01-2



文次郎の背を踏みつけていた仙蔵だったが、ふと空気を裂く音がしたのを聞いてその場から飛び退いた。その際文次郎に思い切り体重をかけてやったので、彼はぐぎゅっと蛙が潰れるような声を出して潰れた。
「あー、仙蔵くんなんで逃げるの!」
「またお前か、白石春市!!」
残念そうに言いながら近づいてきた相手に仙蔵は顔をしかめた。
その相手はため息をつきながら、ずるずると先ほど投げた縄を回収した。少し細いが頑丈に編まれた縄は、よく彼が動物を御する時に使う。
「仙蔵くんはすばしっこくて駄目だ」
「何が駄目だ、何が!」
仙蔵が怒鳴るのに、春市はへらへらと笑っていた。

急に走っていった委員長にようやく追いついた生物委員会の一年生四人は、春市の様子に首を傾げた。
「なんで先輩、立花先輩に絡んでるんだろ」
「あんなに怒る立花先輩、なかなか見ないよ」
「別に珍しいもんでもない」
不機嫌な声で言ったのは、仙蔵に潰された文次郎だ。眉を寄せて装束の汚れをぱたぱたと払っている。
「仙蔵の野郎……折角四百七十五まで続いたのに!」
「もうすぐ五百ですね……」
この人は相変わらずだと三治郎は苦笑しながら思う。
「珍しくないって?立花先輩は普段から冷静で優秀な方で、白石先輩は優しくて人に縄を放つなんて初めて見ました」
一平が尋ねると、文次郎は少し首を傾げて、すぐにああ、と納得したように呟いた。
「一年生はまだ見たことがなかったのか」

「面白いことって、あれですか?」
「そう。立花先輩は白石先輩が絡むと途端に面白くなるの」
兵太夫の問いかけに頷いて喜八郎は言った。
「あれが面白いかどうかはわかりませんけど、珍しい立花先輩を見た気分です」
伝七の言葉に、藤内は苦笑した。
「結構あのやりとりよくやってるよ。すぐに見慣れるから」
「なんで今、白石先輩は立花先輩に攻撃したんですか?仲悪いんですか?」
兵太夫の質問に、藤内は苦笑し、喜八郎は首を振る。
「別に。白石先輩は知らないけど、立花先輩はむしろ白石先輩のことは好きだよ」

仙蔵は春市が笑顔で縄をしまったのを見て密かに安堵した。
「見て見て、仙蔵くん。さっきね、裏山で野草摘みしてたの」
「ああそうか。よかったな」
くるりと背を向けて、背負っている籠を自慢げに見せつける春市を見て、仙蔵はふわりと微笑む。
「うさぎさん用のおやつなんだ〜。美味しそうでしょ」
「ああ、そう――」
だな、と続けようとして、仙蔵ははっと顔を強ばらせた。
対して春市は仙蔵の反応を見て嬉しそうに満面の笑みを浮かべた。
「わあ!よかった!じゃあ仙蔵くんもおいでよ、今からうさぎさんにあげるところだから!」
「い、いらん!」
「遠慮しないで!」
にこにこと詰め寄る春市に、仙蔵の顔はさらに青ざめる。
「いいじゃない。可愛いよ?ねえ、みんな」
春市が急に一年生四人に顔を向けて、軽く首を傾げて問いかけた。
「え、そうですね」
「うさぎ可愛いです……」
一平と孫次郎が首を傾げながら答えると、春市はさらに嬉しそうに笑う。
「ほら」
「うさぎは可愛いかもしれんが、絶対に行かない」
「もー。仙蔵くんの強情っ張り」
春市はぷくっと頬を膨らませて不満げにする。元々童顔で女の子のような顔をしている春市なので、見る人によっては可愛らしさにどんな願いも受け入れたくなるだろう。
実際、それを見た三治郎と虎若は、立花先輩〜と仙蔵に声をかけた。
「いいじゃないですかあ。うさぎ、本当に可愛いんですよ!」
「来てくれたらうさぎ達も喜びます!」
その二人の反応に、仙蔵は困ったように眉を下げた。

「一年生がいると更に面白いね」
喜八郎の言葉に、藤内が向こうの様子を見ながら同情するような声で言った。
「立花先輩なんか可哀想……」
そんな二人の反応に、兵太夫と伝七は首を傾げた。

「なんでそんなに嫌がるの?」
春市がこてっと首を傾げて問いかけると、仙蔵は眉を寄せて彼を見た。
「心当たりがないとでも?」
「え、僕のせい?」
春市は目を丸くして、うーん、と少し考えるようにしてから、あっと思いついたように手を叩いた。
「そっか、わかったわかった。前回のことでしょ?あれならごめんって謝ったじゃない」
「何かしたんですか、先輩?」
一平が不思議そうに尋ねた。春市はいやあ失敗したんだよおと照れ笑い。
「失敗?あれがか?」
「いや、本当に悪気はなかったんだって」
ごめんよ、と手を合わせる春市を、尚も顔をしかめて見ている仙蔵。一年生達はそれを見て、失敗くらいでそんなに、と春市の味方であった。
「春の野草は柔らかいから、前回あげた奴より美味しいよ、きっと」
「そこじゃない!!」
「え?」
仙蔵が怒鳴って、春市はきょとんとした顔をした。
「――人の口に野草突っ込んだ事の方だ!!」
『……え?』
仙蔵の言葉に、一年生はきょとんと目を丸くした。春市は手を合わせたままで、こてっと首を傾げる。
「あれ、そっち?」
「そっちに決まってるだろ!!」
「いや、そこはもう受け入れてくれてるとばかり」
「誰が受け入れるか!!」
春市は当たり前のように言い、仙蔵はまた怒鳴る。
「え、どういうこと!?」
「潮江先輩!」
一年生達は突然の意味不明なカミングアウトに騒然となる。事情を知っているだろうと予想して文次郎に顔を向けると、呆れたようにため息をついていた。
「冬に食べさせてあげた野草が不味かったから怒ってるんじゃなかったの」
「そこはどうでもいい!!いやよくはないが!」
「ええー」
二人が温度差のある口喧嘩を始めたのを見て、文次郎は言いづらそうに口を開いた。
「お前達の入学前の冬だな。春市が仙蔵を半ば無理矢理生物小屋に連れていったんだが、その時に、まあそういうことだ」
仙蔵の自尊心も考慮して、流石に最後の方は濁す。しかし会話を聞く限り何があったかおよその予想はつく。一年生達はなんとも言えない表情で顔を見合わせた。
「いつも言っているが、いい加減私に餌をやるとか言って変なもの食べさせようとするのはやめろ!!」
「えー?」
そんなことしてるのか、と一年生達は戦慄する。心無し顔が青ざめてきた。
春市は仙蔵が激怒しているのをぼけっと見て、それからにっこりと笑った。
「いつも言ってるけど、それは、無、理!」
無理、をゆっくり区切りながら言うので、仙蔵は余計に腹が立つ。
「お前……!」
「そういうことで、仙蔵くん一緒に――行こっ!」
春市は言いながら突然仙蔵に掴みかかった。それを紙一重でひらりとかわし、ぱっと距離をとった仙蔵の足元めがけて先ほどと同じ縄がびゅうと放たれた。地面を蹴ってそれも危なげなくかわし、仙蔵は一つ舌打ちをして身を翻してそのまま駆け出した。
それを無言のまま追いかけていった春市は狩りの時の目をしていた、と後に一年生達がクラスメイトに語る。


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