09



何か物を取ろうとして手を伸ばすと、まったく予想外に横から手が伸びてきて、自分の手と相手の手が軽く触れ合う。驚いて二人の目がぱちりと合う。
その上取ろうとした何かがその場に一つしかないものだったりして。例えば欲しい本とか。どうぞ、いえいえあなたが。控えめにやりとりして、結局困ったように二人で笑い合う。
――まあ使い古された少女漫画的展開だ。
私としては、そんなことが例えば本屋で起こったとして。とにかく一度店員さんに在庫があるかを尋ねるのが一番にすることだと思うのだ。下手にどうぞの押収、もしくは双方譲る気がなくて睨み合ったところで、何も解決しない。代わりに恋が生まれるって?そんなものはいらん。
――今私はそんな立場に立っている。しかしながら、私が手に取りたいものは確実にこの場に一つしかない。そしてこれを譲れない理由が、間違いなく客観的に見て私がこれを取るべき理由が、きちんとある。この、私と同じものを取り上げようとする背の高い先輩ではなく、私が、これを取るべき理由が。
「……あの、離してくれませんか」
「なんで」
「なんでって……むしろなんで貴方がこれを持っていこうとしてるんですか」
「いや、それはこっちの台詞なんだけど」
「いやいや、絶対に私の台詞です。貴方、何年生ですか」
「見てわかるでしょ。中等部三年生」
「ですよね」
上履きの色で、ちゃんとわかってたよ。だからこそ、これは私のものだ。
「――ここ、一年生の靴箱ですよ?そしてこれは私のローファーですよ?何言ってんですか?」
「嘘。ここは三年生の靴箱で、これは俺の靴。うん」
「うん、じゃないですよ!私のですってば!」
何言ってんだこの人!どう見てもこの靴じゃサイズも合わないだろ!目大丈夫か!?
「一年生のくせに生意気ー」
「ちょっと待ってくださいよ。私が悪いとでも言いたそうですけど、絶対私の方が正しいんですよ。まじで」
「何言ってんの。間違ってるのはそっちでしょ」
「だからぁ……」
さっきからこの問答の繰り返しだ。なんでこの人はまったく譲る気がないんだよ。なんでそんなに自信満々なんだよ。
「この番号、見てくださいよ!」
靴箱のそれぞれの置き場の上には、ナンバープレートがついている。私のは65。もし彼が三年生の65番ならどうしようもないが、そんな確率は低いだろう。
「貴方の番号じゃないでしょう?」
そう言うと、先輩はうーん、とそのナンバープレートをじっと見てから。
「ああ。俺、自分の番号覚えてないの」
「なんですかそれ!!」
覚えとけよ!もう腹立ってきたんだけど!
「よしわかった。一旦落ち着こ。君、なんか混乱してるんだって」
「私がですか!?」
しかしそう言って先輩が手を離したので、渋々私も手を離す。このまま取って帰ってやりたかったが、さすがにそんなことをするのは怖い。なんといっても、相手は三年生の男子、私は一年生の女子なのだ。
「どう説明すればわかるかなぁ」
「待ってください。そもそもどうして貴方はこの靴が自分のものだと言い張るんです?」
「俺のだから」
「く……違うって可能性は考えないんですかねえ」
私がそう言うと、先輩はこれ見よがしにため息をついてみせた。
「はあ。君、普通に考えなよ。自分の靴箱なんか間違える?よっぽどの方向音痴じゃなきゃ有り得ないじゃない」
今その有り得ない状況なのがあんたなんだよ、と声にはせずに押し殺す。
「ほ、方向音痴ってなんですか」
「俺のクラスメイトで、すっごい方向音痴がいんの。もう、ほんと、何回も靴間違えて帰んの。あいつくらいだって、そんなことするの」
方向音痴だからってさすがに靴は間違えないだろ、と内心でツッコミを入れていると、あ、と先輩が呟いた。
「君も間違えてんだね、今」
――くっそ腹立つなあ!!私じゃねえよ!失礼すぎるだろ!
「それは、先輩の方ではありませんか」
「俺じゃないよ。だって俺は自分の靴箱に来たんだから、自分の靴が入ってるんだよ」
「私だって自分の靴箱に来たんですよ……」
えー、と先輩は面倒くさそうに眉を寄せた。ほんと、先輩だからって好き勝手な態度とりやがって……!
「あ、じゃあこうしよう。その靴がぴったりあった方がその靴の持ち主ってこと。なんで思いつかなかったんだろ」
「シンデレラかなんかですか……って、嫌ですよ!」
「なんで」
「だって私の靴ですから!先輩が履こうとして下手に伸びたら困るじゃないですか!最悪壊れるし!」
「だからあれは俺の靴だから、大丈夫だって」
「大丈夫じゃない……!」
本当にやめてくれ。あれは私の靴だ。背が高いと足も大きいと言うし、まじで壊れる。というか、友達の女の子ならまだしも知らない男子の足を靴に突っ込まれたくない。気分が悪い。
「逆にさあ」
と、先輩が口を開いたので見上げる。先輩は相変わらず面倒くさそうにしながら続けた。
「なんで君はそんなに自信満々なわけ?」
「……そっちこそ」
「俺が間違ってるって言うけどさ、なら君が間違ってる可能性もあるんじゃないの?」
先輩の言葉に少し黙りこんでしまった。
確かに私は絶対に間違っていないと思っていたが、見ている限り、この先輩も同じく自分が正しいと思っている。状況は私も彼も同じということだ。私は彼が間違っていると思うが、彼は私が間違っていると思っている。
――なら、私が間違っている可能性も、なきにしもあらず、ということ?
「……まあ、たしかに」
「でしょ」
「……え、じゃあ本当にどうすんですか」
「どうするもこうするも……やっぱり確かめるしかないでしょ」
ってことは。やっぱりシンデレラ方式ってことか。
く……本当に気分が悪いが……仕方がないのか………!
「……わかりました」
「ん。じゃあ君が右のを履いて、俺が――」

「――三之助えええ!てめーこんなとこにいやがったのかあああ!」

突然響いた声に驚く間もなく、目の前にいた先輩が消えていた。
「……え?」
「あ、作兵衛と左門。どこ行ってたんだよ、探したんだぞ」
「探したのはこっちだよ!!」
先輩の声は普通だが、それに対応している人の声はすごく怒っている感じだ。
先輩は廊下の方に連れ出されて、赤茶の髪の人にガミガミ怒られていた。きょとんとして見ていると、赤茶の髪の人の隣にいる、三人の中では一番背の低い人が私に気づいたらしかった。
「えー。三之助、迷子になってたくせにナンパしてたの?」
「はあ!?お前ほんっといい加減にしろよ!?」
「ちげーよ、ナンパとかじゃないって」
三之助と呼ばれている先輩は頭を掻いて否定しつつ、私を見やった。
「つーか団蔵の彼女でしょー?さすがにナンパとかしないしない」
「はあ?」
思わず顔をしかめてしまった。あれ?と先輩は首を傾げる。
「違うの」
「全ッ然違いますけど」
「あれー、おかしいな」
先輩は不思議そうに首を傾げた。
「マドカでしょ?」
「は?なんで名前……」
「団蔵から聞いてるから」
加藤から?加藤から名前の方を聞いたの?あいつは私のことを名字で呼んでるはずだけど。
「おい三之助っ!」
眉をひそめていると、赤茶の髪の先輩がなんだか慌てた様子で彼にこそこそと耳打ちした。あそっか、と先輩は呟いて、また私を見た。
「ごめん今のなし」
「は、はあ?」
「勘違い勘違い」
「こ、この馬鹿次屋が!」
赤茶の髪の先輩が呆れと怒りが半々の様子で額に手を当てた。次屋というらしい先輩は不思議そうに首を傾げ……っておい。
「先輩、次屋三之助って名前なんですか……?」
「おー。そうだよ」
――まじかよ!
「じゃあやっぱり私の靴じゃないですか!」
「だからぁ、それは俺の」
「馬鹿!そこは一年生の靴箱だ!!」
――お友達の先輩グッジョブ!
「ほら!」
「あれ?おっかしいなあ」
「いい加減に靴箱の位置くらい覚えろ馬鹿!つーか昨日履いて帰ったの俺の靴だったんだぞ!?」
「え、まじで?」
あんた二日連続でそんなこと……。赤茶の髪の先輩は苛立たしげにくそっと悪態をついて、次屋先輩の腕をがっちり掴んだ。
「今日こそは間違えて帰んじゃねえぞ!」
「わかったわかった」
「じゃ、マドカばいばーい」
「え、はあ……」
「迷惑かけたな!」
三人はそのまま三年生の靴箱に向かったらしい。
――なんで普通に下の名前で呼ぶんだよ。初対面なのに。
しばし呆然としていたが、三人が昇降口から出ていく声を聞いて、はっとした。私も帰らないと。
――なんだろう、変な感じがする。
「――花倉ー、何してんの」
「……っえ!加藤!?」
「おうっ?なんでそんな驚くの」
「あ、いや、別に……」
思わず変に声をあげてしまった。加藤は少し不思議そうにしただけで、自分の靴を取り出した。私も靴を取りながら、あー、と口を開いた。
「加藤ってさぁ……」
「ん?なんだ?」
――なんで、私の、名前、を先輩に紹介したの?
「……いや、次屋先輩って知り合い?」
「あー。うん。部活の先輩。中等部の方の部長してる」
「ふーん」
「なんで?」
「さっき会ったから……私の靴を自分のって言い張ってた」
「あの人はまた……」
加藤も呆れたように眉をひそめた。
「また名前被ってるね」
「他に先輩が二人いなかった?いつも三人で行動してるんだけど」
「ああ、髪が赤茶色の人と、背の低い人?」
「そう。あの二人も名前被ってるぞ」
「え……もしかして富松作兵衛と神崎左門、とか?」
「そう」
「まじか!」
着々と『忍たま』キャラの名前が現実の人間で埋まっていく。なんなんだ、本当に。
「リアルでも方向音痴なわけ?あの二人」
「そうそう。次屋先輩は無自覚な方向音痴で、神崎先輩は決断力のある方向音痴。そのまんま」
「うっわー……そこまで被ると、逆に怖いんだけど」
「あはは」
加藤はけらけらと笑った。
「じゃあなー花倉」
「うん。ばいばい」
加藤は駐輪場に向かって、私はそのまま歩いて帰路に着いた。途中で加藤に追い抜かされたので、手を振っておいた。
――なんとなく聞けなかったなあ、名前の件。


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