女子!-2



「――あの、大丈夫ですか?」

トントン、と軽く背中を叩かれた。顔を上げると、輝く午後の陽光でできた人影。男の人の声。心配そうな声。
「あっ、だ、大丈夫ですっ」
まさか声をかけられるとは予想していなかった。裏返った声で返事をしながら、慌てて立ち上がる。
背は僕よりいくらも高くて、しゃがみこんでいたなんて恥ずかしいとまともに顔を見上げる余裕がない。
相手は僕のすぐ隣に立っていたが、一歩下がってからあれっと何かに気づいたように声を漏らした。
「君、草履は……ああ、鼻緒が切れたんですか?」
聞いてから転がっている草履に気づいたようで、言い直しながらその右の草履を拾い上げた。
「あーっ、すみません!ありがとうございます」
「待って」
受け取ろうと手を差し出すと、相手はそう言って草履を手元に引き寄せる。
うん?と怪訝に思って顔を上げ、僕は心臓が止まるかというほど驚いた。
「これじゃあ、歩けないでしょう」
そう言って微笑んだ相手は、逆光で陰っていても見間違えようがない。

正真正銘、あの夢野夢太先輩その人である。

――なんで先輩がこんな時間に、こんなところに!?
今日は学園の休日でもない、普通に授業があるはずなのに。先輩に限ってサボりなんてありえないし……しかし、見覚えのある藍色と薄緑の着物は、確かに彼のいつもの私服だ。
驚いて声も出ない僕をよそに、夢野先輩は僕の落とした草履の鼻緒を確かめると小さく頷いた。
「これならすぐ直せますよ」
「……え?」
「え?って、だから鼻緒。このままじゃ困るでしょ?」
先輩はクスクスと笑った。僕の間抜けな声に笑ったのだろうか。なんだかご機嫌に見えるけど、これはもしや。
――先輩、僕の女装だって気づいてない?
保健委員会に所属しながらも、委員会活動にはほとんど参加しようとしない夢野先輩。きっと保健委員のことが嫌いなのだ。この間乱太郎と伏木蔵が先輩とお話ししていたところを見かけ、その時もあまり楽しそうではなかったこと、記憶に新しい。
だから保健委員の僕にこうも優しく声をかけるなんて、気づいていないとしか思えない。
まさか五年生にもなって後輩の女装を見破れないなんて、という気はするが……予想もしていないから考えつきもしないということか。
「どうかしました?」
「へ!?い、いいえ、全然!何も!」
――どうしよう、言った方がいいのか、言わない方がいいのか……。
――正直、ご機嫌な先輩に優しくされるのはすごく嬉しいんだけど。
なんて思っていたら、夢野先輩はもう一度にっこり笑った。
くの一教室人気一番と言われる彼が柔らかく微笑むと、男の僕でさえドギマギしてしまう。ああ、頬が熱いのが自分でもわかる!
「よかったら、そこの茶屋で直しましょうか」
「そ……そんな、あの、悪いです、構わないでください!」
「ああ、もちろんお金は私が。困っている女性を放っては置けませんから」
普段から、別に粗野というわけではない。しかしこんなに丁寧な物腰の夢野先輩を見たのは初めてだ。
微笑を絶やさず、少し気障にも思えるほどうやうやしい仕草で僕に左手を差し出した。
「どうです、お嬢さん?」
――きっと彼は女の子にはいつもこんな風なんだろうなぁ。なるほど、人気も出るわけだ。
――だって僕の心臓でさえ爆発しそうなんだもの。

* *

――ちょっとちょっと、見た?俺の紳士的な対応!
心の中で声を上げるが、誰かに自慢できる状況でもない。人の少ない茶屋の一角で、草履の鼻緒が切れて困っている可愛らしいお嬢さんとお茶を飲んでいるところ。
「饅頭一つとお団子一皿、お待たせしました」
「ああ、ありがとうございます」
茶屋の娘さんがごゆっくり、と笑って離れた。
最初はお茶だけでいいですと遠慮していたお嬢さんに、ほんの少し強引に薦めると結局一番安い饅頭を一個だけ所望された。なので俺はお団子が三本載った皿を頼んだ。
「おひとつどうぞ」
「えっ」
当然のようにお団子を一本相手の皿に移すと、ぱちっと丸い目を瞬かせてまた顔を赤くして俯いた。薄紫の長髪から覗く耳の赤みを見る限り、俺の算段通りらしい。
――お嬢さんの正体は、数馬だ。
五年生の授業は午前中で終わりだったので、鍛冶屋に出したままの忍刀を受け取りに出た。その帰り道、目に付く少女達がいるなと思っていれば、なんということはない、見たことのある顔。三年生の忍たまが女装して、課題達成を狙って目を光らせていたというわけだ。
俺も二年前はひいひい言いながらやってたなぁと、去年の学年末試験を機に女装とは縁が切れた五年生としては微笑ましい。
頑張れ後輩、と思いながら角を曲がったところで、道端でしゃがみこむ少女を見つけた。最初は特に下心なく声をかけたのだが、顔を一目見てすぐ気づいた。
正真正銘、三反田数馬その人である。
「気分でも悪かったんですか?」
「えっ、ええと、そういうわけでは……」
しゃがみこんでいたのを思い出して聞いてみたが、数馬は小さく首を振った。鼻緒が切れて困っていただけなんだろうか。だったらいいんだけど。
相手が数馬だとわかると思わず一歩距離を置いて、一瞬跳び上がった鼓動を押さえ込んだ。何せ女装姿である。上手いか上手くないかで言ったら普通な腕前の化粧、下ろした髪、潤んだ不安げな瞳、不意打ち。
一瞬にして俺が選択したのは『気付かないフリ』だ。
指摘してもよかったが、それが数馬の課題失敗に繋がるのはとても申し訳が立たない。それに数馬だって、女装実習中に知り合いの先輩にバレるなんて非常に気まずいだろう。
――ただでさえ、最近……。
そうですか、と笑って見せた。そのままお団子を食べ始めると、釣られたように数馬も手を付ける。



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