07-9



仙蔵の姿を遠目で見つけて、春市は慌てて踵を返した。今の時間にここにいるってことは、彼は夕飯を食べに食堂へ向かっているのだろう。春市も食堂に行こうとしていたのだが、仕方がない。しばらくどこかで時間を潰そう。
ちらりと振り返ると、仙蔵と一緒にいた留三郎と伊作がこちらを見ていたので、すぐに目をそらした。
食堂に向かう生徒達とすれ違ってゆっくり歩いていると、見たくない相手が前方から現れたので、春市は思わず顔をしかめた。
相手も春市に気がついて、少し驚いた風にした。春市は気づかなかったフリで俯いて、足早にその横を通り過ぎようとした。
「――待ってください」
「……なに?」
しかし相手がそう呼び止めたので、春市は仕方なく足を止めて聞き返した。
「少し、話があります」
「僕はない」
「私にはあるんです」
そして相手は春市の顔を見て、くすりと笑った。
「そんな自分勝手だから、あなたは立花先輩に捨てられたんですよ」
「はあ?」
春市が思わず睨みつけても、相手はくすくす笑うだけだった。
――本当、この女嫌い!
仙蔵に捨てられたとすれば、原因はお前だと春市は思った。

* *

仙蔵がやってくるのを見て、彼女は息をついた。
仙蔵と月見ができることを喜ぶべきか、もうすぐ彼と一緒に居られる時間が終わることを悲しむべきか。
――予想はしてたけど。
「立花先輩、こんばんは」
「ああ」
にっこりと挨拶をしても、彼は淡々と頷いただけだった。いつものことだ。
亥の刻なんて、幼い一二年生以外は全員活動時間だ。長屋の方からも色んな人の会話が風に乗って流れてくる。秋の美しい月を見るのには興醒めだが仕方がない。彼女は、仙蔵をつれて出来るだけ人の声の聞こえないところへと移動した。
仙蔵が先約と言った彼らと集まるのは、早くてもあと半刻はかかるだろう。彼らも一応、月見というものは静かになってから行うものだと思っているから。月より団子だろう彼らがそんな風情をいつまで保てるのかは知らないけど。
本当は彼女ももっと遅くに仙蔵と会いたかったのだけど、時間が無かった。
――あの人が自分の間違いに気づく前に、立花先輩と一緒にいたい。

* *

くのたまに連れられて、春市は不機嫌な顔のまま人のいない裏庭に立った。相手は無表情で春市をじっと見ていた。話があると言ったくせに、と春市は眉を寄せる。
「話ってなに?」
「明日、先輩方は毎年恒例のお月見だそうで」
仙蔵に聞いたのだろうか。春市は気に食わない、と心の中で呟く。
「立花先輩もお誘いしているんでしょう」
「うん」
春市が頷くと、彼女はまたくすりと笑った。
――この人は時々こうやって、嫌な感じに笑う。
「そのお誘い、断られますよ」
「なにそれ」
「明日は私が立花先輩とお月見するんです」
どこか優越感を仄めかすような目をした。春市は顔をしかめてその目を見る。
「立花先輩はあなたじゃなくて、私を選んでくれるの」
春市はそんな彼女を睨みつけたまま黙っていた。
「もともとあなたは私には勝てなかったと思いますけど」
「……うるさいなあ。なんなの。勝ち負けの話じゃないし、僕は仙蔵くんが約束を破ったから怒ってるのであって、別に選ばれるとか選ばれないとか考えてない――」
「嘘ばっかり」
苛立った春市の言葉を、ぴしゃりと彼女が遮った。
「自分勝手で嘘つき。先輩、私に立花先輩が盗られて、八つ当たりしてるだけのくせに」
強い目で見つめられて、春市は口を閉じた。
「私が立花先輩と恋仲になったの。もうあなたが立花先輩に取り入る隙なんてありませんから」
くのたまはそう言って、春市を置いてさっさとその場を去った。

彼女は、最近実習で関わったとかで仙蔵と仲良くなった。最初から彼女が仙蔵に恋をしているのには気づいていたが、仙蔵にはその気がないとも思っていた。だから彼女の告白も、そこまで心配するわけでもなく、本当に一応という気分で見ていただけだった。彼女の口が『好きです』と動くのも『返事はいつでも構いません』と動くのも、淡々と見ていた。
そして最後、彼女が走り去る時に。
仙蔵が彼女を引き止めるように手を伸ばしたのを見て、そこで始めて引っかかった。おそらくどうという訳でもない、そこまでの意味はなかった。そう思いながら、でも、と不安が残っているのを感じた。
――ああもう、そんなに気になるなら、おいかけっこで、勝ってお願いしてしまえ!
そう思ったのに、上手くいかなかった。今までにないくらい、春市は彼女と仙蔵が憎かった。


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