不運!-5



――夢野先輩は本当にすごい幸運の持ち主ですよ!
昨日、通りがかった藤内に落とし穴から助けてもらって、支えてもらいながら医務室に行くと、興奮した様子で乱太郎達が力説した。僕が医務室にたどり着く少し前に、先輩は出ていってしまったらしい。
なんでも、あれ以降なんの不運もなく医務室に到着したという。外を歩けば落とし穴に落ちると言われる不運委員会が。
――絶対に明後日の遠足に一緒に行ってもらうべきですよ!
――僕らだけだったら、きっと薬草が見つからないで迷子になって終わっちゃいます!
頷いて貰えるように、頼みます!と一二年生達はやけに燃えていて、それに感化された僕と伊作先輩も、頑張って頼んでみようかと頷きあった。
――そして、次の日の今日。
――今目の前にその夢野先輩がいる。
――くの一教室の生徒と二人で。
少し遠目に彼を見つけて、昨日保健委員会で『夢野先輩に保健委員会に参加してもらおう』と言い合ったのを思い出し、勇気を振り絞って声をかけようとした時だった。彼女が声をかけたのだ。たしか三年生。同級生だから、合同実習なんかで見たことがある。
「夢太くんの好きな色ってなに?」
「好きな色?」
声をかけるタイミングをばっちり逃し、こうして二人の会話が聞こえる距離に隠れてしまった。不運だ。
――夢太くんって呼ぶなんて、かなり親しげだよね。
――どういう関係なんだろう。
いやいや、別にあの二人の関係がどうとか、そんなことを気にしているわけじゃなくて。ただ、話が終わったところに声をかけないとまたタイミングを逃しちゃうと思っただけで。本当にそれだけ。
「なんで急に好きな色?」
「いいからいいから!」
夢野先輩は不思議そうに首を傾げる。くのたまはにこにこと上機嫌にしている。明らかに頬が淡く色付いていて、だいたいその心情は理解できる。
「好きな色なんて、特に考えたことないけどな」
「えー。そんなことないでしょ?」
「うーん」
夢野先輩は考え込むようにして顎に手をやる。その様子はなんだか物憂げで、様になる。
――やっぱり、夢野先輩ってかっこいいなあ。
「……そうだな、紫色かな」
「紫?」
「うん。淡い紫色が好き」
「へえ」
くのたまは何事か考えるように目を伏せた。夢野先輩はそれを不思議そうに見ている。
――淡い紫色かあ。
「ね、私ってその色似合うと思う?」
「ん?」
くのたまが少し恥ずかしそうに尋ねた。夢野先輩は首を傾げる。
「どうだろう」
「もう、似合うって言ってよ!」
「ああ、そうだね。万智子ちゃんならどんな色も似合うよ。可愛いから」
「またお世辞?」
「だから違うって」
「もー」
くのたまは嬉しそうに笑いながら、夢野先輩の腕をとって抱きついた。
――えっ?抱きついた?
「私、明日は淡い紫色の小袖着ていくね!」
「あー、そうなの?」
「うん!この間買ったのが、確かその色だったの。すごいね、タイミング!」
「そうだね」
「元々それ着ようと思ってたんだよ。なんか運命的じゃない?」
「そうかもね」
え?明日はあの人と約束しているの?くのたまの口ぶりからして、きっと二人で出かけるのだろう。
あからさまに、あのくのたまは夢野先輩のことが好き。夢野先輩もわかっているだろう。
――それでいて好きなようにさせているのって、やっぱり。
「ねえ、夢太くん」
「なに?」
「私って本当に可愛いと思う?」
くのたまが期待するような上目遣いで夢野先輩を見上げた。
「うん、可愛いと思うよ」
夢野先輩がにこっと笑って頷いた。
「――あ、あの!夢野先輩!」
思わず声をかけてしまった。突然物陰から飛び出してきた僕に、二人は目を見開いて驚いた。
「ああ、なんだ、数馬か」
「あ、あの、ちょっと話があるんですけど」
「なによあんた!今は私が夢太くんと話してるの、後にして!」
くのたまに睨まれてうっとたじろぐ。やっぱりくのたまって怖い。
――ああでも、断られるかも。
だって、僕は夢野先輩が嫌がっている保健委員会の生徒で、片や先に話していたのは可愛い――性格はともかく顔は――くのたま。後から声をかけるというのもあれだし、普通に考えたらこんなタイミングで僕の話を聞いてはくれない。もっと考えて行動するべきだった。
――でも、だってあのまま二人の様子を見てるなんて。
「……ああ、わかったよ」
夢野先輩は少し間を置いて微笑んだ。嫌な顔をされるかと思っていたのに、まさかこんな反応が返ってくるとは思わなくて、僕は思わずへ?と声が出た。
「ごめんね、万智子ちゃんまた後で」
「ええ!?なんで!」
くのたまは不満げに声を上げて夢野先輩の腕を引いた。それを見て、夢野先輩はふと彼女の顔に顔を近づけて笑った。
「また後で、ね」
「……あ、は、はい」
くのたまは至近距離の笑顔に呆然としてそんな反応をし、夢野先輩の顔が離れると途端に顔を真っ赤にして、夢野先輩の腕を放してバタバタとその場から走っていってしまった。
――なんか、気の毒なような、羨ましいような。
――いや、羨ましいってなんだよ!
「で、数馬、なに?」
「あ、そ、その!」
問いかけられて、慌てて言葉を出そうとして、しどろもどろにあのとかえっととか言っていると、夢野先輩がくすりと笑った。
――なんで今日はこんなに雰囲気が柔らかいんだろう。
疑問に思ったところで、ああそうかと気付いた。
――さっきのくのたまと話してたからか。
そう気付くとなんだかすっと冷静になって、何事も無く言葉が出てきた。
「明日、保健委員会で裏々山に薬草を採りに行くんです」
「伊作先輩に聞いたよ。昨日の夕方も一年生達に聞いたし。知ってるよ」
乱太郎達は早くも有言実行で頼んだらしい。先輩は困ったように小さく笑った。
「ごめんだけど、行けないよ」
「……そうでしょうね」
「え?」
「さっきのくのたまと遊びに行くそうですから」
言うと、夢野先輩は笑顔を引っ込めて、ふっと無表情になった。
「聞いてたの」
ああ、不味いことを口走ってしまった。
「……すみません」
盗み聞きがバレてしまった。嫌われたかもしれない。そりゃあ誰でも怒るだろう。恥ずかしさを感じて俯いた。
――どうしよう、夢野先輩に嫌われた。
「……別に、謝らなくてもいいけど」
またそう言う。夢野先輩は大抵の場合、謝られると別にと返す。僕が不運で失敗した時もいつもそう。
だから、その別にが、本当に気にしていないのではなく、本当は怒っていても優しいから何も言わないのだと僕は思っている。
「ごめんなさい、盗み聞きするつもりは無くて」
なにがつもりは無くて、だ。思いっきり意図的に話を聞いてたくせに。この浅はかな言い訳はバレたかな。更に夢野先輩に嫌われちゃう。
「いいってば。気にしてない。こんなとこで話してたのはこっちだし、別に知られて嫌な事でもないし」
知られて嫌な事で無かったら、あんな反応するわけがない。
――やっぱり、恋仲だったりするのかな。恋人同士の会話を人に聞かれたら嫌だよね。
「あの、伊作先輩に言っておきますから」
「え?なにを?」
「明日、先輩は予定あるから行けないって」
「いや、別に数馬が言わなくても」
自分で言うし、と先輩は言った。
「言っておきます。先輩はさっきの人追いかけた方が、あの、話の途中で割り込んですみません」
「別に、そこはそんなに」
戸惑うように先輩が言う。僕はさっきからずっと俯いているから、彼がどんな表情をしているのかわからない。怒ってるかな、どうなんだろうな。
自分の髪がふと視界の端にかかって、なんとなく悲しくなった。
「あのくのたま、可愛いから、先輩とお似合いだと思います」
「……えっ」
先輩が驚いたような声を出した。ちょっと、と何か言いかけたのを遮るようにして続ける。
「明日、楽しんできてください」
淡い紫色の小袖を身につけた彼女と。
――僕の髪も淡い紫色なんですよ。先輩は何も思わないのだろうな。
一方的にそれだけ言って、夢野先輩に背を向けて走り出した。待って、と言われた気がしたけど気にしなかった。頭がぼうっとして、何も考えられない。
――僕は何がこんなに悲しいんだろう。



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