> らくがき-5



ずっとお喋りしていた友達が教室から出て行ってから、ようやく私は古典のノートを机から取り出した。自分のノートを机に広げて、尾浜から又借りした久々知くんのノートを捲って今日の授業の部分を探す。
――久々知くんって、字綺麗だなぁ。
角ばった字は男の子っぽいが、他の男子のそれのような荒っぽさが無い。習字でも習っているのかなと思える滑らかな書き方で、文字が整然と並んでいる。
すごいなー、と捲っていたら最後のページになった。そこには三行ほどしか書き込みが無いため、今日の授業は前のページからだろう。一ページ戻って、さてどこからだろうと目を通した時。
――えっ。
一瞬どきりとして、それからかあっと顔が熱くなって。
――なに、これ。
――もしかして……。
落ち着いて状況を理解しようとした時。
ガラッ、と教室の扉が勢いよく開かれた。
「……もしかして、見た?」
入口の前で、久々知くんが顔をしかめて立っていた。
「あ……えっと……」
――見た?って、これのこと、だよね。
まだよくわかっていない。ちらりともう一度ノートに視線を落としてみた。
「……う、うん、見た、ごめん」
とりあえず彼の問いに答えると、久々知くんはふと息を詰めて、はあ、と深いため息をついた。
「そう……」
なんだか疲れたように呟いて、久々知くんは教室に入ってきた。
――気まずい。どうしよう、何か言わなきゃ。
「あ、あの、ごめんね、ノート、勝手に……言っておけばよかった、ね」
「……うん」
久々知くんは低い声で肯定した。
――怒ってる?
――やばい、久々知くんに嫌われた?
俯いて口を引き結んだ私の視界に久々知くんの上履きが入ってきて、彼が私の前に立ったことがわかった。
「……ノート、ちょっと返して」
うん、と小さく頷いて差し出すと、久々知くんがそれを受け取って、私が開いていたページを見る気配。
そして。
「……は?なにこれ」
と、彼は声を漏らした。
――あれ?
その反応はおかしい、と思って顔を上げると、久々知くんは目を丸くしてノートを見ていた。
そのまま二三度瞬きして。
「っ、勘右衛門の奴……!」
憎々しげに呟いて、久々知くんの顔が赤くなった。
――こんな表情、見た事ない。
場違いにもそんなことを考えた。
「あ、あの……」
「夢野さん!」
声をかけようとしたら、久々知くんがいつになく大きな声で私を呼んだ。慌ててはいっと返事すると、久々知くんは慌てた様子で続けた。
「これ、違うから!勘右衛門のいたずら!気にしないで!」
「あ……そ、そっか!やっぱりそうだよね、びっくりしたあ!」
うんうんと頷くと、久々知くんは見るからに安堵したようにほっと息をついた。
――そりゃそうだよね!久々知くんがまさかノートに相合傘の落書きなんかしないよね!
――しかも相手が私とか!絶対ありえないよね!
「もう、久々知くんが落書きしてるっていうのがそもそもびっくりなのに!」
「う、うん、まあね」
真面目に授業を受けている久々知くんだ。几帳面そうだし、ノートの端に落書きなんか絶対しなさそう。
あはは、と笑ってみせると、久々知くんも眉を下げた苦笑を返す。いまいちギクシャクした雰囲気のまま、お互い笑い合っていれば。
「――ほんと、悪趣味ないたずらだな」
と、久々知くんが言った。
――そうだよね、本当に悪趣味だよね。
――だってあの人、私が久々知くんのこと好きって知ってるんだよ。
――それなのにあんな落書きしちゃってさ。
――ありえないのに。
――……一瞬、両想いかもなんて夢みたいなこと思っちゃったじゃん。ね。
視線が、落ちていく。
「……やっぱ、ノートいいや。明日友達に借りるから」
「ああ、その方がいい」
久々知くんの声はなんとなく安心した風だった。
――あーあ、なんかもう、やだなぁ。
古典のノートを帰る準備の終えた鞄に乱暴に突っ込んで、鞄を肩にかけた。
「じゃあ久々知くん、また明日」
努めていつも通りの声で、明るく。
――低くないよね?弱くないよね?震えてないよね?
――泣きそうだって、ばれてないよね?
足早に教室を出て行った。早く帰ろう、早く。
――勝手に期待して勝手に砕けて、本当に馬鹿みたい!
涙が目を潤ませ始めた。
「……夢野さん、待って!」

* *

ノートを乱暴に鞄に詰め込む仕草に少し驚いた。
その後に続いた声が、なんだか震えているように聞こえてまた驚いた。
――慌てて出ていく彼女の腕を、つい掴んで止めてしまったのはそのためだった。
――振り返った彼女が泣きそうな顔をしていて、つい口から零れた言葉は。

朝は幼馴染の彼らと五人で登校するのが、昔からの習慣だ。家から少し行ったところの十字路で待ち合わせて、そこから徒歩十分弱の学校に歩いていく。
俺が十字路に着いたときには、他の四人は既に集まっていた。
おはようと声をかけると、それぞれからおはようと帰ってきた。
そして四人は俺の顔を見るなり、みんなで顔を見合わせて、何か通じ合ったように頷きあい。
『やったな、兵助!』
と声をそろえて笑った。
――またバレた。この四人はどうしてすぐにわかるんだろう。

教室に入るなり、勘右衛門が小走りで彼女の席に向かった。
「おっはよー、夢野!」
「尾浜、おはよう」
今来たところなのか、鞄の中身をごそごそと漁っていた彼女は勘右衛門に目を向けて挨拶を返した。勘右衛門の目は好奇心で光っているのだろう。彼女はその目を見たからか、苦笑していた。
勘右衛門に続いて俺が席に向かったら、彼女はこちらを見て目を瞬かせて微笑んだ。
「――おはよう、夢子」
「――うん、兵助おはよう」
初めて呼ぶ名前は無性に痒くて、俺はついと目を逸らした。

らくがき

NEXT>後書き



前<<>>次
[5/7]

>>目次
>>夢