「月が綺麗ですね」-1



どうしようと一日中迷っていた。よもや下級生時代の先輩に似たのではないだろう。それほど迷ってしまったのは、この逢瀬がなんら互いのためにならないことを自覚しているからだ。
散々迷った末、彼は一つため息をついて部屋を出て行った。

月明かりが照らす山中の道を下りていくと、町に着く前に一軒の甘味処がある。まだ開店から一年しか経っていないが、客足は上々。あのしんべヱ御用達だと、忍術学園の生徒の間でも人気がある。
――かくいう自分も、よく通ったものだけど。
とっくに店じまいの時間であったが、まだ後片付けが残っているのか明かりがぼんやり漏れている。本日終了の看板を横目で見やって、店の戸を開いた。
算盤を弾いて一日の会計を確認しているのは、店主のおじいさん。箒で床を掃いているのは、店主の妻であるおばあさん。
戸が開いた音にすぐさま反応してこちらを見た、台拭きを片手に並ぶ机を拭いていた少女。
「――来てくださったんですね、久作さん」
そう言って安堵したように微笑んだ少女は、この日一日久作の脳内を占めていた、待ち合わせ相手の夢子だ。

待ち合わせの時間は過ぎていた。久作は一日迷った末、約束の時間を過ぎてから約束の場所に行くということにした。なんともどっちつかずで情けない結論だという自覚はある。
会うべきでないという理屈と、会いたいという感情の折り合いがついたのが、唯一その点だったのだ。
そして夢子は、約束の時間を過ぎて店じまいの時間を過ぎてもここにいた。
それを嬉しく思いながらも、久作は複雑な思いで夢子の笑顔を見た。

夢子と久作の関係は、言葉で表すならまさに『友人以上恋人未満』の幅に収まる。出会ったのはこの店が出来てすぐ、久作が六年生に進級したての頃だ。
学園に戻る途中町で買った本を読んでいた久作に、その後ろを通ろうとした夢子がえっと声を上げたのが初め。その声によって突然集中が途切れた久作が内心不機嫌に振り返った先には、なんだか嬉しそうに目を輝かせる少女。思わず目を瞬かせる久作に、少女はたどたどしい口調で話しかけてきた。
――『あの、その本、面白いですか?』
――『え、はい、まあ』
――『私その作家の本が好きで、それで、その本もどうしようかと迷っていたところで……本って高価じゃないですか、だから、その、感想とか、聞かせていただけないかな、って……』
後々聞いた話、夢子は激しい人見知りの気があるそうだ。以前久作の友人である三郎次に会った時なんか、顔を真っ赤にさせて対応していた。その反応は、三郎次の性格にすれば面白い以外の何物でもないようだったが。そんな質であっても初対面の久作に随分たどたどしいながらも自ら話を振ったのは、それだけ本が好きだからだ。
その時の久作にはそこまで汲み取ることはできなかったが、それでも本が好きなのだな、という程度のことはすぐにわかった。
――『よかったら貸しましょうか?』
――『えっ。いえ、でも……』
――『まだ途中なので、読み終わるまで待つならですけど』
――『そ、それは大丈夫です、が、本当に?いいんですか?』
――『いいですよ』
図書委員――この時点で六年生の久作は委員長でもあった――としては、読書の意欲のある人物には好印象を抱く。金銭の問題で折角の本が読まれないというのは本意でない。
忍者としては安易だと思うが、第一印象からして彼女は借りた本をそのまま盗ったりもしなさそうだ。その判断の下、久作は少女に提案した。
相手は思っても見なかったというように目をぱちぱちとさせてから、嬉しそうに笑った。


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