08



『もうすぐ桜が咲きますね』
『知りませんか。裏庭の桜は一足先に咲いていますよ』

返事を書いて、長次は白い本を閉じた。
そこでふと、この本の頁が残り少ないことに気がついた。
――卒業までに終わるかもしれないな。
卒業まであと二週間を切っている。元々は相談という名目で始まったこの交換日記だが、今となっては長次と見知らぬ誰かの雑談が主になっている。時折出てくる相手の好きな人を想う言葉が、強いていうなら目的通りの愚痴なのだろうか。
――終わったら、この相手はまた新しい本を置いて、誰か別の相手とやりとりするつもりだろうか。
二日に一回のやりとりである。多くてあと七回しか返事を返せないだろう。疑問は早く尋ねた方がいい。途中で終わるのは困る。後腐れなく卒業したいのだし。
長次はそう思って、もう一度頁を捲った。ぱらぱらと見ていると、こんなに長くやりとりしたのだなと感慨深いものがある。
ぱら、と先ほど長次が返事を書いた頁を開いた。
――え。

『知りませんか。裏庭の桜は一足先に咲いていますよ』

『そうなんですか。見に行ってみますね』

――返事が、来ている。
――誰も書いていないはずなのに。
長次はしばし固まってしまった。この不可解な出来事に、頭がついていかなかったのだ。
――なんだ、これは。
長次はやっと幾分落ち着いた頭で、どうしようかと考えた。
結局、長次はもう一度筆を執った。

『今、私がずっと持っていたはずのこの本に返事が書かれていました。
一体、どういうことなのでしょうか』

長次は一度本を閉じて、少し間を置いてからまた開いた。

『ごめんなさい』

返事が、来ていた。

この日も長次は満とお菓子作りをしていた。この日は伊作の要望でよもぎ団子を作っている。
「――長次、どうかした?」
満の声に、長次ははっとして顔を上げる。団子を丸く形作る作業中。いつの間にか長次の手が止まっていたらしい。
「……いや、何もない」
「体調悪いとか?もうすぐ卒業式だし、休んだら?」
「大丈夫だ」
――あの交換日記のことが気にかかっているだけで。
長次が首を振ったので、満は眉を寄せつつそれ以上何も聞かなかった。
よもぎ団子を作り終えて、後輩や友人達に配り終えてから、満が言った。
「次は何作ろうか」
「……任せる」
「うーん。団子続けるのはあれだし、南蛮のものとか……」
そこで満はふと庭を見やって、あ、と呟いた。
「桜餅でも作るか。ちょうど昨日から咲き始めただろ」
「……ああ、本当だ」
「気づかなかったか?」
満は苦笑した。
「長次、最近よくぼうっとしてるな。本当に大丈夫か?」
「……問題ない」
「そう」
――白い本の返事は、あの『ごめんなさい』以降、三日来ていない。

図書室の奥の本棚。その一番下の段の、一番端。
長次は白い本を抜き出して、頁を捲った。『ごめんなさい』から四日目。

『今まで隠していたことがあります。
この本は、図書室ではなくあなたが持ち帰ってください。これを見たら、その日の酉の刻に返事を書いてください』

返事が来ていた。
長次は本を持って、図書室を出ようとした。
「あれ、委員長」
当番の雷蔵が慌てたように声をかけた。
「貸し出し手続きを」
「……すまない。友人が、借りた本と自分の本を間違えたらしい」
「え、あ、そうなんですか」
失礼しました、と雷蔵は会釈した。長次はそのまま図書室を出た。

鐘が六つ鳴った。酉の刻だ。
長次は白い本を開いて、筆を走らせた。

『酉の刻になりました』

本を閉じて、少し置いて、開く。

『返事が来て、安心しました。こんな不可思議なことに付き合ってくださって、本当にありがとうございます。
もうわかっているでしょうが、私はあなたと同じように、その本に返事を書いているわけではありません』
『それはわかっています。最初からなのですか』
『私は、別の場所からあなたに言葉を送っています。本当は、学園の関係者でさえありません』

学園の人間じゃない?
閉じて、開く。

『はい、最初からです。すみません、返事の順番がおかしくなって』

――もしかして、今この相手は、自分と同時にこの返事を書いているのか?
書いている途中で、長次が質問をしたから。その質問に答える前に、先に書いた返事を送ってしまっているということなのではないか。

『私は、今から夜中まで時間がありますが、そちらはどうですか』
『大丈夫です。私も、何もすることはありません』

実はまだ夕飯を食べていない。まあいいだろう。明日の朝に食べれば。忍たま六年生ともなれば、一食や二食抜いたところで構いやしない。

『わかりました。では、質問があれば自由にどうぞ。私は、自分の素性を語ります』

閉じて、開く。

『私は、おそらくあなたから見れば、未来の人間ということになるのでしょう』



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