「月が綺麗ですね」-3



「……あの、久作さん」
夢子が足を止めたので、久作も遅れて立ち止まり、彼女を振り返った。夢子は眉尻を下げて、なにか言いたい事が混沌としているような、困ったような目で久作を見ていた。
どこか泣きそうに見えるのは、青白い月の光のせいか。
――隠そうとして隠しきれない、素直な表情。
「なんだ?」
久作は静かに答えた。今の自身の感情を表に出さない、出さないようにしていることも知られないようにする。
――隠そうとして隠しきる、素直の欠片も忘れた表情。
――彼女と自分の『違い』がまざまざとわかってしまうような。
「お引越しされるんですよね、遠くに」
「……ああ」
ちょうどひと月前だった。久作が夢子に、離別を確かに告げたのは。
その日も、彼が彼女に見繕った本を渡すために、あの甘味処で並んで座っていた。
「どの辺りへ行かれるのか……聞いても良いですか?」
夢子の目が不安げに揺れるのを、久作は簡単に気づくことができた。
――なんせ彼は、明日忍術学園を卒業して、プロの忍者になるのだから。
「……聞いても意味がないだろう」
――だから、久作は彼女の縋る目を冷たく見放した。
夢子は一層泣きそうに表情を歪めた。
久作はつい目を逸らした。しかしそのまま俯くのは自分の気持ちが漏れてしまうような気がして、努めて視線は上に向ける。
――こんな時、物語であったなら。
「……久作さん、覚えていますか?」
「なにを?」
「私、まだあなたに返していない本が一冊あるんです」
ひと月前、久作が彼女に見繕った本。遠くに引っ越すから、会えるのはあとひと月だ――久作が卒業の代わりに告げたあの日に。
「……そういえばそうだったな」
女性らしいというのだろう。夢子はどんな本も読むけれど、一番好きなのは純な恋愛の物語だった。久作が貸したその物語は、彼女の好みにぴったりだったらしい。もう少し読み返したいからと言われて、久作はまだその本を貸したままだった。
――そう、確かあの物語だって。
――男女が想いを伝え合う夜、空には輝く満月が浮かんでいた。
久作は夢子の顔にもう一度向き合った。彼女は眉を寄せて、ともすれば睨んでいるように久作を見つめていた。気の弱い彼女がそんな表情を見せるのは、とても珍しいことだ。

「――久作さん、私、もう一度この本を読み返したいんです」

その意図は久作にもはっきりとわかった。
二人の間に一瞬、沈黙が流れた。
そして、久作は答えた。

「――いいや、もう時間はないんだ」

『会いたい』。
その意図が汲み取れたのは、久作自身にも同じ想いがあったからだ。
そして、それが当然叶わない――叶うわけにはいかないと、久作にはよくわかっていた。
元来真面目な質である。忍と町娘の『違い』はよくわかっていたのだ。


前<<>>次

[3/4]

>>Short
>>dream