駆け出す想いに光の粒


「きゃあっ」


角を曲がったところで目の前でテニスボールが宙を舞う。そのうちの一つが頭の上に落ちてきたところで、その場が水を打ったように静かになった。


「あ、あの、その、ご、ごめんなさい!」
「....」


もしかしたら、自分はあまり運が良くないんじゃないかと、目の前で長い三つ編みを垂らしながら頭を下げる少女を見て思った。


**


「竜崎って転ぶのが趣味なの?」
「ち、違うもん!あのときは、たまたま足元にあった石に躓いちゃっただけでっ」
「あのときはたまたま?」
「うっ...ごめんなさい」

自分の現在進行形で更新している奇跡的回数のドジを振り返っているのだろう。言葉に詰まった彼女が俯く。テニスボールを籠に入れながら、申し訳なさそうに彼女が俯いていた顔を上げた。


「リョーマくん、部活終わったんだよね?」
「そうだね」
「私、一人で大丈夫だから、」
「今度は誰の頭の上にテニスボール降らすの?」
「...なんか、今日のリョーマくん、いつもより意地悪」

全てのボールを入れ終わった籠を持って立ち上がる。目の前で同じく立ち上がって、歩き出そうとした彼女が僅かに顔を歪めた。ちらり、と一瞬左足を見て、眉にきゅっと力を入れる。そうして歩き出そうとする様子に、溜め息をついた。次に何が起こるか目に浮かんでくるようだった。


「これ持ってここにいて」
「え?」
「いいから」
「え?え?あ、リョーマくん!」


背中で名前を呼ぶ彼女をそのままにスタスタと備品庫に向かう。

放課後、ほとんどの部活動は終了して夕日に照らされたテニスコートは静かだ。まだ少し冷たい風がコートを駆け抜けて、髪をさらさらと揺らす。


女子一人では決して軽くないだろうテニスボールの山。部員に手伝ってもらえばいいものを、どうして一人でやろうとするのか分からない。彼女のことだから、変に遠慮して一人でやろうとしたのだろうが結局こうなるんだから最初から誰かに声をかければいいと思う。

まあ、それが彼女らしいしあれで頑固な上、天才的にドジだから回避は無理かもしれない。それに、気を遣ってるのか知らないが、何かあっても言わずに隠す。寄せられた眉を思い出して溜め息をついた。

彼女を見てると、もっと上手く立ち回ればいいのにといつも思う。そんな彼女を見ていると、不快ではない感情がざわざわと動く。それが何故なのか、もう気付き始めていた。


備品庫に籠を戻して扉を閉める。そうしてこれからまだ残っている厄介事に耐えきれず溜め息をついた。

放っておけばいいのに、と自分でも思う。





「あ、リョーマくん、ありがとう、ごめん、...ね?」


行きと同じようにスタスタと戻って、壁に寄りかかっている彼女が持つテニスバックと鞄を、素早く肩にかける。吃驚した顔をして突然の行動に語尾が疑問系になった竜崎の視線に、全力で気づかない振りをした。


らしくない。つくづく。でもどうしろって言うんだ。


そもそも帰ろうと、この道を選んだのがいけなかったのかもしれない。くるりと背を向けて校門に向かおうと歩き出す。が、ふと思い立ってその歩調をいつもより緩めた。


「...あの、リョーマくん?」
「何」
「うん、あのね、私のテニスバッグ...え?私のテニスバッグだよね?」


きょとんとした顔をして、彼女が問いかけてくる。これが竜崎のテニスバッグじゃなかったら誰のバッグなんだよ。悪いけどこんなクマのプリントが入っているバッグは欠片も趣味じゃないし、間違っても自分のじゃない。


「そうだね」
「だよね!良かったあ...あの、私自分で持つよ」


会話が噛み合っていない気がする。天然なのは知っていたが、彼女はこの先大丈夫なんだろうかとふと考える。自分が心配するところじゃないと分かっていても、壺を売られそうになって断りきれず慌てている竜崎が見えてくるようだった。アホらしさにもう何度目か分からない溜め息を呑み込む。


「別に、ついでだし」


何のついでなんだか、自分でもよく分からなかった。むず痒い感覚に逃げたくなって、それでも歩調を速めることはできず、家がひたすらに遠く感じる。



だからそのとき聞こえた声に、露骨に視線を逸らしてしまったのは別に悪くないと思う。



「お、なんだお前ら今帰りか?」
「桃城先輩、お疲れ様です」
「...ども」


明らかに自分の私物ではないクマのテニスバッグを持っているのを確認した桃城が、おっと意外そうな顔をする。そうして、桃城に身体を向けてぺこりとお辞儀をした竜崎を見て、合点をしたようにこちらを見た。


「越前、これ使え」
「....」

こちらに歩み寄って自転車を側に止めた桃城が、籠から自分のテニスバッグを出す。

自分は歩いて帰るらしい。いつだったか5段階で尊敬度を表すなら自分はいくつだと、やけに真面目な顔で聞いてきた桃城を思い出す。まあ、今なら5かもしれない。


「今度、ジュース奢れよ〜」
「...どうも」


桃城がひらひらと手を振って帰っていく。

(...あの先輩、後輩にたかる気か)

胸中で尊敬度は直ぐにプラスマイナス0に戻った。

明日にでもにやにやしながら詰め寄ってくる姿が想像できて、溜め息と一緒に自転車の籠にテニスバッグを、ぼすんっと入れる。


何がどうなってるのか分からないのだろう、瞳を瞠ったままその場に突っ立っている竜崎を振り返る。


「乗れば?」
「...へっ?」
「それとも歩いて帰る?」
「えっと、...」
「その足じゃ無理でしょ」


驚いた竜崎が更に瞳を見開いてこっちをじっと見てくる。


「....気付いてたの?」


かちゃかちゃと調整して自転車に跨がる。一向に乗って来ようとしない気配に痺れを切らして、もう一度振り返った。


「行くよ」
「え、あ、はいっ!」


ひょこひょこと歩いて、目の前まできた竜崎が、びしりと固まる。
今度は何だと視線をやって、ああ、そういうことと納得した。


「捕まってないと落ちるよ」
「....」
「嫌ならいいけど」
「いっ、嫌じゃない、よ!嫌じゃない、けど...」

かあっと顔を真っ赤にする竜崎にもういっそハンドルに顔を伏せたくなって、髪をかき混ぜながら有無を言わせぬように名前を呼んだ。


「竜崎、早く」
「は、はいっ!...し、失礼します」


そっと、ゆっくりと、おっかなびっくりするように荷台に乗った竜崎が、これまた静かにそろそろと、シャツの端っこを掴む。


「落ちるっての」
「きゃっ」

その手を掴んで腰に回したあと、小さな悲鳴と背中にある体温を振りきるようにペダルに力を込めた。


「リョ、リョーマくん」
「何」
「あのね、...ありがとう」


小さな手がシャツを握る感覚がする。



周りの景色が後ろに流れていく様子と、背中にある温もりにペダルを漕ぐスピードを少しだけ緩めた。









(この気持ちは止められない)






タイトル:メルヘン様より



第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -