彼女はとても綺麗なあかなのだ。
どんなあかかと問われたら、私は答えに窮するだろう。彼女の赤髪は形容しがたい。
私はこの世界に飛ばされて来て初めて彼女を見たとき、小学校のとき毎日背負っていたランドセルを思い出した。私は本当はあかのランドセルが嫌だった。そしてそれは誰にも言えなかった。レッドという主人公的な響き、あかから連想させる血の色、鮮やかすぎて目に痛い色彩、、、私はあのあかが大嫌いだった。
でも彼女のあかは大好きだ。この世で一番。
彼女はとても優しいのだ。
奴隷商人に目をつけられ足枷をはめられることとなった、別世界から来た私を、あの領主はめずらしがった。
あちらの世界の話をしろ。領主は私を見ないでそう言った。
知る限りの敬語を使って、彼の機嫌を伺いながら私は話した。領主は私の話がつまらないと、私の身体を蹴って、鞭で叩いた。髪を掴まれて頭を何度も何度も踏んで蹴られた。そんな扱いは初めてだったから、茫然自失した馬鹿な私は抵抗した。すると、領主はぎらりと光る刃で私の薄汚れた肌を切り裂くのだ。
夜、領主から束の間解放されたとき、彼女は言った。
「領主様の前では身分をわきまえてください、、、」
私はすこしむっとして顔を上げた。
「でなければあなたもあの方に殺されてしまいますよ」
「でも、、、」
「あなただけではありません。領主様の機嫌を損ねると、他の奴隷も、、、」
私は理解した。
私が反抗すれば、他の人にも迷惑がかかるのだと。私は、私は、、、奴隷なのだと。
黙り込んだ私を、彼女がいたわるように、ぎこちない手付きで背中を撫でてくれたのを、今でも思い出せる。
彼女は、今まで領主が殺した人間を、何人見てきたのだろう。
彼女は、奴隷から抜け出したいとは思わなかったのだろうか。
奴隷の存在を疑問に思わないのだろうか。
脚の鎖がひどく重たかった。
彼女はきらきらを持っていた。
その輝きは、普段のむすーんとした表情や鎖の音に隠されて、いつも見えたわけではないけど。
「髪、綺麗だね」
「私の、髪が?」
「うん。もと居た世界には、あかい髪はなかった。あ、でも髪をあかく染めてるひとならいたよ」
彼女は訝しげに眉根を寄せた。
「染める、、、?髪を?不思議な世界ですね、、、」
「私にしてみればこっちの方が不思議だよ。でも君以外の赤髪は見たことない。なんでだろ」
「それは、、、私がファナリスだからです」
そのとき、彼女のきらきらが見えた。彼女の無表情から、それ以上、何かを読み取ることは、私にはできなかった。きらきらの正体は後からわかった。迷宮でゴルタスが言った、誇り。
そう、そのきらきらこそは、誇り、だったのだ。
彼女はとても強かった。
敵がいれば、彼女はその強靭な脚を使って、自分より大きな相手でも降参させ、領主を悦ばせた。
トーン、トーン。同じ間隔で繰り返される跳躍が、私を惹き付けて離さなかった。
彼女の蹴りが相手の顔にのめり込む度に彼女のあかい髪が広がって、一層躍動を感じさせた。
「すごいね」
「いえ、、、」
あの足枷さえなければ、彼女はもっと高く、もっと強く跳べるのだろう。
すこし彼女が羨ましくなって、そんなふうに思う自分がかなしくなった。
彼女はとても美しかった。
私たちを解放してくれたアリババさんがバルバットという国へ旅立ってから、彼女はいつも考え込んでいた。
「アリババさんが行ってしまった、、、バルバットとはどんな国なんでしょう、、、」
「彼の行くところだから、きっといい国だよ」
私は無責任にそんなことを言った。
「私は、、、まだあの二人にちゃんと恩返しができていないのに、、、」
そう呟く彼女の横顔は物憂げで私は彼女までいなくなってしまうんじゃないかとこわくなった。
けれどそれ以上に彼女のまっさらな美しさに安心したのだ。
彼女は何処で何をして、何を考えて生きているのだろう。
誰か−−−アリババさんやアラジン、あるいは私の知らない人−−−と一緒に普通の暮らしをしているのだろうか。
「名前(なまえ)さん。私、バルバットに行きます」
「え、、、そ、そっか、、、」
「故郷への船が、バルバットから出ているそうなんです。」
「ああ、、、カタルゴだっけ、、、アリババさんにも会えるかもだね、、、」
彼女はバルバットの近くを通る隊商に、そこまで連れていって貰えるのだと私に話してくれた。聡明な彼女はあえて、私に行くかは聞いてこなかった。
そのかわり彼女は私に、またいつか会いましょう、そう言い残して、隊商のひとたちとチーシャンを去って行った。駱駝の影が砂漠の砂で見えなくなるまで、私は彼女を見送った。
私はせっかく慣れてきたチーシャンでの安定した暮らしを手放したくなかった。また捕まって奴隷にされたら、と思うと、別世界の見知らぬ土地に足を踏み入れるのが怖かった。
いま、急にあのあかが懐かしくなったのだ。
どうしてあのとき、彼女について行けなかったのだろう。後悔ばかりがつのる。
林檎のあか、スイカのあか、木の実のあか、風俗のお姉さんの口紅のあか、外国の服の刺繍のあか、転んだ子供の膝にできた擦り傷の血のあか、薪の燃えるあか、その薪を包み込むようにゆらゆら揺れる火のあか、新しい雇い主の家の趣味の悪い絨毯のあか、、、どれも彼女のあかとは違う。
私だってあの少年ふたりにはまだお礼ができていないのだ。彼女にいちばん伝えたかったことも言えてない。
思えば私はこの世界をなにも知らない。
バルバットやカタルゴ、チーシャンがどこに位置するのか、迷宮攻略は結局なんだったのかだって理解してない。
地図を買おう。この世界の。
資金ならじゅうぶんある。とりあえず、バルバットまで行ってみよう。
私は目を閉じた。
こっちの世界はどれくらいの広さなんだろう。アラジンが使ってた魔法、、、あれは私でも使えるのかな。
彼女には会えるんだろうか。
きっと、ううん、絶対会える。
だって彼女はまたいつか会おうと言ってくれた。
再会したら私は彼女に抱きついて、あかの髪を撫でて、足技を見せてもらって、彼女の名前を呼ぶだろう。
モルジアナ、愛してる。
そう伝えるところを想像したら、なんだかくすぐったくなって、もっと彼女に会いたくなった。
私は次の日、地図と彼女の面影と一緒に、バルバットを目指すべく、チーシャンを後にした。
夕焼けのせいで砂漠の空は真っ赤に染まっていたから、私は一度だけ、モルジアナ、と彼女の名前を確かめるように呟いた。