今思えば、彼はとても変な奴だったような気がする。
しかし、呆れるくらい幼かったあの頃のおれの目にはそうは映らなかった。むしろ一種の憧れのような感情を抱いていたんだと思う。なんにせよ、おれはいつだって彼の後ろをついて回っていて、おれは彼が大好きだったというのは確かなことだった。


君の最初の一言は、



彼と出会ったのは、おれがオヤジに拾われて白ひげ海賊団の船に乗り始めてから少し経った頃だっただろうか。あの日はたまたま、いつもは寄りつきもしない書庫に本を探しにいった。今までの航海日誌を読みに行ったんだったか。
はじめて入った書庫の中は、薄暗かった。湿り気を防ぐためなのか、結構上の方にあるここには窓があるはずなのに、薄暗い。なんとなく気味が悪いな、と思いながらも、おそらく窓から差し込んでいるであろう淡い光を頼りに進んでいく。

「…気味が悪ィよい」

思わずそう呟いた。

「失敬だなァ」

「…っ!」

耳元で突然聞こえた声に肩を竦めて、慌ててその場から距離を取った。

「だっ誰だよい!」

「およ?驚かせてしまったか」

そう言ってボリボリ頭をかいて苦笑しているのは、まったく見覚えのない奴だった。ぼさぼさの金に近い茶髪に、顎にそって生えた無精髭にビーチサンダルの年齢不詳の男。この船はそれほど大きいわけではないが、なにぶん人数が多いせいでまだ知らない奴も多い。この男もその内の一人なのは確かだ。

「ワリィワリィ。悪気があった訳じゃないんだよ、青少年」

ポン、と頭に乗った手の平。慌てて頭を振ってふるい落とした。

「なにすんだよい!」

「お前、マルコだろ」

「え?」

「おやっさんから聞いてる。威勢のいい悪ガキが入ったってよ」

そんな風に言われていたなんて思っていなかったおれは、頬に血が上り熱くなるのを感じた。その様子を気にするでもなく、変な男はおもむろに煙草を取り出して火をつけた。

「…ここ、書庫だよい」

「海賊だからな」

よくわからない理由を告げて、ひょいと肩を上げる。

「で、青少年はなに探してんだよ」

青少年という妙な呼びかたに眉をひそめたが、さっきのやり取りからして言うだけ無駄だろうと思って文句は飲み込んだ。

「…航海日誌」

言い渋ってもしかたがないが、なんとなく素直に言うのも悔しいから小さく唸るように目的のものを呟くと、男はにやりと唇を歪ませた。

「航海日誌?ああ、それならこっちだ」

なんだか甘い香りのする煙を燻らせて歩きだした男の後について、薄暗い書庫を歩く。男の足は迷いなく書庫の奥へ奥へと進んで、施錠された扉で閉ざされた本棚の前で止まった。

「ここだ。古い日誌は全部ここに入ってる。持ち出しは厳禁だ」

一度煙を吐き出して、くわえ煙草で鍵を開ける。

「ま、読み終わったら適当に呼んでくれ。おれは必ず書庫のどっかにいるからよ」

「わかったよい。えーっと…」

そういえば、名前を知らない。言葉を止めたおれに、男はニッコリ笑って顔をずいっと近づけた。鼻先が触れそうな程の近さに思わず一歩下がると、更に男は笑みを深めた。

「書庫の妖精さんってな」

「はあ?」

「じゃ、そゆことで」

煙草持った手でひらりと手を振って背中を見せた男に首を傾げて、おれは本棚の扉を開けた。わけがわからなかった。
古い紙の匂いに目を細めて、一番新しいものを手に取った。破れたりしないようにそっとページをめくる。少し癖があるが綺麗な文字で書かれたそれをゆっくり辿る。
新しいといっても、オヤジの部屋に入りきらなくなったものをしまっているものだからそれは一年以上前のものだ。おれが船に乗る前の出来事ということになる。
自分の知らないことを知るのは楽しいことだと思うおれの、ページをめくる手は止まらない。静かな書庫ではページをめくる音以外、目立つ音はない。あまりに静かで読書には最適な空間の中、おれはどんどん日誌に書かれたことへ没頭していった。



パタン、と5冊目の日誌を閉じて丁寧に本棚におさめた頃には、窓から差し込む光は橙色へと変わっていた。まだ数冊残っているが、明かり無しではそろそろ読みにくい。暗さの増した書庫は不思議な雰囲気が漂っていた。
うん、と背伸びをして凝り固まった背中の筋肉を伸ばすと、ゴキリと背骨から嫌な音がした。
何時間経ったのかはよく分からないが、もしかしたらさっきの変な男はもう書庫にいないかもしれない。その場合は、これ、どうしたらいいんだろうか。
とりあえず探してみようと書庫を歩き回る。歩く分にはまだランタンはいらないが、さすがに暗いと思った。

「…」

窓際に置かれたソファの上で、寝ていた。
起こしてもいいものかと迷っていると、ふると瞼が震えた。チャンスとばかりに男の肩を揺らす。

「んぁ?」

「起きろよい。こんなとこで寝ると風邪ひくよい」

「んー?読めたか?」

「ああ。面白かった。ありがとよい」

眠そうな瞳がふんわりと細まった。そして、緩慢な動きで腕を上げたかと思うと冷たい指先がおれの頬に触れる。

「そりゃよかった」

振り払うのはなんだか悪い気がして動けずにいると、数回頬を滑って満足したのか、男の手は同じように緩慢な動きでもって離れていった。もぞもぞと動いたかと思ったら懐から煙草を取り出した。
それをぼんやり見ていると、煙草を挟んだ唇が意地悪そうに歪む。

「青少年にはまだ早いさ」

「なっ!」

そんなこと思っていたわけではないのに、まるで心を見透かされたような気がした。

「いらねェよい!ばか!」

勢いのまま、書庫を飛び出すと心底楽しそうな笑い声が追いかけてきて更に腹が立ったのは言うまでもない。
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