I mean


時計台に寄りかかりながら、頭上を横切っていく飛行機の音に青空を見上げる。そこには数日冬の気配を匂わせていた天気も和らいだ、秋晴れの青空が広がっていた。風はまだ少し冷たいが、陽射しも暖かく過ごしやすい。今朝乗ってきた電車のなかでは危うく寝そうになったくらいだ。

くあ、と一つあくびが出たところで時計台の針に視線を移す。

時刻は13時15分。


(あれで結構いい度胸してるよね)


薄手のジャケットのポケットに片手を突っ込む。飲んでいた炭酸をすぐ近くにあるゴミ箱にからんと捨てたところで、まだ残っていた眠気に瞼を擦った。


そういえば前にもこんなことがあった気がする。


待ち人を待つシチュエーションにぼんやり記憶が蘇る。

いつだったか張辰のおじさんのとこに、ガットの張り替えに行ったときだ。待ち合わせに遅れてきたあいつに、出会い頭で早々に頭を下げられた。

治りそうにないどころか悪化していく方向感覚の悪さは、初めて会ったときに身を持って体験していたし、どうせ迷子だろうとさして気にもしなかったけれど、今日も迷子だろうか。転んでなきゃいいが。

ポケットの中の携帯を触る。連絡はない。じゃあ無事なのかと聞かれると、彼女の場合そうとも言えない。


溜め息をつく。


(こんなことなら、迎えに行けば良かった)


でも日曜日の今日、きっと家には男子テニス部の顧問がいる。もし家まで行けば、竜崎の後ろで仁王立ちをして鬼のような顔をしながらこちらに念を送る顧問が確実にいただろう。あの二人本当に血の繋がった祖母と孫なのか、と考えてしまうのは仕方ないことだと思う。


寄りかかっていた時計台から背を離す。

携帯を取り出して顔をあげたところで、名前を呼ばれた。


「リョーマくん!」


長い三つ編みを揺らしながら、息を切らしてぱたぱたと走ってくる。それを見て、ああまた転ぶんじゃないかと眉を寄せた。


「ご、ごめっ、待ちまし、たよねっ、」


目の前でいつかと同じように頭を下げた竜崎は、切れ切れの言葉でごめんなさいと謝ってくる。走ってきたせいかいつもは白い頬を上気させて、風にあたって膜が張っている瞳で、申し訳なさそうに何度も。

その様子に吐息を吐くように溜め息をついた。


「今日は小銭持ってるの」
「...へ?」
「喉乾いた」

ぱちぱちと瞬きをして、徐々に瞳を見開いた竜崎が嬉しそうに瞳を輝かせる。


少しずつ分かってきた、この少女を笑わせる方法。手探りのそれは、まだ慣れなくて、でももっと知りたいことだ。

「も、持ってる!」

嬉しげに輝くその表情と、その様子に人知れず満足する自分に呆れた。


微笑みながらありがとう、と言った竜崎の手に今日はテニスラケットはない。別に、と返すオレも持っていない。


これと言ってかける言葉も見つからず、横を通りすぎて動物たちが大きく口を開けて笑っているゲートに向かう。すぐ後ろを着いてくる竜崎は、隣にくるか迷っているようだった。


今日は、初めてテニスを抜きにして二人で待ち合わせをしていた。


つまり、


「は、初めてだね、動物園デート!」
「そ、そうだな!」


手を繋いでいる同じくらいの若い男女が照れくそうに横を通り過ぎていく。その言葉が耳に入ったのか後ろで大きく動揺する気配がした。



つまり、


(...はあ、なんで隣来ないかな)


そういうことだ。



**


「で、何見たいの?」


ゲートを通って最初に目に入る案内図の前で立ち止まる。
けれど声をかけても返ってこない返事に、訝しく思って振り向いた。

何か上の空なのか、それでもこちらをじっと見ている竜崎は聞こえていなかったのか反応がない。心なしかその頬が薄紅かった。


「竜崎?」
「ひゃっ!え、はい!」
「何見たいの?」
「えっと..」

案内図を見上げて、ちらちらと視線をさ迷わせたあと、「あっ」と口を開けた竜崎の視線が一ヶ所で止まる。


「パンダ?」
「あ、うん」

何故か恥ずかしそうに俯いたあと、同じ目線にある視線が慌ててこちらを向いた。


「リョ、リョーマくんは?」
「オレ動物園って初めてなんだよね」
「えっ!初めてなの?今日が?」

心底びっくりした顔に一つ頷く。無難にライオンとかサル辺りが見れれば十分だろう。

パンダがいる場所を確認して同じ目線にある隣を向く。


「じゃあ、あっちから...何?」


竜崎は何故か嬉しそうにはにかんでいた。


「ううん、何でもないの...楽しみだね、楽しもうね!今日」
「..ああ、うん」


何がそんなに嬉しいんだろう。そんなに動物園に来るのを、パンダを見るのを楽しみにしてたのだろうか。歩きながら心の中で首を傾げる。


(竜崎ってパンダ好きなのか...)


どっちかっていうと、真っ白で真っ赤な目をしたウサギとかが好きそうだけど。


(ふーん、パンダ。へえ...)


日差しを受けて柔らかそうな頬を温かに緩ませた横顔をちら、と見る。自分の意思など関係なく、勝手にその情報は脳内にインプットされた。




「シ、シマウマがいるよ。リョーマくん」
「コアラだあ。かわいいね!リョーマくん」
「ク、クジャクって、みゃおって鳴くんだって!」


園内に入ってから彼女が言った台詞だ。何故かいつもよりよく喋る。そして同じくらい黙る。

急に黙ったかと思えば、動物の目の前で何か思い付いたようにぱっと顔をあげてマントヒヒが、とかモモンガが、とか何でそんなこと知ってるんだと思うようなことを話す。かと思えば今度は慌てたようにどの動物が見たい?と聞いてくる。どの時も、その頬はずっと仄かに赤かいままだった。




**

様子がおかしいと気付いたのは、お昼を食べたあとだった。前を歩いていた筈なのに、気付くと後ろにいる。3回目になってようやく、右足を不自然に庇っているらしいことに気付いた。本人はほんの僅か苦しそうに眉を寄せている。


後ろを向いたまま立ち止まって、足元を見つめる。ひょこ、ひょこと歩く姿に無意識に溜め息が出ていた。

(...言えよ)


「ちょっと、こっち」
「え?」


腕を引っ付かんで花壇に座らせる。きょとんと見上げてくる視線を見下ろしたあと、

「アンタのことだから持ってるんでしょ。絆創膏」
「絆創膏?あるけど、...リョーマくんどこか痛いの?」
「じゃなくて、アンタの足。痛いなら痛いって言いなよ」


視線を低い踵がついた靴に向ける。瞳を瞠る様子に、ゆっくりと二度目の溜め息を溢した。

「オレ、何か飲み物買ってくる」


悲しそうに歪んだ瞳を見て、ごめんなさいを言われる前に背中を向けた。



自販機でいつも飲む炭酸を二つ買って、来た道を戻る。冷たい缶を両手に一つずつ持って歩きながら、悲しそうに歪んだ瞳を思い出してひっそりと缶を握りしめた。


「はい」
「あ、ありがとう..あの、ごめんね、リョーマくん」
「別に」

プルタブを開けて隣に座る。あ、と小さく声をあげた竜崎を見ると、瞳を見開いて手の中にある缶を見つめていた。ピンクの果物が描かれた缶を見つめる横顔は、気のせいか微笑んでいる。どうやら好きな飲み物らしい。


「アンタ今日どうしたの」
「へ?」
「よく喋るかと思ったら急に黙るし、やたら動物のことは詳しいし」
「....」

二口ほど飲んだところで、隣からか細い声が聞こえた。


「...今日、すごく楽しみにしてたの。夢みたいで。昨日も寝付けなくて、夜決めたはずなのに、今朝また何着ていくか服迷っちゃって。夜はたくさん動物のことも調べて、そしたら」
「....」
「そしたら、リョーマくんが動物園が初めてって言うから、嬉しくて...」

その言葉に首をかしげる。


「なんで?」

俯いていた顔をあげたその表情(かお)は真っ赤だった。そのことにさらに驚く。


「だって、嬉しいよ。リョーマくん動物園初めてなんでしょう?一緒に来れたなんて、嬉しいよ..だから、楽しんで欲しくて」
「....」


最後の方はほとんど聞こえなかった。また俯いてしまった横顔は瞳が潤んでいて今にも溢れそうなのに、耐えるように瞳を揺らしている。


ゆっくりと瞳を瞠った。


じゃあ、案内図を見ていたあのとき嬉しそうに笑っていたのも、よく分からないうんちくも、あんなに喋ってたのも、今日遅れたのも昨日寝れなくて、それで、


――最悪だ。頬が熱い。

夏でもないのに、もう冬なのに。その原因の目の前の少女に悔しさが募る。


(..ほんと、質悪い)


耐えきれずにぱっとそっぽを向いて手の甲で口元を隠した。リョーマくん?と呼び掛ける声も、どうしてか今の自分にはいつもと違って聞こえる。


やっとの思いで口を開いた。


「別に、いつも通りで、いいのに」
「うん、そうだったよね。私、一人ではしゃいじゃって」


(ああもう、だからそうじゃなくて)



「そのままでいい」
「へ?」
「だから!」

反対を向いていた顔を戻して振り返る。こちらを見る竜崎は、少し驚いたようにぱちぱちと瞬きをしていた。目尻に涙が滲んでいる。どうしてか、泣き虫のくせに泣かない。いいのに、泣いたって。そう思っていることを伝えたらどんな顔をするだろう。


「そのままがいいって言ってんの!別にいつもの竜崎で、」
「....」
「...ドジなアンタの方が慣れてる、し」


くそ。カッコ悪い。


頼むからもう気づいて欲しい。本当はそんなに余裕がないことを。ああ、でもやっぱりまだ知られたくない。


そんなことを一人考えて視線を逸らす。けれどまたその視線を戻す羽目になった。


吃驚した様子で固まったあと、突然竜崎がふわりと笑う。頬を染めて目尻に溜まった滴を睫毛に乗せて、それが陽の光にきらきらと光っている。


「ありがとう、リョーマくん」
「....別に、誉めてないし」
「うん、でもありがとう」


風が二人の間をすり抜ける。それが物足りなく感じるのは多分気のせいじゃない。

沈黙が、甘く感じたのは初めてだった。


隣で『へへへ』と頬を染めて笑う仕草に炭酸を煽る。


口の中で甘く溶けた炭酸水に、馬鹿みたいに夏を感じた。








I mean(Stay who you are)









「ん」
「へ?」
「手」
「手?」
「ったく、...鈍感」


その日やっと掬った掌は、思っていたよりもずっと小さくて温かかった。






人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -