07-10



今日も全然駄目だ。くのたまはそう思いながら満月を見上げた。
――どうして、この人は私を見てくれないんだろう。
――私とあの人。確かにあの人だって可愛い顔をしているのは認めよう。でも、どう考えたって私の方が立花先輩の恋人に相応しいはず。女だし、成績も良いし、性格だって女らしくていい子だってみんな言ってくれる。男で、いつも縄振り回してて、子どもっぽくて幼いあの人に、どうして私が負けるんだろう。
「……立花先輩は、」
名前を呼んだ。仙蔵は無反応でひたすら月を睨んでいる。
「……立花先輩は、私に嫌われたいんですよね」
そう言われて、仙蔵はちらりと彼女の方を見た。しかし取り繕う言葉も開き直る言葉もない。気付かれてもいいと思っていたから、声を出すほどのことでもないのだろう。
「私、最初から立花先輩に好かれてないの知ってましたよ」
仙蔵は少し申し訳なさそうに眉を下げて、目をそらした。
「白石先輩に言われたから、付き合ってくれてるだけだったんでしょう」
「……なんでそれを」
ここで、やっと少し驚いたようだった。彼女だってくの一教室の五年生であり、既に彼が告白に頷いた経緯はすべてわかっていた。
――あの人が間違いに気づく前に。
そろそろ二人で黙って座り続けて半刻。仙蔵の友人達は春市の部屋に集まっているだろう。
「最初は知らなかったから、本当に嬉しくて嬉しくて泣いてしまったんです」
チャンスがあるなら、と言った。しかしチャンスが無いことは知っていた。
――立花先輩は、白石先輩が好き。
――白石先輩も、立花先輩が好き。
でもお互い何も言わなかった。だから、ついに仙蔵が春市を諦めたのだと思った。その代わりに選ばれたのでもよかった。どうせ春市はまた何も言えやしない。そうして春市も仙蔵を諦めて、二人の関係が消えればよかった。それを可哀想だと思うような純粋な心は、計算高く育った彼女には残っていなかった。欲しい物はなんとしても手に入れるのがくの一だ。
「……すまないと思っている」
仙蔵が言った。
「罰ゲームで、こんなことするなんて酷いとわかっていたんだ」
「罰ゲームって、そう言っちゃうのもそれなりですよ」
「……すまない」
また申し訳なさそうにする。別に怒ってないのにな、とくのたまは少し笑った。
――そういう真面目なところが好きなんです。
――それでいて、時々悪戯っぽく笑うところが。
「……お詫びに首の傷見せてください」
「は?」
「ずっと気になってたんです」
仙蔵は目を瞬かせて、不可解だというような顔をしながら包帯を解いた。
白い首には、圧迫による痣こそ残っていないが、連続する薄紅色の傷はまだ薄らと残っていた。
――白石先輩は立花先輩に首輪をかけたんだ。
おそらくそんな意図は全く無いだろうことはわかっていたが、くのたまにはそんな風に感じられて不気味に思われた。
「……その傷、残るんですか」
「どうだろうな。残るかもしれない」
仙蔵は涼しい顔で答えた。
――嘘つき。善法寺先輩の薬でちゃんと治るって聞いてるんだから。
――それで薬をちゃんと塗ってないことも。
「――立花先輩、本当に白石先輩が好きですね」
「は?」
「なんでこんな怪我をさせた人のこと、そんな風に許してあげるんですか。そのうちの少しでも私に情をかけてくれたって」
そこで彼女は口を閉じた。向こうから走ってくるあの人の明るい髪が、満月の光を受けて跳ねていた。
「――もう時間ですね」
「ちょっと待て、それはどういう意味だ」
「私、知ってましたよ。先輩に告白する前から」
くのたまはそう言って寂しそうに微笑んだ。
「ずっと白石先輩が好きだったんでしょう。嫉妬してしまいますね」
「なっ……」
仙蔵が口をぽかんと開いているのを見て、彼女はくすりと笑った。最後に珍しい顔を見た。
そうして目を瞬かせる仙蔵の腕をとって、彼女はぐいと顔を近づけた。え、と声を漏らす唇に近づいて。
「――仙蔵くん!」
あの人の声が響いて、仙蔵がぱっと身体を離して彼女への注意が一気にそちらに移った。
「春市……」
くのたまは一瞬無表情で仙蔵と春市に一度ずつ目を遣った。
――ああ、やっぱり駄目だった。
そう思うと何となく気が軽くなったのを感じて、彼女はため息混じりに苦笑した。
「なんだか、逆に清々しいですね」
「あ」
仙蔵はその声でやっと彼女に意識を戻した。ばつが悪そうに眉を寄せる仙蔵に、彼女はまたくすくす笑った。
「今のできっぱり諦めました。やっぱりあなたの眼中には白石先輩しかいないみたいで」
「……すまない」
「三度目ですよ、それ」
二人がそう話している間に、春市は難しい顔で二人のところまで駆け寄っていた。彼女は春市をちらりと振り返って、また仙蔵に目を向けた。
「それじゃあ、約束ですから」
そう言って、彼女は塀から降りた。その前には春市がたどり着いていて、降りてきたくのたまに思わず顔をしかめた。
「そんなに警戒しなくても。私、立花先輩を諦めます」
「……え?」
春市が一瞬遅れてきょとんとした。
「やっぱり駄目でした。嫉妬してしまいますよ、本当に」
「なに、一体どういうこと?」
「すみません、白石先輩。立花先輩が私を選んだなんて嘘ですよ。先輩は私じゃなくて、最初からあなたしか選んでいないんです」
「おい、変なことを言うなっ」
仙蔵が焦ったように上から言った。彼女は楽しげに笑うと、言った。
「お二人とも、言葉が足りないんですよ。もっと素直になればいいのに」
その台詞に、春市は一瞬目を伏せてから、すぐに彼女の目を見て答えた。
「もう痛いほどわかったよ」
「……なら良いです」
くのたまは少し悲しそうに微笑んだ。
「無駄に嫌がらせしてすみませんでした。羨ましかったので、つい出来心で」
「なにそれ」
春市は不満げに呟いた。
「それでは、お邪魔な私は消えてあげますよ。さよなら、先輩方」
彼女はどこかすっきりしたような顔で言って、そのままくのたま領に向かって足早に行ってしまった。一度も振り返らなかった。


前<<>>次

[34/38]

>>目次
>>夢