> のまれた-2



――今日も文次郎に逃げられた。まったく、無駄に忍者しているから厄介ね。
その日の人の寝静まった夜中、夢子はくの一長屋の廊下を渡っていた。
放課後のあの攻防は、彼女が昼間に作った団子のためだ。もちろん、ただの団子なわけはない。即効性の睡眠薬が混ぜてある。
――私の持ってきたものだからってすぐに警戒しちゃって。死ぬようなものなんか入れてないのに!
もちろん死ぬかどうかが問題なわけではないのだが、夢子は死なないものなら何でも食べさせて大丈夫だと思っている節がある。
結局日中は文次郎を捕まえることができず、夢子は不機嫌なままで長屋に戻った。
――勝負は明日に持越しかしら。
と夢子が部屋の襖に手をかけた時。
――……ギンギーン!……
「……ふふ、馬鹿な奴ねっ」
夢子は小さく笑って、部屋に入るのをやめて元来た廊下を足早に戻った。
――よし、今日こそ!

夜の闇の中から浮かび上がった影を見て、文次郎ははっと走るのを止めて身構えた。
「見たところ、マラソン中かしらねぇ」
「……何しに来た?」
文次郎が不信感むき出しに聞くと、夢子はくすりと笑った。
「いいえ、なにも。あなたの声が長屋まで聞こえてきたから、様子を見に来たの」
「ああそうか。早く帰れ!」
「そんな邪険にしなくてもいいんじゃないの」
「昼間散々襲ってきてそれはないだろ!」
文次郎が声を上げると、あら心外、と夢子は目を瞬いた。
「襲ってなんかいないわ。私の心のこもったお団子、食べて欲しいなあって思ったんじゃない」
「心じゃなくて怨念の間違いだろ」
「失礼よ、文次郎」
なにが失礼だ、と文次郎は内心吐き捨てた。痛くもかゆくもない癖に。
「まさか今さら食えとか言うんじゃないだろうな!?得体のしれない上にカッチコチの団子なんぞ食えたもんじゃないぞ!」
「やあね、そんな鬼みたいなことするはずないじゃない。あれはとっくに他の子達にあげましたっ」
お前忍たまの間ではくの一教室の鬼って言われてるぞ、と。言えば本当に鬼になるので言わないでおく。
「他の子達って……」
「気付いてない?」
夢子は首を傾げて、にっこり笑って見せた。
「会計委員会の子達。あなたと違ってみんな素直で可愛いわねえ」
「なっ、今日委員会に一人も出席しなかったのはお前のせいかッ!!」
夢子をなんとか撒いて、しばらく時間を置いてから会計委員会室に向かった。開始時間が過ぎても誰一人委員が集まる気配がなく、結局文次郎だけぽつんと一人でそろばんを弾いていたわけだ。
「今は忙しい時期なんだぞ!」
「知ってるわよ」
夢子はあっさり頷いた。だったら、と言いかけた文次郎を手で制して、微笑んだ。
「だからこそ、でしょ?」
――こいつ、やっぱり鬼だッ!!

会計委員会が現在とても忙しいということは、夢子もちゃんと知っていた。
――だからこそ、でしょ?
――ちゃんとみんなを寝かせてあげなきゃ。
一応、夢子にとっては親切心である。忙しい忙しいと言いながら何日も寝ずに過ごす文次郎とは違って、忙しいからこそ一度休憩を挟んだ方が効率的だという夢子の考えに基づく。
しかも夢子の口の上手さに乗せられて彼女の団子を食べた後輩達は、総じて眠りにつく直前『ありがとうございました……』という言葉を発した。そんなに寝てなかったのかと夢子でさえ驚いた。
――だからこそ、文次郎もきちんと寝かせなければならない。
夢子にとっては、親切心である。誰にも知られていないけれど。

「なにもしないわよ、本当に、ちょっと様子を見に来ただけ」
「お前がそんな平和的な態度をとるとは思えん」
「あらあら」
夢子が肩をすくめたのを見て、わざとらしい、と文次郎は顔をしかめた。どうせ本来の目的はいつものように酷いはずだ。
「バレちゃしょうがない」
「やっぱりなっ」
「ふん。でも様子を見るだけなのは本当よ?」
文次郎が半信半疑にしている。
――もう少しね。
夢子は内心呟いて、ふふっと含み笑いをしてみせた。それから面白そうな声で言った。
「実はねえ、明日はおはぎを作ろうと思ってて」
「敵情視察!」
「ご名答」
やっぱりそんなことか、と文次郎はため息をついた。今日と同じく明日も追いかけまわすつもりらしい。
「帰れ帰れ!」
「あら、潮江文次郎ともあろう者が、一晩の鍛錬を見られただけで、私に負けるというのかしら」
「そんなわけあるか!よしわかった、邪魔はするなよ、絶対だからな!!」
――ちょろいにも程があるわよ、潮江文次郎。
夢子は内心呆れながら、はいはいと頷いた。



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