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『私の本当の相談事を、ようやく明かすことができます。
私は、前世で一緒になれなかった恋人を探しているのです。その人も生まれ変わっているかどうか、そしてその人も私のことを覚えているかどうか。全く保証はありませんが、私はどれほど時間がかかっても探し出すつもりです。
前世で散々苦しめてしまった、あの人を』

――もしも、この相手が言っていることが本当だとして。
――今の時代の、この相手の前世の姿を、長次はほとんどはっきりと予想できている。

「長次!今日は、長次がボーロを作って!」
食堂に入るとすぐに、満がそう言って期待するような目を向けてきた。この日、彼はエプロンをつけていなかった。
お望み通り、長次が一人でボーロを作ってやった。
ここ一月の間に何度も二人で立った厨房で作業する長次を、満はずっと微笑を浮かべて見ていた。
「……どうぞ」
「わあ、ありがとう長次!さすが!」
満は嬉しそうに笑った。
お望み通りの、初めて長次が満にやったものと同じボーロを見て。
嬉しそうにしたまま、満は一口食べた。
無言のまま、二口、三口と含んで。
「――おいしい。長次、最高」
そう言って、歪んだ笑顔を見せた。
彼の目の端に涙が乗るのを、長次は黙って見ていた。
卒業式を、明日に控えていた。

『私は明日卒業式なのですが、この本はどうしましょうか』
『おそらくもうやりとりはまともに出来ないでしょう』
『こっちの本は、あと一頁しか残っていません』
『こっちも、もうすぐ掲示板が一杯になってしまいます。
あなたがよければ、この本は持ち帰ってください。捨ててくださっても構いません』
『わかりました。
間違っているかもしれませんが、聞いてもいいですか?』
『なんですか?』

『あなたは、渚満ですか』

卒業式が終わった。
やはりと言うか、一番泣いたのは伊作だった。保健委員会の後輩達と抱き合って、わんわん声をあげて泣きじゃくっていた。
文次郎は委員会の後輩達にしっかりやれよと告げた。冷静を装いつつ、どう見ても目が潤んでいた。
仙蔵は案外涙もろい一面があるから、藤内や一年生の涙には弱ったらしい。
留三郎は存外気丈に振舞って、泣いてしがみつく用具委員達を慰めていた。
小平太はこの日もいつものように明るく笑っていて、泣く後輩達をがしがしと撫で付ける。
長次もいつも通り。黙ったまま、後輩達の言葉を聞いて、最後に全員の頭を撫でて泣かれてしまった。

『卒業式が終わって、誰もいなくなってから、本を開いてください。最後に、あなたに言いたいことがあります』

「またみんなが落ち着いた頃に集まりたいね」
「じゃあ伊作が集めてくれよ。言いだしっぺ」
「えーっ。わかったよう」
学園を出てからしばらく。予想以上に泣く伊作を慰めていた長次達は、それぞれ顔を見合わせた。
「では、私はそろそろ行く」
「俺も同じ方向だ。一緒に行こうぜ」
「文次郎と一緒か……」
「嫌そうにすんな!」
い組の二人がいつものように軽口を叩きながらその場を去った。
「じゃ、俺も行くかな。小平太、同じ方向だろ」
「ああ。行こうか!」
留三郎と小平太がそう言って、またな、と言い置いて去った。やけにテンションの高い小平太が、すぐにいつものいけいけどんどん!の声を上げて、留三郎を引きずって走って行った。
「……じゃあね、長次、満」
「おー。道中気をつけろよ伊作は」
「僕はって何さ!」
満の言葉に少し不満げに声を上げてから、伊作はにっこり笑った。
手を振って歩いていく伊作に手を振り返していた満は、伊作が見えなくなってやっと腕をおろした。
しばらく、二人の間に沈黙が降りた。
「……満」
「……ん?」
先に口を開いたのは長次だった。満はちらりと長次を見て、また視線を落とした。
「今まで、ありがとう」
「……長次」
満はまた顔を歪めた。泣くかと思ったが、満は目を閉じて深く呼吸し、長次の目を見た。
「こちらこそ」
なんとか、といった微笑でそう言った。
「今まで、本当に、ありがとう」
「ああ」
満は合間合間に呼吸した。どうしても泣くわけにはいかないと思っているようだった。
「……それから、ごめん。たくさん傷つけた」
「……自分で決めたことだ」
「……ごめん、ありがとう」
満はまた深呼吸した。
「――好きだ。本当に、愛してる」
「――私もだ」
満は長次の返事を聞いて、さらにおかしな笑顔を見せた。
「――さようなら」
「――さようなら」

満の背が見えなくなって、長次は荷物に入れていたあの白い本を取り出した。
――最後の返事を見たら、燃やしてしまおう。
形のある物は残さない。その方が、互いのため。

『卒業おめでとう。あんな俺に付き合ってくれて、本当にありがとう。
俺はずっとお前にばかり我慢させて、自分は好き勝手甘い夢ばかり吐いていた。お前はきっと、俺なんか好きにならない方が幸せだったんだ。
甘い夢を語る俺を、現実に引き戻すのはいつもお前だった。お前も俺の甘い夢に溺れていた方がよほど楽だっただろうに、俺のためにと現実を見てくれていたこと、気づくのが遅すぎたんだ。俺は本当に餓鬼だったから。
俺と長次はこの先一度も会うことはない。長次がそう決断したなら、俺もそれに従おうと思ったからだ。
こんなことを言うのは、また長次を苦しめるのかもしれないけど、言いたいから言ってしまう。
俺は、生涯お前を忘れなかった。お前だけを愛していた。妻になった人は俺には過ぎた立派な人だったけど、俺は結局それなりに幸せに生きて死ぬことができたけど。それでも俺は死のその時まで、お前のことばかり想っていた。
幸せになっていればいいと、願っていた。今も願っている。
幸せになれよ、長次。俺が言えた義理じゃないかもしれないけど。
本当に、餓鬼で馬鹿で最低な俺だけど、お前を心から愛していたことは、確かだったんだ。
長次、俺は今でもお前を愛してる』

最後まで読むのに、随分時間がかかってしまった。
文字が滲んで、よく見えなかったからだった。



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