呼び捨てってなんでしょうか。


地学室には私の他に誰もいなくて、とても快適だった。顧問はほかの部活も掛け持っているので、そっちへ行っているのだろう。本当は、今日は部活がなかったが、先生に言えばなんとかなることは分かっていたので、朝のうちに言っておいた。とりあえず、地学室と屋上の鍵といい天気でさえあれば月も星も見える。ひとりで見る空というのもなかなか風流なものだ。家に帰ったら、宿題を絶対にやらないので静かで涼しい最高の勉強場所として使わせてもらっている。
数学のワークを解きながら、音楽を聞いていると、もうそろそろ6時だった。
鍵をかけて、地学室を出る。手帳と携帯電話だけを持った。まだまだ日は高く……もないけど、夕方と呼ぶには早いと感じさせるくらいには明るかった。廊下は日中の熱をそのままに、むわっと蒸している。
渡り廊下、体育館と本校舎をつないでいる廊下で、体育館側の端にはベンチが置かれている。部活は体育館だろうし、近くていいのではないかと考えたのだ。
廊下を歩いていると、各教室からいろいろな楽器の音がした。吹奏楽部や軽音楽部が使っているのだろう。
渡り廊下を渡り切り、ベンチに腰かける。体育館は二階で、一階には更衣室や、体育倉庫がある。そのせいなのかなんなのか、全体的にホコリっぽい。部室棟と第二体育館は一度、外に出なければいけない。当たり前だが、部室棟を拠点としているだろうから、渡り廊下では不便だったかもしれないと今更気が付いた。もう遅い。

「佐藤? こんなところでどうしたのだよ」
「ほんとだ、誰か待ってんの? あ、女バレならそろそろ終わるってよ」

ジャージ姿の緑間くんと高尾くんが階段を登ろうとしたところで廊下を渡り切ろうとしていた私を見た。全く気付かなかったので、突然、声をかけられて驚いた。

「うん。宮地さんを待ってるんだけど、部活はもう終わった?」

緑間くんが高尾くんを見てから、

「さっき終わったのだよ、宮地さんならすぐ来る」

と言った。

「あーそゆこと。宮地さん、すっげえ気にしてるから、適当に励ましてやっといて」
「誰のせいだ、誰の」
「いや、昼間はほんとごめんな。なんつーか、部活だとあの人、いつもあんな感じなのよ。佐藤の前じゃネコかぶってるだけだから!!」
「少しは反省しろ」
「へいへい、分かってるって」

高尾くんはひらひらと手を振って、緑間くんは軽く頭を下げて、階段を上がっていった。いまいち、なんのことを言っているのか分からないまま行ってしまった。
昼間、ということは高尾くんが連行された時のことだろうか。

「佐藤」
「うわっ、いつの間に」
「うわってなんだよ、傷付くわ」

階段から目を戻すとすぐ目の前に宮地さんが立っていた。てっきり、階段の方から来ると思っていたのに。
私の隣に座った宮地さん。

「あーえっと、その、なんだ……」

絵に描いたようなしどろもどろ具合の宮地さんは、視線を宙にさまよわせた。ただでさえ、いや、座ってもなお、身長差は縮むことがない。というか、縮んでるような気がする。宮地さんは脚が長いのだろうか。どんなスタイルだよ、日本人ばなれしてる……。

「昼間のことですか? ちょっとビビりましたけど、気にしてませんよ。私もクラスの子も」

言葉のチョイスをミスした気がする。

「やっぱ、ビビるよな……」

あからさまに肩を落としている。ビビった、ではなく、びっくりした、辺りの言葉を使うべきだった。高尾くんにも言われたのに。

「ホントに大丈夫でしたから!! 気にしないでください。ちょっと、文化部には縁のない雰囲気だったものでつい……」

なんで、この人がこんなに落ち込んでるんだ? 落ち込むべきはもれなく高尾和成一択だろう。宮地さんは悪くないし、巻き込まれた私達も悪くない。厳密にいえば高尾くんも悪くないけど、全部、高尾くんのせいなので、あいつが落ち込めば万事解決のはずだ。
俯こうとして、下を見ると、逆に私とばっちり目が合ってしまうことに気が付いたのだろう。ぷい、とあからさまに横を向いた。
感情が顔にも行動にも出る人のようだ。私が今まで見てきた宮地さん(と言っても、表彰台に登っている姿とか、普通に廊下ですれ違った時とか)は、もう少し冷めた人に見えていた。もちろん、高校生の範囲を大きく超えて大人っぽいとか、そういう風には見えなかったが、まさか、ここまで子供っぽい一面があるとは予想外だった。
この図体で、そんな態度を取られてしまうと、なんとも母性本能がくすぐられるというか、端的に言えば、可愛いなどと思ってしまった。

「結構、表情豊かですよね。さっきから、いろんな顔してます」
「へ?! そんな変な顔してたか、俺? っていうか、初めて言われたわ……恥ずかしい、埋まりたい」
「なんかすみません。えっと、夏休みの予定なんですけど」
「さらっと流すのな……」

持ってきた手帳から、畳んであったメモ用紙を取り出す。紙を私と宮地さんの間の空間に広げる。ピンと伸ばされていた背骨を、ゆっくり丸めて、紙をのぞき込む宮地さん。
雨風に埃っぽく、白けた窓に拡散して入り込む光は、いつの間にか夕方らしい色になっていた。濃い橙は涼しさなんかとは無縁に暖かみを孕み、煮詰められた砂糖のように透き通りながらも深い色を見せていた。
地毛か怪しいほどの明るい色をした宮地さんの髪がそんな夕日に照らされていた。ふわふわと柔らかそうなそれは、夕日に陰影を作っている。

「佐藤?」

名前を呼ばれて、慌ててペンを握る。手元の紙に焦点を合わせて、すみません、と謝る。

「なんか付いてた? あ、もしかして汗くさいか?」

半袖のシャツの裾はきちんとしまわれていて、第一ボタンだけが外れていて、まさに模範といった制服姿。制汗剤の香りなのだろうか、シトラスっぽい匂いがしていた。白いシャツの背もオレンジ色に染められている。

「平気ですよ。えっと……なんでもないです」
「夏バテはこじらせるとしんどいぞ。無理にでも食っとけよ?」

友達の言っていた言葉にやっと納得する。イケメンという言葉には同意しかねる(そんなチャラ臭い感じじゃないから)が、かっこいい、という表現は確かなのだろうと思った。より近いのは整っているだとか綺麗なのだろう。中性的、とまではいかないものの、大きめの茶色い瞳が、幼く見せる。男性として、美人だ。ならば、美丈夫とでも言うのだろうか。とにかく、夕日に照らされながら、ほんの少し眉を中央に寄せて、私の顔をのぞき込んだ宮地さんは綺麗だったのだ。
特別目を引く容姿でもないし、ものすごく目立つほどかっこいいわけでもないんだろうけれど、身長は高くてスタイルいいし、バスケも全国区となれば、それはもう、女の子が騒ぐのは当たり前だったのだ。

「本当に大丈夫か……?」
「宮地さん、えっと、は、話を進めましょう」

更に顔を近付けて、心配そうに問われてしまう。その近さに、緊張して、驚いて、ぱっと身を離す。宮地さんは気付いていないようだ。小さく息を吐いた。

「ああ、悪かった。とりあえず、俺のオフを伝えておけばいい?」

この謝罪は、話を逸らして、という意味だろう。

「はい、お願いします」
「とりあえず、バスケ部の予定だろ、んで、ココとココはオフ。この一週間は全部ダメだな」

広げた紙に指で示していく。その後を追うようにシャープペンで丸を付けていく。

「分かりました、予定組めたらまた連絡します」
「おう。このあと部活なんだっけ?」
「はい、もう少しで暗くなるので。でも、夕日を見に屋上行ってもいいかな……」

夕日は徐々に夜の色飲み込まれている。橙と紺の混ざり合った色が遠くに見える。私と同じ方向へ視線を遣った宮地さん。一瞬の沈黙。宮地さんがなあ、と控えめに私を呼んだ。

「俺も行っていいか?」
「えと、もちろん、どうぞ……と言っても、今日は私しかいないんですけど」

運動部、しかも最大手のバスケ部通じるだろうか、文化部の緩さが……。文化部の中でも抜きん出た緩さを誇るのが我らが天文部だ。

「お前が、あ、佐藤がいいなら」

なんにも手伝えねえけど、と付け加えた。にかっと笑って、照れくさそうにする。

「呼び方気にしなくていいですよ。お前でも呼び捨てでもなんでも。気を遣わないでください」
「呼び捨てって、はるか……?」
「ハイ?! いやえっと、そっちでもいいんですけど、」
「あ、いや、ゴメン、ちょっと勘違い!! 忘れろ!!」

気まずい。謎の沈黙が流れる。首や額から汗も流れる。じわじわと汗が出てきているのを感じる。ついでに頬が熱い。

「に、荷物取ってくるから。地学室行けばいいか?」

宮地さんは立ち上がって、私が頷くのを見るやいなや、早足で部室棟の方へ消えてしまった。
あー、びっくりした。
望遠鏡を用意しに、私も急いで地学室へ戻った。



呼び捨てってなんでしょうか。

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