07



そもそも満がお菓子作りに興味を持ったのは、長次の影響だった。
二年の終わり頃に、長次と満は互いのことを認識した。それまでは隣のクラスにそういう名前の奴がいるという程度の認識しかしていなかった。長次が仲良くしている友人達と、満が仲良くしている友人達とが、全く被っていなかったのもある。
長次は昔からお菓子作りや料理は得意だった。家でよく手伝いをしていた名残なのだが、成長するにつれていかめしい顔つきになる長次のその趣味は、周囲に驚かれるものであった。
長次と満が初めてまともに会話をした日、長次は手製のボーロを持って友人を探していた。元々友人に頼まれて作ったものなのに、彼はいつの間にか部屋を出て何処かへ遊びに行ってしまったらしかった。勿論、後の暴君、七松小平太のことだ。
長次は思いつく限りの場所を見て回ったのだが、小平太は見つからない。後になってわかったが、彼は委員会の先輩を巻き込んで裏々々山までマラソンに出ていたのだ。
仕方なく長次は長屋に戻って他の友人を探すことにした。自分で消化するには数が多過ぎた。
長屋に向かう廊下を曲がった時。長次は一対の目を見た。
自分と同じ色の装束を着ている。彼は廊下の端に座り込んで、じっと長次を見上げていた。その目があまりに真剣な色だったので、長次は思わず足を止めた。
「……ろ組の、中在家?だっけ?」
「……お前は」
「い組の渚満」
満は後にこの出会いを運命の出会いと称するのだが、この時の彼は眉をひそめて不機嫌そうだった。
「なんか甘い匂い」
「……食べるか?」
長次が満の隣にしゃがんで言った。満は皿の上のボーロを見て、さらに顔をしかめる。
「俺さ、今日の昼食食べ損ねたの」
「……そうか」
「すっごい腹減ってるわけだけど」
――だから、食べるかって聞いただろう。素直に受け取ればいいのに。
長次はそう思って、少し眉を寄せる。
「それってどっかで買ったやつ?」
「いや、私がさっき作った」
「は?お前が?」
満は目を丸くしたが、すぐに元のしかめっ面に戻った。
「なんでもいっか。ごめん、いらない」
「……どうして」
思わず尋ねた。昼食を食べ損ねて、腹が減っていると言ったのは彼自身なのに。
満は不機嫌な声で答えた。
「両親に、手作りの料理はあまり食べないように言われてるから」
後に知ったことだが、満の実家は随分な富豪であり、他人の作ったものは信用してはならないと教えられていたらしかった。食堂の食べ物はいいが、そうじゃないものは何が入っているかわからないから、と。
しかしその時の長次はそんなことは知らない。潔癖な両親の言いつけを律儀に守っているのだろうと思った。満の目はじっとボーロを見ていて、無理に断っているようにも見えた。
「……でも、腹が減っているんだろう」
「そうだけど」
「少しなら構わないだろ」
長次はそう言って、一つだけ取り皿に載せて満の前に置いた。満は眉をひそめて迷う様子を見せていた。
長次はそのまま立ち上がって、皿は食堂に返しておくように言ってその場を離れた。
これが、彼らの始まり。

『私の今の趣味も、好きな人の影響なんです』
『そうなんですか』
『似合わないって、よく言われます』

長次が食堂に行くと、満が待ってたよ!と声を上げた。
二年の終わり頃から四年間ですっかり見慣れたエプロン姿であるが、見慣れたからと言って似合うわけではない。満は決して女顔なわけではないから、とても違和感がある。割烹着姿の長次が言えたことではないが。
「今日は饅頭作ろう!」
「ああ」
卒業を一月後に控えたある日の放課後。
長次は満に誘われて、食堂でお菓子作りをすることになった。
――これからは、三日に一度、二人でお菓子を作ろう!全員就職先も決まったし、その祝いに!

満は長次にボーロを恵まれた次の日から、やけに長次に懐いた。曰く、手作りのお菓子がこんなに美味しいなんて知らなかった、らしい。おそらくそれは彼の空腹も相まっての感想だと長次は思ったが、それを差し引いても今まで食べたこと無いくらい美味しかった、と満は主張している。
今となっては、満もすっかりお菓子作りが趣味になってしまっている。自分でも作るし、長次と二人で作ることも多い。

出来上がった饅頭を皿に盛って、満は満足げに笑った。
「うん、うまく出来たな!」
「……そうだな」
「早くみんなに配りに行こうぜ」
満は楽しそうに鼻歌を歌いながらエプロンを外す。長次も同じように割烹着を脱いで畳んだ。
「長次と俺でお菓子作るって言ったら、一年生達が絶対欲しいって言うから、先にそっちにあげに行こう」
元々は級友達の就職祝いという名目だったはずだが、と思いながら長次は頷いた。
「俺達が組んだら、本当に敵なしだ」
嬉しそうに言う満に、長次は少し考え込む。
皿を持った満が、長次、と名前を呼んだ。
「早く行こう」
「……ああ」
二人は揃って食堂を出て、歩き始めた。
長次は一歩前を歩く満を見ながら、ついに言った。
「……私は、――城に就職することになった」
「……そう」
満は小さく呟いて、長次を振り返って微笑んだ。
「俺は、実家に戻るよ」

『もうすぐ卒業なさるんですよね』
『そうですね。あと一月です』
『最後の思い出作り、しなければなりませんね』
『今、やってます』

二人の間に、何か形に残すわけにはいかない。
お菓子は食べてしまえば無くなるから。
――甘い匂いだけを残す、思い出に。



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