蝮は自分の毒で死ぬ-2



「××さんはね、すごく優しい人なんだよ」
孫兵くんが嬉しそうに話す。首元に巻き付いた私の頭を撫でながら。
「僕はいつもみんなが冬眠している間寂しくて寂しくて、でもね、今年は××さんがいたから全然平気だったよ」
「シャーッ」
――あら、それはよかったわね。
「ジュンコも××さんと仲良くなれればいいなと思ったんだけどね」
「シャーッ」
――だったら紹介してよ。
「でもね、××さんは蛇とか虫とか駄目なんだって」
あら?
孫兵くんの言葉に疑問を感じる。だって孫兵くんが蛇や虫が苦手な人と話が合うなんて思えないもの。
「しょうがないよね。人には好き嫌いってものがあるんだものね」
「シャーッ」
――ええそうね。孫兵くんも一つ大人になったのね。
「だから、ジュンコ、今度からは僕の部屋じゃなくて生物小屋にいてね」
あら?

* *

孫兵くんと話が合わなかったのは私の方だったみたい?そんなことありえるかしら。
生物小屋の中でトグロを巻いて、何度となく繰り返した疑問。
『××さん、今日も綺麗だなあ』
『シャーッ』
『ジュンコもそう思うよねえ』
――孫兵くん、あの女のどこが綺麗だと言うの?
『目を見ると、ドキドキするんだよ』
『シャーッ』
『ふふ。ジュンコもそう思う?』
――あの女の目は蛇の目よ。孫兵くん、どうして気づかないの?
『ねえジュンコ、絶対に秘密だよ?』
孫兵くんははにかんで言った。
『僕、××さんのことが好きになったの』
『シャーッ』
『応援してくれるの?嬉しい!』
――孫兵くん、私はあなたが好きよ。

* *

生物小屋は生物委員会の人達がまともに修理をしないものだから、簡単に出入りできるようになっている。私は小屋を出ていった。今回で何度目になるかしら。お腹がすいたの、しょうがないわ。私は孫兵くんのくれる餌しか食べたくないの。憂鬱な空気を醸し出して餌を持ってくる一年生達では嫌だわ。
学園内を這い回っていると、あの女がいた。珍しく一人だ。
誰もいない。
「――いやあああっ!!」
高い声。浮遊感。ぼとりと地面に落ちて。
あら、私ったら、何をしたのかしら。
「××さんっ!?」「どうしたんですか!!」
叫び声が聞こえたからか、彼らが集まってきた。あの女は泣きながら声をあげた。
「ジュンコ!ジュンコに噛まれた!!」
あら?私、あの女を噛んじゃったの?そういえばそんな気がするわ。全然気づかなかった。
彼らがわあわあと騒ぎ出した。お腹がすいた。気がたっているの。腹立たしいわ。
孫兵くんはどこ?餌をちょうだいよ。
「ジュンコッ!!」
彼らの間から、顔を真っ青にした孫兵くんが出てきた。
「ジュンコ、お前!」
「シャーッ」
――孫兵くん、お腹がすいたわ。
孫兵くんは何も言わずに私に手を伸ばした。
それを伝ってするすると首元に巻き付けば、孫兵くんは走り出した。

* *

お腹がすいたわ、お腹がすいたわ。
『ジュンコ、お前何度言ったらわかるんだ!小屋から出るなって言っただろ!』
『シャーッ』
――あら、孫兵くん。私に餌をくれないあなたがいけないんじゃない。
『挙句××さんを噛むなんて!』
『シャーッ』
――あれは申し訳ないことをしたわ。気づかなかったの。なんだか頭がぼうっとして。ごめんなさい。
『もうお前を小屋に入れておくのも危険だな』
『シャーッ』
――私、小屋より孫兵くんと一緒がいいわ。
『反省するまでこの壺から出ないこと!』
あら?

* *

孫兵くんは餌をくれなかった。お腹がすいた。
壺には蓋がしてあって、重石が載っている。お腹がすいた。すいてなくたって、重石を外せる訳はないけど。
孫兵くん、孫兵くん。どうしてこんなことになっちゃったのかしら。あの女のせいかしら。
ああ、そうか。これを反省しろって孫兵くんは言ったのかしら。あの女を憎いと思っているから駄目だったのね。
孫兵くん。あの女を憎いと思わなくなったら、ここから出してくれるのね。

* *

あの女は空から降ってきた。それから学園の生徒達にすごい勢いで好かれていった。彼女は食堂でお手伝いをして、学園の掃除をしていた。でもそのほとんどは、彼女を好く人達が代わりにやっていた。
孫兵くんは彼女に全く興味が無かった。相変わらず私達を愛して、私を撫でて笑っていた。でもあの女は、時々孫兵くんのことをギラギラと見ていた。
その目は私達蛇に似ていた。獲物を狙う蛇の目。孫兵くんを狙う女。気に入らなかった。
孫兵くんが語るには、私達が冬眠し始めて、友人はみんな彼女のところで、寂しくて堪らなかった孫兵くんに、優しく声をかけたのがあの女。寂しいなら一緒にいてあげる、と甘い声で囁いた。そして孫兵くんはあの女と一緒にいることにした。そうしてみると、友人達が言っていた彼女の素晴らしさが身に染みたらしい。そして孫兵くんはすっかり彼女を好きになった。

* *

孫兵くん、あの女のどこがそんなにいいの?
元々あなたから友人達を奪ったのってあの女なのに。
あの女に優しさなんか欠片もありゃしないわ。
あの女はずっと狙っていたの。機会を伺っていたの。
私、あの女が来てすぐの頃に、聞いたんだもの。
『どうすれば孫兵くんと一緒になれるかしら。孫兵くんを一人にして、優しく声をかけたら好きになってくれるかな。孫兵くんと仲のいい人達を全員奪ったらいいかしら。冬ならジュンコ達もいないもの。きっと寂しがって私に甘えてくれるに違いないわ!』
ねえ孫兵くん。あんな女のどこがいいの?

* *

駄目だわ。無理よ。あの女を憎まないなんてできないわ。頑張ったけどもう無理よ。
そもそも、私は孫兵くんが好き。孫兵くんだけが好き。孫兵くんも私が好きだったはずなのに、そんな孫兵くんを盗ったのよ。好きになれるわけないじゃない。
孫兵くん、私はあなたに許してもらえないわ。あの女を許せないんだもの。しょうがないわ。
「シャーッ」
――孫兵くん、孫兵くん。私はあなたを愛しているわ。
壺の中で響いて、私の声は消えた。

* *

××さんは消えた。
時間がきてしまったの、と悲しそうに微笑んで彼女は消えた。
ぱちんっと弾ける音がして、さあっと身体が冷たくなった。
――何をしていたんだろう、僕は。
その場にいた全員が同じことを思っていたようだ。それぞれ青ざめた顔を見合わせた。
――ああ、あの女は天女なんかじゃなかったんだ!
――恐ろしい妖だったに違いない!
みんな酷く憤って、自分の行いに恥じ入っていた。
僕は、それよりも気になることがあって、みんなを置いて走り出した。
――酷いことを。
――なんて酷いことを僕はしたんだ!!
走ってたどり着いたのは、薄暗く、じめじめした倉庫。もう使われなくなったガラクタを詰め込んだ、ほとんど開かれたことのないそこは、一月ほど前に僕が開いた。
頑丈な扉を開いて、埃っぽい中に駆け込んだ。奥にはガラクタが溜まっているから、入り口のところに置いたのだ。すぐに目当てのものを見つけた。
大きな重石を載せた、小さな壺。
あまりにひっそりと、一月前のまま佇んでいるから、一瞬手に取るのをためらった。
壺の前に膝をついて、震える手で石をどかした。

* *

『ジュンコ、ジュンコ』
『シャーッ』
――どうしたの、孫兵くん。
『聞いてよ。お父さんが酷いことを言うんだよ。蝮の寿命はせいぜい十年だなんて!それじゃあ僕より先に死んじゃう!』
『シャーッ』
――あら、それは酷いわ。
『やだよジュンコ、絶対死なないでね!?』
『シャーッ』
――あなたが望むならきっとそうするわ。誰よりも永く生きてあげるわ。
『ジュンコ、ジュンコ。もし、もしもね、もしも僕より先に死んじゃうなら、その時はちゃんと最後まで僕と一緒にいるんだよ。絶対他の人の前で死んじゃったりしたら駄目なんだからね!』
『シャーッ』
――ええ、ええ。私もあなたの腕の中で死ねたら幸せだわ。目一杯生きて、もしも先に死ぬならあなたの前で死ぬわ。
『約束だからね!』
『シャーッ』

* *

約束だって言ったのに。
――ごめんなさい、孫兵くん。

トグロを巻いた赤い蛇は、自らの背に何度も牙を突き立てた。

蝮は自分ので死ぬ
[あとがき]



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