08



加藤の机に図書室の本が置いてあって、私は思わず口をついて言った。
「うわ。加藤が本読んでるなんて明日は雨か」
「どういう意味だよ花倉!」
加藤が眉を寄せたので、ああごめん、と軽く謝る。謝りながら、なんとなくその本を手にとった。
「なにこれー。馬?」
「そ。思わず借りちゃってさあ」
「加藤あんた馬に興味あるわけ?」
馬の生態やら飼い方やらの書かれた本だ。特に動物が好きでもない私にはあまり興味のわかない本だが、これを思わず借りちゃうなんて。
「うち馬飼ってんのー。知らない?」
「はあ!?まじで!?」
衝撃の告白だ。加藤は私の反応にけらけら笑った。驚きすぎーっ、と言うが、そりゃあ驚くだろ。
「あんたそれ本格的に団蔵と被るじゃん」
「げっ!そ、それはいいだろ別に!」
「ウケ狙い?」
「んなわけあるか!」
加藤は少し怒ったように言う。ウケ狙いじゃなきゃなんなんだろうか。
「父さんが馬好きなんだよ」
「へえー。今時の一般家庭で馬飼うって相当珍しいよね」
「ま、二頭だけな」
「一頭じゃないの!?」
むしろ二頭って言われて余計驚いたわ!
加藤の新しい一面を知った、と思いながらぱらぱらと本を捲っていると、はらりと紙切れが落ちた。図書室で借りた時に挟まれる、貸出し日と返却期限の記された紙だった。
何気なく拾い上げて確認し、私は思わずうわっ!と声を上げてしまった。加藤が不思議そうに首を傾げる。
「なに?」
「ちょ、加藤!あんたこれ返却期限昨日までだよ!?」
「えっ!まじで!?」
加藤は私と同じく焦った顔をして、慌てて紙切れを確認した。そしてさっと顔を青ざめさせた。
うちの学校では、図書室の本の返却期限を過ぎることは途轍もなく恐ろしいのである。言わずもがな、あの図書委員長のことだ。
高等部三年生、中在家長次先輩。彼もまた『忍たま』のキャラと名前が丸被りであるが、名前だけでなく、本の返却に対して素晴らしく厳格なところもそっくりなのだ。さすがにアニメみたく攻撃はされないが、あの強面での圧力はなかなか耐え難いものがある。
「やべえ!どうしよ!怒られる!」
「まあ、期限忘れてたあんたが悪いっちゃ悪いけどね」
「花倉冷たい!うわー、今日の部活怖ぇーっ!」
加藤は頭を抱えて嘆く。中在家先輩は加藤も所属するバレー部の、高等部の副部長を務めている。一応バレー部は中高で別れているが、実質的には一つの部活のようなものだ。メニューも先輩方が決めるらしい。
「放課後になる前に一言謝りに行っといた方がいいんじゃない?」
「ううー。そうするかなぁ……」
加藤は顔をしかめて小さく頷いた。とりあえず放っておくよりはマシだろう。
「あ!そうだ、花倉!ついてきて!」
「はあ!?なんで私が!嫌だよ怖い!」
「頼む!通訳してくれ!」
加藤は顔の前で両手を合わせて言った。中在家先輩は学校一無口とも言われるほど口数の少ない人で、その上たまに話したかと思えば声がとても小さくて低い。慣れていなければ聞き取りにくいのだ。図書委員はよく中在家先輩の指示を聞くから、自然と中在家先輩の声をしっかり聞き取れる。そういう訳で、適当な通訳係にされることが度々あるのだ。設定が一々『忍たま』と被る。
――中在家先輩が怒ってんのとか見るの怖いんだよなあ……。まあ、加藤も反省しているし、いっか……。
「……しょうがないなあ」
「ありがとう花倉!」
渋々頷くと、加藤は心底安堵したように笑った。


そうして、次の休み時間に加藤と私は高等部三年生の教室に向かった。その階には高等部の二三年生の教室が集まっている。馬鹿っぽい言い回しになるが、中等部の制服は装備が足りない気がする。
「――留三郎ぉー!ごめんよぉー!」
「ぎゃあ!またかぁ!?」
階段を登りきったところで、そんな声が聞こえた。廊下に出て声の聞こえた方に目を遣ると、廊下の真ん中で男子生徒二人が騒いでいた。というか、一方が一方の腰に抱きついて何度もごめんごめんと繰り返している。
「な、なにやってんだ、あの二人……」
「痴話喧嘩?」
「うえー。やめろよぉ」
加藤が嫌そうに眉を寄せた。冗談だって、と言いながらあの二人を見ていると、片方は知っている人だと気がついた。
「ああ、あの抱きついてる人、善法寺先輩か」
「そうだな……」
いさっくんと名前が被ってる善法寺先輩。一発で覚えたっての。
「留三郎ぉー!本当にごめんなさいー!」
「だーもう!やめろー!」
留三郎と呼ばれている人が苛立たしげに善法寺先輩を引きはがした。ちょっと何があったのか気になるところだ。
「どうしたんだろうね」
「……いつものだろ」
「え?加藤知ってんの?」
「まあ……ほら早く中在家先輩のとこ行こうぜ。休み時間終わる」
「おー……」
加藤は教えてくれるわけでもなく三年二組の教室に向かった。しかしあの二人は三年三組の教室の前で騒いでいるので、必然的に近くに寄ることになるのだが。
「つーかなあ!お前あれ見んなっていつも言ってるだろ!」
「だってえ!怖いもの見たさっていうか……つい気になっちゃうんだもん!」
「だからそれをやめろって……!」
どうでもいいけど、善法寺先輩、だもん、が似合うとはなんて恐ろしい男子高校生だろう。
と思っていたら、善法寺先輩に抱きつかれている人がこちらを見てあっと声をあげた。
「加藤団蔵!ちょうどいい!なんとかしてくれ!」
「げっ!なんで俺が!」
あれ、加藤あの人と知り合いかと思った時、加藤がはっとした様子で私を見た。首を傾げると、やべ、と呟いてその先輩に駆け寄った。
「ちょ、先輩!」
「伊作のやつ、また『忍たま』の同室シリーズとかいうの見やがったみたいで!」
「ああー!それ言っちゃだめ!」
――加藤は悲痛な声で叫んだが、私の耳にはハッキリ届きましたよ、ええ!
「善法寺先輩『忍たま』見てんですかー!?」
「うあっ!この前の!」
「その反応酷くないですかね」
善法寺先輩は慌てて私を見て顔をしかめた。失礼だと思います。まあそれはどうでもいい。
「この前はそんな感じ全くなかったのに!びっくりですよ!」
「そういう反応だと思って言わなかったのに……」
「なんでですか!珍しい同志ですよ!もっと語りましょう!」
さあさあ!という心持ちであるが、善法寺先輩にはやだよ!と大きな声で拒否されてしまった。
「同室シリーズいいですよね!私好きです!」
「だから語らないってば!」
「特にいさっくんがウザ可愛くて!」
「ウザ……ッ!」
突然善法寺先輩が固まったかと思うと、またうわーん!ともう一人の先輩に抱きついた。
「ごめんね留三郎ー!ウザくてごめんねぇー!」
「ぎゃー!だからーッ!」
今の状況も結構うざい、と思いながら見ていると、もう一人の先輩はついに善法寺先輩の横っ面を押して引きはがした。
「さっきからお二人は何してるんですか」
「悪化させといて!」
加藤が何か言ったが知らん。
もう一人の先輩は私の方を恨ましげに見つつ答えた。
「こいつ、アニメで俺に迷惑かける度にこうなんだよ」
「え?」
一瞬意味がわからなかったが、そういえば。
――留三郎って呼ばれてたけど。
「この人、食満留三郎先輩って言うんだよ……」
「うぇーい!」
まじか!
「なんだよその声……もう、早く行くぞ!休み時間終わるってば!」
「おい団蔵!だから伊作をなんとか……!」
「無理です!ご自分でお願いします!」
加藤は結局きっぱり断って、三年二組の教室に向かった。私もそれに続きながら、先輩方をもう一度振り返った。
――リアルでも迷惑かけられるなんて、大変そうだなあ食満先輩。
留さんと名前被ってる幸福は、そのへんで相殺されてるのかなと思った。


「な、中在家先輩いらっしゃいますか?」
「……どうした」
「おお、団蔵だ!」
「なんで七松先輩もついて来るんですか……」
「ちょうどいい!昼休みにバレーするから、お前も遊びに来い!」
「え、えー!嫌ですよ!」
「えー……ところで、団蔵何しに来たんだ?」
「あ……あはは、えっと、図書室の本、期限が昨日まででぇ……」
「……もそ」
「え?」
「『返却期限はきちんと守れ』とおっしゃってる」
「す、すみませんでしたっ!」
「じゃあお詫びに昼休みのバレー付き合えよ!」
「げっ!なんでそうなるんですかぁ!」
「ついでにそこの女子も来い!」
「え、いや、私は……!」
「女子でも私のアタックくらい取れなきゃな!」
「うぇーい!」
まじか!


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