星追い


「……っ!」

はね起きた瞬間、右のこめかみを汗が滴り落ちた。頭がくらりと一度揺れる。視界の歪みを錯覚させる程の目眩に、止まっていた息を一気に吐き出した。

静かな、音のない夜がカーテンの向こうで眠っている。


夜中目を覚ます度、汗が背中を伝い落ちる度、得体の知れない悲鳴が喉の奥から込み上げてくる。出しきれずに消化されないそれは喉奥に押し込まれる。そして溜まっていくのだ、この胸の奥に少しずつ少しずつ、確かな質量で。

胸の苦しさに手元の寝具を握りしめる。
その布が、瞳を濡らす膜で歪んだ。


俯きそして閉じた瞼の裏で一人の人が蘇る。誰よりも特別な背中だった。


ゆっくりと背を向けた、その姿がフラッシュバックする。その姿を見てなんていない。会ってさえいないのだから。耳の奥に何度も焦がれるほどに焼き付けた声を思い出そうとする。なのに、それが難しい。回線を繋いだ本物じゃない声が、記憶の中にいる彼の声を忘れさせていく。


夢の中で彼の声が聞こえる。
まだ、この身が覚えている、その空気を思い出す。
彼が言う、

"竜崎"

と。


視界が歪む。頭の中がぐちゃぐちゃになる。逃れたくて怖くて瞼を開く。視界の片隅で、薄ピンクが水面に溶けるようにたゆたっている。机の上に置かれた短冊だ。

それは確か、今日学校で書いたはずのものだった。


私は、何て書いたのだろう。


くらくらする視界と滲んでいく景色に上手く思い出すことができない。


どのくらいそうしていたのか、頬に風を感じてカーテンの隙間から覗く夜の静寂に意識を移す。僅かに開いた窓の外には、きらきらと眩い光が降り注いでいた。


瞬きをして、鼓動を落ち着ける。段々と晴れていく視界とその眩いばかりの光に、今日が七夕であることを思い出した。


年に一度再会を果たすことができるはずの空は、遥か空の上で深く鮮明に沢山の星を瞬かせている。


会えるはずの、


「...、マくん」


年にたった一度合うことが許されている二人が、どのくらい遠く離れているのか、正確には知らない。少なくとも人が渡れるような距離ではないんだろう。


でも、何億光年なんてない、何千何百万分の一の距離を、私は渡ることができない。


織姫は、一年分の思いをその輝きで遠くの星に伝えたのだろうか。彼女は、何年も待ったとき川を渡ったのだろうか。


それは、


(辛いよ...)


煌めくように光を降らす夜空に切なさが込み上げる。


会えないことも、声が聞けないことも、姿を確認できないことも、気持ちが見えないことも、距離は思いをより強くする、なんてそれは綺麗事だ。織女の輝きは、恋しい思いだけで輝いていたんじゃない。切なくて、苦しくて、悲しくて、その思いを祈るように遥か先にいる彦星に伝えていたと、そう今は思う。


じゃあ、私は何を伝えたい?会いたい、声を聞かせて、こっちを向いて、とそう言いたいのだろうか。


頬を撫でる夜風に息を吸う。煌めき瞬く星はきらきらと光を降らす。頬に触れた冷たい風は熱した胸を和らげてくれるようだった。


会いたいのも、声が聞きたいのも、こっちを見て欲しいのも、全部本音で全部本心。でも、それだけじゃない。


わがままで贅沢だと分かっている。
けれど、立ち止まって待っていて欲しいんじゃない。
私が、あの背中に追い付きたい、いつだって。


伝えたい相手は海さえも空さえも越えた先にいるけれど、追いかけていたあの背中は遥か見果てぬ先さえ越えようとその距離を越えたいった人だ。

私は、惹かれている。そんな彼に星の引力よりもさらに強く。追いかけてみたい、追いかけてしまう。どうしようもなく。

だからこんな夜があっても、たとえ会えないことが辛くても、少しでも前へ進ために彼を想いたい。常に前を見ていたあの人のように。悲しさと苦しさと無力さに泣くのではなくて、追い付くために。

目に浮かぶ、その背中を思い出す。その姿に、胸の奥が疼いた。


「まだまだ、だなぁ」

小さくこぼれた言葉が、知らず呼吸を落ち着ける。それはいつも、どんなときも逆境に立たされていてさえ、彼が口にしていた言葉だった。

数億光年よりもずっと近いはずの距離は、まだ追いかけているままだ。それでも、その距離を感じて伝えられるだけの距離に、確かにわたしはいる。


机の上に置かれた薄ピンクの短冊を見つめる。きっと短冊には願いが書かれている。隠すように書いたそれは、伝えきれずにけれど諦めきれずに願った思いだ。


ありったけ、伝えられるだけの思いを言葉にしてみようか。きっとまた上手く伝えられないかもしれない。半分も伝わらないかもしれない。彼の声を聞いたら、緊張と不安と喜びで、この掌は震えてしまうかもしれない。
それでも、今は越えられない距離も、この気持ちは越えられないとそうはっきり言えるから。
仰ぎ見た光に満ちるこの空は、この先で彼に繋がっているんだ。見上げる星空には、輝く二つの星が見える。


「綺麗、」



この想いさえも、私は抱えて彼を追いかけたい。






星追い(今追い付くから、)







タイトル:メルヘン様


2011.07.09 日記小話
2016.11.09 加筆修正



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