星座早見表は面白いです。



地学室に戻る前に職員室に寄って、顧問の先生のデスクにメモを残してきた。あの人の机の上には、裏紙(主にA4のコピー用紙だが、たまにスーパーのチラシなんかもある)を四分割したメモ用紙の束があるのだ。それに『天文、8時まで活動 佐藤』と残してきた。
そして、地学室の鍵を開けた頃、宮地さんがバスケ部のユニフォームと同じ色のエナメルのスポーツバッグを片方の肩にかけて現れた。
どうぞ、とドアを引く。宮地さんは、ドアをくぐった。
適当な机に荷物を置いてもらう。そして、黒板に一番近い、ど真ん中の席に座った。

「あの、大体、日の入りは7時なんです」
「まだまだだな」

壁にかけられた時計を見た。すぐに私が地学準備室から出してきた望遠鏡に視線を移す。望遠鏡は専用のケース、というか袋に収まったままなので、この状態では、まだ望遠鏡か分からないだろう。キャンプ道具とかも同じ雰囲気だし。

「受験生の貴重な時間を無駄にするのは申し訳ないんですが」
「佐藤までそんなこと言うなよ……」

頭痛くなるだろ、と冗談めかして、頭を抱える振りをする。そんな宮地さんはとても勉強ができるらしいということは某友人から聞いたことがあるような気がする。

「日の入りまで、ここで勉強してもらっても全然構わないし……」

うん? と私の次の言葉を待っている宮地さん。いや、流石にここまで付き合わせるのは申し訳ないんだよなぁ、と教室の端の棚に乗せられた簡易プラネタリウムにちらり、と視線を遣る。

「もしよければ、プラネタリウムの説明の練習に付き合ってくれませんか? 話を聞いてもらうだけなんですけど……」
「それって、俺が今聞いちゃっていいもんなの?」
「内容はまだ決まってませんし、なんていうか、雰囲気みたいなのを掴みたくて。結構、あがり症なので」
「人前でしゃべんの得意そうだけどな」
「え! 全然ですよ! 緊張で覚えてきた原稿が全部吹っ飛んじゃったりするんですよ!?」

私のどこにそんな要素を見出したのだろうか。思わず宮地さんの肩を掴む。
あれだろ、文化祭の実行委員とか、クラスを仕切らなきゃいけない役職にいるからっていう、それだけでしょう。とんだ誤解だ。仕切れなくても実行委員にはなれるし、仕切らなきゃいけないのに仕切れてない実行委員が私ですよ!! ちょっと、自分の焦り具合とクラスのみんなの焦り具合の差に、さらに焦ってる私は、たぶん、ストレスというものを感じているのだろう。ちょっと、興奮してしまった……。う、恥ずかしい。

「で、そうならないための練習なんですよ」
「おう、いいぜ。話聞いてるだけでいいのか?」

笑うのこらえてるよ、この人。俯きかけてるし、掴んだ肩が小刻みに震えてる。くすくすっていう笑い声も聞こえてる。それ以前に私はいつまで宮地さんの肩を掴んでいるつもりなのだろうか。我にかえり、慌てて手を離す。

「すみませんっ!」
「ああ? うん、ここ涼しいし、いいよ」

気にすんな、と冷房の風に目を細めた。
ん? んん? なんだか、違和感を感じたが、まあいいだろう。深く突っ込んじゃいけない。と、思ったが思考よりも先に口が動いた。

「涼しけりゃいいんですか?」
「え? どした、佐藤? なんか怒ってる?」
「いえ、あの、なんでもないです」
「変なやつだな」

違和感の正体は検討も付かないが、気にするべきことではないだろう。そう、判断して私は何を話すか考える。本当に、プラネタリウム用の説明原稿は真っ白で何も決まっていない。それは、文化祭でどの季節の空を映すかが決まっていないからである。もしかしたら、春夏秋冬全てやるかもしれないし、文化祭の日程とかぶらせて9月あたりの空をやるかもしれない。どうなってもいいように、ひと取り考えてはあるのだが、これから観測に行くのだから、夏の夜空についての話がいいだろう。どうせ、東京の空では見えるのなんて、どんなに快晴でも十数個が関の山だ。それ以外にもいろんな星があるんだということを知ってもらいたい。そうなると、私も見たことのない星の話になってしまうのが少々いただけない気もするが……。
三人がけの机、ひと席置いて宮地さんの隣に座る。

「じゃあ、この上にドームがあると思ってください。で、前が北、後ろが南。右が東で左が西。あ、電気消してみます?」
「雰囲気出すなら、カーテンも閉めねえとな」

座ったばかりだが、入口の付近の電気のスイッチまで早足で向かう。宮地さんも立ち上がって、カーテンを閉めた。
電気の消えた地学室は一瞬、夕陽で橙に染まり、すぐに真っ暗になる。と、言っても、カーテンの隙間とか、ドアに嵌められたガラスだとかから光が入っていて、薄ぼんやりと教室内は見て取れた。
再び、腰をかけ直した私と宮地さん。

「じゃあ、いきますよ。途中で質問とかもてくれていいですから、むしろ、気になるところがあったどんどん、お願いします」
「おう、任せろ」

この間書いた夏の空用の原稿を思い浮かべる。手元に持った星座早見表を今日の日付と、時間は22時にセットする。自分で指定した方角の通りになるように早見表自体を回して合わせた。
よし、と深呼吸をしようと思い切り息を吸い込んでから、相手である宮地さんがすぐ横にいることを思い出す。ぴたり、と息を止めて、宮地さんを見る。

「気にしなくていいぞ?」
「……はい」

しっかり見られていたようだ。
恥ずかしいなぁ、と思いながら深呼吸を二回した。気持ちを切り替えるときには深呼吸、なのだ。

「本日は、天文部の文化祭特別講演にお越しいただきありがとうございます。外はまだまだ明るいですが、少し早い星空の世界へと案内いたします。
これは、本日22時に見える空です。
まず、上の方を見てください。ひときわ、明るい星がひとつ見えませんか? 白く輝いていますね。
この星は、こと座の一等星ベガです。実は、一等星よりも更に明るい0等星なので、学校の周りや家の近くの空でもよく見えているのはないしょうか。
ベガはご存知の通り、夏の大三角形のひとつです。では、ほかの二つも探してみましょう。
同じくらい明るい星が二つ、もしかしたら三つ見つかった方もいらっしゃるかもしれません。南東方向、アルタイルです。アルタイルはわし座の一等星です。最後のひとつは、ベガの北東方向、アルタイルからはほぼ真北にあります。見つかりましたか? はくちょう座のデネブです。ベガ、アルタイル、デネブ、この三つを三角形に結んだものが夏の大三角形です。
この三角形の真ん中には天の川があります。はくちょう座のデネブなんかは、川の中ですね。水没しています。そして、天の川の両岸、ベガとアルタイルは七夕でおなじみの、織姫と彦星です。
さて、どっちが織姫で彦星でしょうか。
ヒントはどちらの方が、強く光っているか、ということですかね。これはドームなので、少し分かりづらいかもしれません。
正解は、ベガが織姫で、アルタイルが彦星ですね。
ベガの方が、少し光が強くないでしょうか。先ほど言った通り、アルタイルは一等星で、ベガは0等星ですからね、ベガの方がひときわ強く輝いています。ずっと昔から、やはり女性の方が強い、なんてことを表しているのかなぁ、なんて考えてしまいますね。
毎年、七夕の日、七月七日は雨のことが多くて、ちょうどその日に見ることはかなわないことが多いですが、夏の晴れている日は、実は毎日みえているんです。夏の大三角形も七夕も知っているけれど、それが同じ星だと知らずにいる方も結構いらっしゃって、かくいう私も、天文部に入るまでは全然知りませんでした。東京の空じゃ、七夕なんて無縁だと思っていました。
もう、七夕は過ぎてしまったのですが、ぜひ、ベガとアルタイル、見てみてください。
七夕といえば、年に一回、織姫と彦星が逢える日、ということになっていますが、そんなふたりの距離は16光年離れています。16光年というと、一秒で地球を7週もできてしまう光でも16年かかるという、そんな距離です。年に一回会うためにも、光の16倍の速度で向かわなければなりませんね。しかも、帰ってこなくてはいけないので、さらに倍の光速の32倍の速度で向かわなければなりません。そう考えると、ものすごい遠距離恋愛です。
地球から、織姫であるベガとの距離は21光年、彦星であるアルタイルは17光年の距離があります。この中にも17歳のひとは多くいるのではないでしょうか。今、見えている、また、今夜見えているアルタイルは、17年前のアルタイルの光、ということになりますね。夏がお誕生日の方なんかは、自分が生まれた瞬間の光が、今ちょうど見えていることになりますね。………………」

おしまいです、と宮地さんを見る。
星座早見表を指先でくるくると回した。なんだか、今更、照れてきた。まだ先生にも部長にも見せていない原稿を元に話したせいで、私の興味あることだけが詰まった説明になってしまったのだが、大丈夫だろう。なんていうか、全く数字の出てこない天文学ぽくないものだったのだが……。本当は地軸の傾きがどうの〜、みたいな説明も必要なはずだ。なんと言っても、ここは天文学部である。これでは、天文に関する逸話の紹介だ。もちろん、その自覚はあってこの説明をしたのだけども。
物足りなかったりしないかなぁ……。

「宮地さん、どうでした……?」
「面白かったぜ、ちゃんと。なんか……ロマンチックなもん、だな、星って」
「ロマンチック……」
「……繰り返されるとめちゃくちゃ恥ずかしいんだが」

よかった。こんな説明でもなんとか受け入れてもらえたようだ。
宮地さんが手早くカーテンを開けて、電気も付けてしまった。やります、と言ったのに手で制されてしまったのだ。

「星座早見表って久しぶりに見たな」
「結構、楽しいですよ。これだけでも楽しめます。観測の時もぶっちゃけ大した数の星は見えないですから、これだけで特定も簡単にできますし」

私の手元を覗き込んだ宮地さんが言った。どうぞ、と渡す。
回しては眺め、を何度か繰り返していた。ぼんやりとその様子を見ながら、原稿を確認する。結局、宮地さんは質問はしてくれなかったし、わからないところもないとも言ってくれた。決して、完璧ではないとは思うが、それでも、聞き苦しいところがないくらいにはマシなものだったのだろう。そう考えると、一気にほっとした。

「佐藤の誕生日いつ?」
「はい?」
「あ、いや、なんか見てたら面白くなってきて」

突然、真面目な表情で問うてきたので、驚いてしまった。しかし、星座早見表を意味もなく色々な日に合わせたくなる気持ちはよく分かる。(私もたまにクリスマスはどんな空かな、昭和の日や海の日はどんな空かな、と眺めていることがある。)
聞かれたとおり、誕生日を伝えた。日付を合わせて、宮地さんはそれを私に見せた。どう反応していいか分からなくて、とりあえず黙って頷いた。宮地さんは、俺とたいして変わらないな、と付け加えた。
たくさんの星座があるように見え、そして夜空は広いように見えるが、見える範囲というのは本当に少しずつしか変わらない。真逆の季節でもなければ、半分は同じ星が見えていることになる。

「もう結構暗いな」

窓の外へ視線をやって、言った。
そうですね、と答えて地学室のドアを開ける。むわっとあたたかい空気が入ってきた。冷房を止めて、私達は屋上へ向かった。



星座早見表は面白いです。

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