終わらない夏


「桃、進捗は」
「目標、30メートル前方に確認。ポンタを飲んでいます。少女は依然動きがありません」
「よし、そのまま張り込みを続けろ」
「はっ!」


麗らかな午後。若葉も初夏の薫りを届ける晴れ渡った空の下、生け垣の影に座り込む男二人。両手を眼の前で筒のように丸くした英二と、学ランの襟元を口許に当てて小声でひそひそと呟く桃だ。昼休みに突然英二に引きづられて来てみたら、何故か自分まで隠れるようにしゃがみこんでいる。はああっと深く溜め息をつく。そんな後方の様子にもどこ吹く風とでも言うように、僅かに目標とやらが動いたのを確認したのか、二人がオーバーな程肩を反応させた後、ドラマの見すぎだろと思うほど無駄に俊敏に背中を丸める。

その様子に思わず二度目の溜め息を溢した。


「お前ら何やってるんだ」
「大石シーッ!見つかっちゃうだろ!」
「そうっスよ大石先輩!アイツ普段鈍感なくせにこういうときだけ鋭いんスから!」
「桃、それ越前の前で言ったらツイストサーブ飛んでくるぞ」

そもそも、この二人は何をやっているんだろう。結局二人から答えをもらえない状況と、今の自分を客観的に見た場合の可笑しな状態に内心で盛大に首を傾げる。

「なあ、英二」
「何だね、中尉」

(中尉...?)

「英二先輩オレ大佐がいいっス!」
「しょーがないなあ、じゃオレ総統!」

話が進まない。というか、論点がズレていく。しかも英二の暴投級に逸れる話についていける桃もなかなかにズレている。そもそもこの距離感なのにその襟元を引き寄せている仕草は、もしかして無線か何かのつもりなんだろうか。全く意味がないことに本人は気付いているのか、聞くのが怖い。青学で一番の曲者で冷静沈着だと思っていたが、認識を間違えていたのかもしれない。とそこまで考えて、自分まであらぬ方向に脱線した思考に慌ててストップをかけた。


「いやだからそうじゃなくて、二人とも何やってるんだ?」
「んん?おチビの青春ウォッチング」
「はあ?」
「大石先輩」

すっとんきょうな声を聞いた桃が、何故かとても厳しい顔をして振り向く。

「これは、最早ただの少年と少女の淡く甘酸っぱい青春なんてレベルを凌駕してるんです」
「俺は過去を凌駕する」
「英二先輩うるさい」
「しゅん」
「.....」

目の前にいるこの男は青学ゴールデンペアとして共にコートに立ち、ダブルスの天才とまで言われている友人で合っているだろうか。軽く頭を左右に振る。


静かに瞼を伏せた桃が、悩ましげに眉を寄せ憂いのある溜め息を溢す。その仕草が若干様になっていることに頬が引き攣った。


「越前は、確かにテニスは強い。一年でレギュラー入りを果たしてこの青学の柱を手塚部長から言い渡されるほど、抜群のセンスとテクニックを持ってます。その点は男として文句なしに評価されるべきことです。でも、」

抑揚もなく話される桃の話に無意識に唾を飲み込む。ゆっくりと頭(こうべ)をあげた桃が、次の瞬間こう言った。


「アイツは、超がつくほど恋愛が下手です」
「....は?」
「....桃、ついにそれを言ってしまったんだな」

英二が目に手を当てて泣いているが、生憎視界に入ってもそれをかまっている暇はない。

越前が、恋愛が、下手。後輩の惚れた腫れたの話は無粋だと思って首を突っ込んだことがないし、ましてあの越前だ。余計に関心を寄せることはない。つまり本人の恋愛事情なんてものは知らない。

けれど、常にクールに物事を見て、コートでは格上の相手でも怯まずそれどころか鋭く挑戦的な笑みさえ浮かべるあの越前が、恋愛が下手とはどういうことだろう。全く想像がつかない。寧ろ、年上の彼女でもいそうなイメージだ。


「見たまえ中尉」

またそれかと思ったが最早突っ込まなかった。

英二、基(もとい)総統の指示で、生け垣から前方30メートルにいる目標を確認する。そこには、我が部の一年生ルーキー越前と、越前との間に人一人分の距離を空けて座る、竜崎先生のお孫さんがいた。

「あの子、竜崎桜乃さんだろう?」
「そう、おチビのごにょごにょ」
「え?何て?」
「だから、越前のもごもご、ごふっげほっげほっ!...ああおほんっ、まあ、そこは察してください」

大丈夫かこいつ。

何を言いたいのか分からなくはないが、もし本当だとすればこの状況はマズイんじゃないだろうか。竜崎さんにも申し訳ないし、何より越前が可哀想だろう。

「おい英二、出歯亀はよくないぞ」
「あ!目標に動きが!」

再びエアで双眼鏡を作った英二が僅かにその姿勢を乗り出させる。その横でさっと同じくエアの無線を準備した桃に、堪えきれずに額に手を当てて天を仰ぐ。これを部長が見たら間違いなくグラウンド10周だろう。レギュラーがこんな覗き見をするような形で、人の恋愛に首を突っ込んでいるともなれば部の恥だ。

副部長として止めさせるべきだ。そうだ、俺はきっとそのためにここにいる。
こうしてはいられないと姿勢を戻した先で、不意に視界に入った前方30メートルの(以下略)様子に、おや?と首を傾げた。


ベンチに座っている竜崎さんが、何やら何度も越前に頭を下げている。謝っているのか、その顔はこちらが心配になるほど真っ赤だ。それを隣で見ている越前は、何食わぬ顔で慌てている竜崎さんを見ていた。

どうしたのだろうか。何か、竜崎さんが越前に謝らなければいけないことでもしてしまったのだろうか。あまりそうとも思えないが、今や泣きそうな竜崎さんを見ていると、それほどまで重大なことが二人の間に起きたのかと心配になってくる。

越前が竜崎さんに何かを言っている。それを聞いた竜崎さんが飛び上がるほどの勢いで俯けていた顔をあげた。次いでさっと越前から距離を取るように、ベンチギリギリまで下がる。最早その様子は首まで赤い。反対に越前は余裕綽々とでも言うように、面白そうにその様子を見ていた。

それら僅か数秒の出来事に、何故かむずむずと居心地が悪くなってくる。


何だろう、いいのだろうか俺らここにいて。いや待て、そうだダメだ。俺はそのために


「うっわ、またおチビのヤツ意地の悪いこと言ったんだよ。ほんっと素直じゃねー!」
「ったく、愛してるくらい言えねーのかよアイツ」


いやそれは無理だろう。耐えきれずに突っ込む。


「あ、でも桜乃ちゃん何かおチビに渡してる!」
「え?」

その言葉に最早自分の役目を忘れて思わず、溜め息を吐きながら左右に首を振っている桃から二人に視線を移す。越前には内心で謝りながら、芽生えてしまった出歯亀精神には逆らえず、気持ち姿勢を低くして目標を観察する。許せ、越前。そして頑張れ、竜崎さん。



英二の言うとおり、ベンチの端から両手を精一杯伸ばしながら、竜崎さんが何かを越前に渡そうとしていた。さっきまで飄々としていた越前が僅かに驚いているのか、頬杖をついていた顔をその掌から浮かせている。俯いてしまって竜崎さんの顔は見えないが、きっとまた赤いのだろうなと簡単に予想がついた。

ほんの少し固まっていた越前が、徐に手を伸ばして正方形くらいの赤い箱を受け取る。ぱあっと顔を綻ばせた竜崎さんが、それはそれは嬉しそうに笑った。それを見てばつの悪そうな顔をした越前が、竜崎さんとは反対側にそっぽを向く。そして、俺たちには聞こえない声量で何かを呟いた。一瞬驚いた顔をしたあと頬を薔薇色に染めた竜崎さんが、三つ編みを揺らしながら頷く。その後はにかみながら立ち上がって二言三言何かを言ったあと、くるりとスカートを翻して校舎に向かって走って行った。


ここまでの出来事、およそ数分。どうやら、事態は問題なく収まったようだと胸を撫で下ろす。それにしても、何とも初々しいやり取りに今は春だったろうかと錯覚を起こす。苦笑いをしながら再び様子を確認すると、越前がゆっくりと息を吐いてベンチの背にもたれ掛かったところだった。


越前が竜崎さんが走り去った方向をちらっと見たあと、手の中にある小箱に視線を落とす。

静かな表情で暫く小箱を見つめる越前に内心で良かったなと語りかけてすぐ、、次の瞬間見た光景に絶句した。


「あれまー嬉しそうにしちゃって」
「何だろうな、クッキーとか?」

桃と英二が穏やかに会話をしている後ろで、今見た光景が未だに信じられずにいた。


笑うのか。越前もあんな風に。


赤い小箱を見ながら一度だけ笑った越前は、いつかの全国大会優勝のときに見せたような、その顔とも違うような、年相応の顔をしていた。

「いいか大石?今日のことは絶対に門外不出だぞ!これは男の約束だからな!」
「越前の耳に入ったら俺らの首が飛びますよ」
「それで、あの二人がいつかくっついたら、そのときは盛大に祝ってやるの」
「何年後でしょうねー」


ふざけながら話す二人が、何だかんだと嬉しそうにしている様子を隠しきれていないことが分かる。それを見て、なんだこいつらただあの二人が心配なだけじゃないか、とやっと気づいた。




越前がベンチから立ち上がって校舎に戻るのを確認したところで、三人揃って生垣から出る。口笛を吹きながら頭の後ろで手を組む英二と、「腹減った...」と呟きながら腹に手を当てる桃の後ろを歩く。



さらさらと揺れる若葉が、学ランの襟元を駆け抜けていく。


各階で二人と別れて一人自分の教室へと向かう。歩きながら、何故か別れ際に「何も言うな、大石」と肩に手を置き、哀愁漂う顔で去っていった英二を思い出す。まだまだ俺はあいつを理解しきれていない部分があると、一人苦く微笑みながら教室に入った。


席についたところで、窓の外すぐ隣に立っている木をふと見る。


若々しく新緑に染まった葉を付けた大きな木だ。そよそよと若葉を風に靡(なび)かせながら、晴れ渡る青空にいくつかの葉を散らせている。暖かな日差しを受けて葉脈を透かし、光りながら風に乗って遠くに吹かれていく様子に、その、眩しいほど初夏を運んでくる景色に思わず、はあーっと溜め息を吐き出した。



予鈴がなる前にかたりと目の前の席についた手塚が、その音に僅かに振り向く。


それに気付いて、ふと心の声を口に出してみようかと口を開いた。


「なあ、手塚」


視線で先を促した手塚の手には、受験用の参考書が握られている。もうそんな時期なのだ。自分の机のなかにも分厚い参考書がある。


溢れ出た息は憂いに満ちたものではなく、この空のように晴れ晴れとしかし過ぎていく季節を名残惜しく思う気持ちが込められていた。ベンチに座る少年少女の姿を思い出す。


「春だな」
「...今は7月だ」






それから、越前に会うとどうしても親のような目で見てしまい、その度訝しむ越前を苦笑いで誤魔化すのはとても苦労した。その後も、俺たちが二人の仲を密かに応援していることは、所謂男の約束の基今でも門外不出となっている。










(一瞬を駆け抜けろ!)










2016.10.13 加筆修正







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