まってか眠ってしまった。どちらかといえば潔癖であり、家と家以外の境界がはっきりしている宮地が家以外、である部室で寝るというのは珍しいことだった。
「宮地サーン、お待たせっす、てあれ」
なぁんだ寝てんのか。プラスチックの軽いドアを押し開けて入ってきた高尾は一度笑顔を消して、宮地の肩を軽く叩いた。
「ぅおっ。あ、俺、寝てた?」
「寝てましたよ」
「まじか……」
あくびしながら大きく腕を掲げて伸びをした宮地は、そういや、と言葉を続けた。
「今日は襲わないんだな」
「それ、襲っていいよっていうことすか?つーか、襲われたい?」
宮地サンまだ、寝ぼけてるんでしょ、と茶化してくる高尾を鼻で笑いながら宮地は自分のスポーツバッグを肩にかける。部活中とは全く異なる熱が体をぼんやりと包んでいるのは事実だった。眠気からくる熱が一気に引いていくのが分かる。そして、学ランも羽織らずに寝ていたせいか寒かった。古くも新しくない上着に腕を通し、バッグの中から灰色のマフラーを取り出しにかかる。高尾は着替えるのが早い。ぼうっしているうちに身支度を整えてしまうだろう。ずるずると出てくるマフラーを巻取り、ロッカーの前で着替えている最中の高尾の背中をぼうっと見つめる。夏の水泳のせいか背中と少し下がったパンツのゴムの下の肌の色が違うのを見つけ、恥ずかしいような悪いことしてしまったような複雑な気持ちになり、とにかく急いで目を逸らした。よく考えてみれば高尾には鷹の目がある訳で、今自分が高尾の着替えている姿を凝視していることを高尾は分かっているのだろうと気付く。鷹の目なんてものを持ち合わせていなくともロッカーの扉の裏には鏡がある。バレバレじゃないか。思わずマフラーに顔をうずめる。かあっと頬に熱が登ってくるのを感じた。伏せた目は床の埃でも追うしかなく、じっとりと重い沈黙が流れた。しかし、重く感じたのは宮地だけだろう。
高尾の軽快な鼻歌と衣擦れの音だけがしていた。
「宮地サン」
顔を上げれば、高尾がにっこりといつもと少し違う笑みを浮かべて宮地へ手を差し伸べた。 いつの間にか肌色は蛍光灯に青白く映える白に変わっていた。ひとつふたつしかボタンの止まっていないシャツの割れ目から、寒々しい爽やかな制汗剤の香りと高尾の汗の混じった、慣れた匂いが漂ってきた。
その手を取れば、それは許可をしたことになる。高尾の笑顔を見て、天井を見て、もう一度高尾の笑顔へ。宮地は高尾の手のひらに自分の手のひらをそっと重ねた。手の温度が同じなのか、冷たくもなければ熱が伝わってくるわけでもない。お互いの乾燥した肌と肌をぎゅっと、空気さえも追い出すように強く押し付け合う。絡まる指がいっそ痛いくらいだった。
ベンチに座った宮地と着替え途中の高尾の高さの差はいつもよりも開いていた。握り合った手は熱くもないのにじっとりと、もはやどちらのか分からない手汗に湿気を帯びる。高尾が空いた片手を宮地の後頭部に回す。柔らかな髪の間をするりと指を這わせた。地肌に触れる冷ややかで細いそれに宮地の肩が小さく跳ねた。数秒遅れてからぞくりという感覚が背中にも走る。 マフラーは巻いたばかりだというのに邪魔者でしかない。宮地はマフラーをしっかり顎の下まで下げた。高尾の丸めた背に遮られる照明。影の中で宮地は高尾を見上げた。新鮮な景色だった。何度繰り返しても慣れることはない。
「宮地サン、えろい顔してよ」
「無茶言うな」
知ってる、と悪戯っぽく笑っておきながら宮地の唇を塞ぎにかかるその所作は荒々しく、そして真剣だった。角度を変えて落とされる口づけは唇、目蓋、額といろいろなところを撫でる。リズムカルに落とされるそれに息をつく暇もない。突然、ぺろりと唇を舐め上げた高尾に驚きで声が漏れた。別段大きな声でなかったが、二人以外誰もいない部室の中ではよく響く。自分の間抜けた声にいたたまれなくなる。あまりにも近い高尾の瞳がまっすぐ自分を見つめていて逃げ場がないことにやっと気付かされた。どこへ向けていいか分からない視線は彷徨い、なにも見ないことを決める。閉じた目蓋はふるふると睫毛に微かな振動を伝えていた。高尾が宮地の睫毛の生え際をなぞるように舌を伝わせれば、握った手の力がさらに強くなった。行く宛てもなく宙を掻いていた宮地のもう片方の手は、高尾のワイシャツの腰あたりをぐしゃり、と皺なんてお構いなしに掴んだ。真っ暗な中で視界以外の感覚が鋭くなっていくのを感じた。前髪をわずかに揺らす吐息すら捉える感覚が恨めしかった。何かがゆっくりと頬を撫で上げた。その温かく重量を伴っているものが舌だということはすぐに分かった。薄い皮でしかない目蓋の下の眼球を圧迫する。眼球の丸さを誇張するような舌での愛撫に息を呑んだ。目を開けられない、と思った。今、目を開けたら眼球まで舐め尽くされるにではないか。そんなことを考えられるだけの余裕がようやっと出てきた。
眼球にかかる圧が消え、高尾が一度体を離した。そうっと目蓋を開ける。高尾は笑ってはいなかった。眉を寄せて、険しい表情。たかお、声をかけようとした瞬間に今度こそ口を塞がれる。まるで喰いちぎらんばかりに上唇も下唇もまとめてがぶり、と。柔らかいものとぎざぎざとしたものを感じる。キスと呼んでいいのか分からないその行為は長く続いたような気がした。キスほど時間の流れを遅く感じるものを宮地は他に知らない。微動だにしない高尾に酸欠を訴えようとシャツを掴んだ手で腰を叩いた。
「っは、だから、鼻で息してくださいよ」
「轢くぞ…………わかってるよ、できたらやってる」
つん、とわざとぶつけられれた鼻先。息を吐くと、同じタイミングで熱い吐息が頬を撫でた。それは自分の吐息が高尾から跳ね返ってきたのか、高尾の吐息なのか。その両方であり、寒い室内の中で二人だけが熱気に包まれていた。後輩にいつまでもリードされているのが悔しくて、両手で高尾の顔をぐい、と引き寄せて余裕たっぷりに端を持ち上げている唇と唇の境目を舌の先でなぞって見せた。なにもかもが熱い。頬は内からも外からも熱くて、握り合った手は、指先だけが冷えていて、手のひらの真ん中に残されてしまった空気さえ熱の塊のようだった。
高尾が少し吊った目を大きくしたのは一瞬。ぴったりと合わせられた特別な皮膚は柔らかい。お互いの柔らかさを確かめるように押す。うっすらと宮地の唇が隙を許した。見逃すことなく、割れ目に舌を捩じ込んだ高尾。宮地のつるつるとした歯の表面を左右に一巡したあと、喉の方へ舌を侵攻させる。口内にぴちゃ、と鈍い水音が響く。
『部室まだ電気ついてるぜー?』
『じゃあ、鍵あいってかな』
複数の足音と話し声が扉の外でした。宮地は高尾を突き飛ばす。絡んだ指がもつれ引っかかりながら遅れてほどけた。何度か瞬きを繰り返した後に吹き出した高尾を睨み付ける。何事もなかったかのようにロッカーから宮地のものよりひと回りほど小さい学ランを手早く羽織る。
「あ、高尾と宮地先輩だったんですかー。鍵当番っすか?」
「そうっす。センパイたち忘れ物?」
「こいつがさー、弁当忘れてさ、冬とはいえ土日丸々放っておけねーだろ?」
「こんな時期に二日連続で練習試合ってのもどうなんだろうな〜」
後輩たちが話しているのを、ベンチからぼんやりと聞いた。顔が赤いことが見つからないように俯く。マフラーの繊維が乾燥した肌にぴりぴりと痛むし、自分の吐いた息が籠ってまだ熱い。二年生の二人は宮地にお疲れ様っしたーと軽く頭を下げて小走りに出ていった。戻ってきた静寂が気まずい。
「どーします?」
「何が」
「続き」
あっけらかんと言い放つ高尾にため息が漏れる。恋人として、というよりかは先輩としてのため息だった。顔を上げることなく首を横に振る。うっす、と高尾の返事に宮地は立ち上がる。エナメルのスポーツバッグは重かった。肩にかかる力にまたため息。物理的に重いのもあるが、やはり精神的にも重い。まだWCが残っている。しかし、それを言い訳にして勉強しなくていいなんていうことはない。中の赤表紙の分厚い冊子を思う。
「帰るか」
「そうっすね。……手は?」
「学校出てからな」



金星と半分の月だけが輝いていた。曇った夜空は深い青灰を広げていた。
マフラーも手袋もしない高尾に寒そうだな、と呟いたら笑顔で返される。そんなものしてたら宮地サンは俺と手も繋いでくれないしマフラーも貸してくれないから。そんな風に冗談めかす。呆気に取られて言葉を失った。寒いの我慢してまで俺の同情煽って優しくされたい? そこまでさせるほどに俺は優しくないってことか? はっきり言ってショックを受けた。気が付けていない時点で、宮地は自分を責めるしかなかない。
「嘘ですってば。元から寒いのには強いんすよ? まあ、真ちゃん送るときはチャリだし、流石に手袋するんすけど、それ以外はしないっすね〜」
「……嘘吐き」
「ひどいっす。冗談だって言ってる」
たまに素直に感情を吐露したと思えばこれだ。全く可愛げの無い甘え。日頃、どれだけ遠慮され気遣われているかだけが身に染みる。そして、宮地が自分自身に対して憤ることも分かっているから更に高尾は宮地に甘えなくなる。負の連鎖だった。甘えさせてあげられる余裕がないのだと言ったら高尾は更に宮地を甘やかそうとするのだろう。だから言って、甘えろと示したところで宮地の自尊心を満たすために甘えてくるのだから質が悪いとしか言い様がない。どうしたって高尾の方が上手なのだ。
「ああくっそ、殴りたい潰したい轢きたい」
「突然、なんすか。こわっ」
「うるせえな。あのさ、」
「はい?」
「お前うるさい」
「え、溜めておいてそれなの?」
繋いだ手は部室の中でのような熱を持ちはせず、冷えた手が2つ重なっているだけだった。自分よりも小さくて、ほんの僅かに自分よりも温かい手を目一杯力を込めて握り締める。骨と骨が狭い宮地の手の中でごりごりと音を立てる。
「いだっだだだっいたいっす!!」
宮地サンってば、と呼ぶ声を無視して握り続ける。我ながら子供っぽいことをしていると思った。喉の奥から面白くもないのにくつくつと笑いが込み上げてきた。高尾はなにわらってんすか?! 、とぶんぶんと上下に腕を振って宮地の手を振り払おうと必死の抵抗をする。
「ごめんな」
「宮地サン、ちゅーして?」
手に込めた力を弱めることなく謝った。何も考えずにぽろりと出てきた言葉だった。高尾は歩を止めて、宮地を見上げた。宮地は誰も周りにいないことを確認し、一度だけキスをした。ちゅ、と小さな音が聞こえた。満足そうに背伸びすることを辞めて前を向いた高尾のつむじを見ながらその黒い後頭部をべし、と叩く。
「さらっと何させとんじゃ。絞める」
「オレ悪くないもん」
わざとらしく頬に空気をためてそっぽを向いた。学ランのボタンは留めていないし、シャツのボタンも上からふたつまであいていた。白い首筋、ひいては鎖骨周辺がぼんやりと街灯に照らされている。マフラーを寄越せと言っているのだろうか。さっきの寒さに強いという言葉は嘘ではないだろう。高尾が酷く献身的なのは誰よりも宮地が知っている。宮地に本気で心配されるようなことを自分の我が儘で高尾がする訳がなかった。だからといって、何もしなくていいのだろうか。マフラーを貸したとして、だ。高尾は受験生でしょ、などと言ってマフラーを返してくるのも目に浮かぶ。貸さないと先輩として恋人としての自分がダメになる気がする。貸せばいいのか、貸さなくていいのか。はたまた、一度は貸す、という過程を成せばいいのか。ぐるぐると回る選択肢と予想される結果。
「お前、何したいの」
「せっくす?」
「ちげえよ。つーか、それはいつでもだろ」
違うんだよ、と拗ねたように反芻する宮地に高尾は首を傾げて見せた。
「たぶん、オレは宮地サンがオレに優しくしてくれるところが見れればそれで満足なんじゃないすかね」
「愛の確認、みたいな?」
「そうそう。宮地サンのこと試してんの。オレのこと、ちゃんと好きでいてくれてるかなーって」
ふむ、とひとつ頷き、再び叩く。無言で宮地を睨みつける高尾は大きなため息をついた。あからさまなその態度に宮地もむっとしたように高尾を見た。何か言いたげな表情をしているのに黙ったまま、歩を進める。道は後少し。商店街の雑踏が遠くに聞こえ出して、何事もなかったかのように離された手を見る。
「高尾。手、つなぎたい」
どうして自分が悩まなければいけないのか。おろしかけていた腕を握手を求めるように高尾の前に差し出す。
「え……?」
「轢く」
「宮地サン、照れてる」
「照れて……る、ような、そんなこともないような、」
少しは折れてやろう、と素直に言ってみたものの、恥ずかしさが倍になっただけだった。往生際の悪い返しをした。分かっていたから逸らした視線を高尾に戻す。目を丸く見開いた高尾。いつ笑い出すのかと身構えるが、そんな様子は見られなかった。むしろ硬直しているようだった。差し出した腕があまりにも格好つかないので、そっとポケットに突っ込んだ。
「高尾?」
「あ、えっと。いや、あの、あんまり見ないタイプのデレだったもので、つい……」
「つい?」
「つい、セックスしたくなった」
「直球やめてくれる?!」
突然盛んな!! と勢いよく抱きついてきた高尾の頭を掴んで自分から剥がす。ぎゃあ、と叫び声をあげながら大袈裟なリアクションを取った。一歩引いてから高尾は背伸びをして、両手を宮地の首に巻き付けた。回された腕のどちらかで、宮地の髪を耳にかけた。寒空にあらわになった耳に口を近づけてひとこと。そっと、囁いた。
「直球じゃなけりゃいいとでも思ったか……?」
もう一度、高尾を剥がす。今度はするりと離れた。すぐ隣にぴったりと寄り添い、スラックスのポケットから宮地の手を出した。自分の指を絡め、ごめんね、とつり目を細めて笑った。宮地の手を自分の顔の前まで持ってきて、寒さに白くなったその甲にキスをした。一瞬だけ触れた熱が鈍く響いた。
「どうします?」
部室を出る時と同じ言葉がかけられる。何が、とは返さない。何も言わずに歩き出す。
「ボタン閉めろ」
「可愛い高尾ちゃんの鎖骨を晒したくないっていう独占欲?」
「だったら、どうする」
「宮地サンを美味しく頂くという方針をかためます」
「かためません」
結局、駅までという条件を付けて宮地は高尾に自分のマフラーを巻き付けたのだった。


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