07



友達が学校に残って宿題をするなんて、驚くべき真面目発言をくりだした。というか、あんまり早く家に帰ると親がいるからうるさいらしい。一人で帰るのもあれだし、じゃあ私も宿題しようっと、ということで、教室に残ってお喋りしながら数学のプリントを終わらせた。
「そろそろ帰ろっか」
プリントが終わって友達が言った。時計を見ると、午後五時。余裕でおじゃる丸にも間に合う時間だ。
広げていたノートと教科書を片付けながら、友達の方に言った。
「よっしゃ早く帰――った!」
ろう、と言おうとしたら指先にびりっと痛みが走って顔をしかめた。友達が不思議そうにこちらを見る。
「どしたの」
「うわ!最悪!」
じくじくと痛む指先を確認すると、左手の親指の第一関節あたりがぱっくりと割れて血が滲んでいた。ノートのページか何かで切ったのかと思ったら、水色の表紙の端に赤い染みが出来ていた。
「えー!ちょ、ノートの表紙で指切ったんだけど!表紙で!」
「うっわ。いたそー」
友達も痛そうに顔をしかめた。ページで指を切るのはザラだが、表紙って初めてかも。
「保健室で絆創膏貰ってくれば?」
「あー、そうする」
家に帰れば絆創膏くらいあるが。貰えるもんは貰っとこうっと。がめついとか言わない。
友達は教室で待っていると言うので、一人で保健室に向かった。途中トイレに寄って軽く傷をゆすいだが、またじわりと血が滲むのであまり意味がない気がする。結構深くやっちゃったなあ。
足早に廊下を進み、保健室の前にさしかかった時。
――ガシャァンッ
「――わあ!」
「きゃー!」
「あー!」
「うわ!」
――ガタンッ
――バサバサッ
「……え?」
何やらすごい騒動の音がした。保健室の扉の前に立ち止まる。気のせいでなければ、この中から聞こえたのだが。
――保健室で何が。
好奇心に勝てずに扉を開いて中を覗いた。
「こらー!バレー部ーッ!」
「ひー……伊作先輩どうしましょう!」
高等部の男子制服を着た人が窓の外に向かって怒鳴っていて、中等部の男子制服を着た人が床に座り込んでその人を見ていた。室内では机が一つ倒れていて、その周りにはプリントがばらまかれている。また、床には薬の箱やら包帯やらが散乱していて、それらが収められていただろう棚の中には、代わりに黄色と青色のバレーボールが収まっていた。
――本当に何があったの!?
扉から覗き込んだまま呆然としていると、中等部の子――上履きの色から同級生だということがわかった――がこちらを見た。
「きゃー!」
「うわっ!なに!?」
悲鳴が女の子みたいだと思ったら、先ほど伊作先輩と呼ばれた人が驚いた声を上げて振り返った。それで私に気づいたようで、一度目を瞬かせてから苦笑してみせた。
「あ、ごめんね、驚かせて」
「い、いえ……えっと、これはどういう……?」
「あはは……いや、いつものこと……うん……」
私の問いに欝っぽい空気で返して、最後に先輩は深くため息をついた。な、なんかよくわからないけど大変そうですね。
「もしかして保健室に何か用事?」
「あー、一応……絆創膏一枚ほしいなー、って……」
そういう場合じゃなさそうだと思いながら答えると、そっか、と先輩は頷いた。
「入って。散らかってるけど」
「はあ、いえ、なんか大変そうなんで別に構わないんですけど」
「駄目だよ、怪我はすぐに処置しなきゃ!」
怪我って言うほどのものでもないんだけどな。そう思いつつ、なんかちょっと怒り気味に言われたので保健室に入って扉を閉めた。というか、散らかってるけどって学校の保健室で言うべき台詞じゃない……。
「伏木蔵、絆創膏と消毒の準備して」
「はあい」
指示を受けた伏木蔵というらしい子がふらっと立ち上がって棚に向かおうとした。なんか頼りなげだなと思って彼の足元を見ると。
「あ、ちょっと……」
「ひゃあ!」
「あー……」
床に散乱していた薬の箱を踏んずけて、面白いくらいつるっと足を滑らせて転倒した。足元ちゃんと見なさいよ……。
「伏木蔵!大丈夫――わっ!」
どすん、とまた何かが倒れた音がしたと思ったら、いつの間にか先輩がひっくり返っていた。一瞬は?と思ったが、彼の足元にプリントが沢山ばらまかれているのを見て納得した。彼も足を滑らせたようだ。
――なんていうか、この人達大丈夫かよ。
やっぱり家に帰ろうかなと思った時、保健室の窓の向こうに知った顔が覗いて目が合った。
「すみませーん……って、なんで花倉がいんの」
「加藤こそ」
オレンジのシャツを着ているあたり、部活中なのだろう。加藤はバレー部に所属していて……って、そういうことか!
「このボール、あんたが入れたの!?」
「あ!そんなとこに!」
棚の中のバレーボールを指さすと、加藤は目を丸くして声を上げた。
「あんたねえ、保健室にボール投げ込むとかありえなくない!?」
「ちょ、俺じゃねーよ!やったのは先輩!俺ぱしられただけ!」
加藤は慌てて言い繕って、保健室の中を改めて見回した。
「また派手なことになってるなー……」
「ちょっと団蔵!保健室の近くでボール使わないでって言ってるのに!」
「えー!そんなこと俺に言われても……七松先輩に言ってください!」
先輩に言われて、団蔵は眉を下げて答えた。もう、と不満げにぼやいて先輩は打った頭に手を添えて立ち上がった。
「ちょっと待ってボールとるから……」
「あー、先輩は片付けしてください!ボールは私が!」
「あ、そう?ごめんねえ」
また転ばれたら困ると思って申し出ると、先輩は少し驚いたような顔をしてからへらっと笑った。
ボールを棚からとって、足元に気をつけて窓まで寄る。先輩と同級生の子は二人とも床に座り込んで片付けを始めていた。
「ありがと、花倉。つか、結局お前はなんでここにいるわけ?」
「保健室に用事なんて、怪我か体調不良しかないでしょ」
「え?なにお前風邪?」
「そっちじゃないよ見てわかるでしょ」
風邪だったらさっさと帰ってるよ。じゃあ怪我かあ、と加藤は普通に呟いてから、えっと目を瞬いた。
「怪我したの?」
「ほら」
「うわ。カッターかなんかで切った?」
「カッターなんか使わないよ。ノートの表紙で切ったの」
「えー」
加藤は痛そうに顔をしかめた。大丈夫?と聞かれて、なんかいい奴だなと思いながら頷いた。そっか、と言いながら私の指をじっと見る。そんなに心配するほどのものでもないだろ、と思いながら、えーっと、と口を開いた。
「ほら、むしろ今日はちょうどいいっていうかね!」
「ちょうどいい?なにが」
「へへー。実は今日の『忍たま』は保健委員回だからね!」
『えっ』
加藤と話していたのに、何故か後ろで作業中の二人が反応を返した。不思議に思って振り返ると、二人は顔を見合わせて眉を下げていた。
「どうかしました?」
「えー、いや、別に……」
「うんうん」
先輩と同級生の子は二人ともそう言って目を逸らした。
――あ、まさかこの二人。
「加藤、あの人達の名前ってもしかして」
『ぎくっ』
その反応はやっぱり……。加藤は苦笑して言った。
「ま、バレたみたいだから言うけど。二組の鶴町伏木蔵と、高等部三年の善法寺伊作先輩だよ」
「やっぱり!?」
「団蔵ー!」
善法寺先輩は少し怒ったように加藤の名前を呼んだが、すみませんー、と加藤はへらりと笑った。
「ホントこの学校そんな人ばっか!」
「ちなみに二人とも保健委員だよ」
「まじか!」
――だからどういう偶然なんだってば!
加藤はけらけら笑って、保健委員の二人はため息をついた。
「もういいでしょその話!ほら、そっちの子、消毒するからこっち来て!」
いつの間にか保健室の片付けは終わったらしい。善法寺先輩が椅子を出してくれたので、はあいと言いながらそれに倣う。
「じゃあ俺部活に戻るから」
「はーい。頑張ってねー」
「おう!」
加藤はにっと笑って、窓から離れて駆けていった。
「団蔵と仲いいんだね」
「いやまあ、クラスメイトですから」
善法寺先輩の言葉にへらっと笑って返した。そっかあ、と善法寺先輩も柔らかく笑う。雰囲気もどことなくいさっくんに似てる感じがする。
「なんか似てますよねー」
「え?なにが?」
「いや、『忍たま』の」
「げっ」
言った途端に顔をしかめられた。私なんかは『忍たま』のキャラと名前被ってるとか羨ましすぎるのに、こういう人達の多くは、『忍たま』の話を出す度に嫌そうに顔をしかめる。鉢屋先輩によると、昔からそのネタでからかわれていたから嫌気が差したらしい。彼らも複雑なようだ。
「いいじゃないですかー。羨ましいですよ」
「やだよー。嬉しくないって」
善法寺先輩は肩を落として言う。鶴町くんはそんな彼を見て眉を下げて笑った。
「でも私、いさっくんが二番目に好きなキャラなんですよー」
「え!そうなの?」
しかし先輩は私の言葉にぱっと顔をあげて嬉しそうにした。
「いえ、先輩のことじゃないですよ」
「わ、わかってるよ。はっきり否定しなくても……」
「ふふ。花倉さん、すごいスリルぅ〜」
「ん!?」
鶴町くんがナチュラルに言った。あの台詞を。
「え、鶴町くんその台詞」
「えへへ。キャラ作り?」
「すごい!意識高い!」
「あれ、なにその反応」
善法寺先輩がきょとんとしていた。
だって名前被ってるからって!二次元キャラと同じ台詞言うなんて!三次元で白い目で見られるのも気にしないってことだね!というか妙に似合ってるから白い目も無いのかもね!なんなんだその似合い方!
「鶴町くんすごいね!」
「よくわからないけど……ありがとう?」
「なんか変わった子だね……はい、終わり」
善法寺先輩に言われて、一瞬目を瞬かせた。が、いつの間にか綺麗に巻かれた絆創膏に気づいて、そういや絆創膏貰いに来たんだったと思い出した。
「ありがとうございます」
「はい。気をつけるんだよ?小さい傷も、ほっとくと大変な事になるかもしれないんだから、怪我は出来る限り少なく……」
「あー、はい」
長くなりそうだと思って、適当にあしらって椅子から立ち上がった。すると先輩は言葉をやめて、にこっと微笑んだ。
「失礼しましたあ」
「はあい」
「さようなら〜……」
善法寺先輩と鶴町くんにそう見送られて、保健室から出た。また『忍たま』のいさっくんと伏木蔵によく似た人達だった。なんなんだろう、本当にこの学校は。
――ま、やっぱり二次元のいさっくんと伏木蔵の方が、格好いいし可愛いけどね。
三次元じゃ勝てないよなあ、と思いながら教室に向かっていると、遅いっ!と怒っている友達が、私の荷物と彼女の荷物を持って歩いてきた。ごめんほとんど忘れてた。


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