07-8



ぽっかりと浮かぶ満月をぼうっと眺めていた春市の部屋に、声がかけられた。
「春市、いる?」
春市は少し間を置いてから、部屋の襖を見て応えた。
「どうぞ」
「あ、うん」
そして遠慮がちに襖を開いたのは、伊作と留三郎だった。伊作は湯呑が七つ載った盆を持って、留三郎は急須を携えていた。
「みんなはまだ?」
「うん」
二人が部屋に入ってきたのを確認して、春市はまた月に目を向けた。そんな春市に苦笑しながら、伊作は盆を机の上においた。
「団子買ってきてくれた?」
「その辺にあるでしょ」
「あ、これか。この団子屋って美味しいところだよねえ。学園長のお気に入りの」
春市のいつになくそっけない態度にも関わらず、伊作はいつも通りに振舞おうとしているようだ。逆に、留三郎は部屋に来てから一度も言葉を発していない。春市の背中をじとりと睨むように、何か言いたげにしている。
「小平太は体育委員会でマラソンに出てたから夕飯に間に合わなくて、長次に作ってもらってたよ。多分もうすぐ来ると思うけど」
「そう」
「約束してるっていうのにねー……」
伊作がちらっと留三郎の方を見た。そろそろ限界なのだろうか。しかし留三郎はむすっと黙り込んだままで、伊作は困ったように苦笑した。
「……春市ー!」
そこに元気な声が飛んできて、春市は月から目を離してそちらを見た。庭の方から駆けてくるのは、今さっき話題に登った小平太と長次だった。
「あ、伊作と留三郎はもう来てたのかあ」
「さすがに小平太よりは早いよ」
「ふうん?」
伊作の言葉に少し首を傾げたが、すぐにまあいいやと春市の部屋に上がり込んだ小平太。それに続く長次。春市はそれを見てまた目を逸らした。
「まだなのは文次郎と仙蔵だね」
「……もうすぐ来るだろう」
「早く来ないかなー。団子食べたいー」
「小平太はさっき夕飯食べたばっかでしょ?」
「それとこれとは別だ!」
からから笑う小平太に、伊作も笑う。さっきまでの気まずさがかなり軽くなったのを感じた。
が、しかし。
「――ところで春市、お前仙蔵が来たら謝れよ」
と、小平太はさらりと言った。ぴたりと笑うのをやめた伊作と、小平太を見やる長次と留三郎、そして満月を見たまま動かない春市。
しかし空気は確実に強ばってきている。伊作が少し冷や汗を感じ始めた時、春市がゆっくりと四人の方を振り返った。思いっきり顔をしかめて。
「はあ?なんで僕が」
「お前まだそんなこと言ってるのか」
「そんなことって何?だって仙蔵くんが悪いんだよ。僕は謝る気はないから」
小平太ですら、春市と仙蔵のことには呆れていたようだった。小平太の言い方にさらに不機嫌そうになった春市を見て、伊作は思わずため息をついた。
「仙蔵くんが謝るまで、僕は仙蔵くんとは話さないの!」
「子どもか、お前は」
「小平太くんに言われたくないんだけど」
最近の春市は常に不機嫌だ。その原因に面と向かって言及されて、ほとんど臨戦態勢に入っている。
「……なあ、春市」
と、それまで黙っていた留三郎が口を開いた。彼は春市に負けず劣らず不機嫌な顔で、春市は納得がいかないというように眉を釣り上げる。
「俺はお前の言ってる、どっちが約束を破ったかっていう話はどうでもいいんだよ」
「は?良くないし」
春市がイラッとした様子で答えた。
隣にいた伊作には、そこで留三郎の堪忍袋の緒がブチッと切れた音がしたように感じた。
留三郎はあーもう!と声をあげて、苛立たしげに畳をバンッと叩いて身を乗り出した。
「つーかな!お前ら両方女々しいんだよ!ぐだぐだしやがって!」
「何それ!留三郎くんには関係ないでしょ!」
「見ててイライラすんだよ!もっとハッキリしろ!!」
「勝手にイライラしてれば!?ほっときなよ!」
「んだとぉ!」
瞬く間に二人とも怒声を上げ始める。ついに留三郎が立ち上がろうとしたので、慌てて伊作が抑えた。春市の方も同じように長次に止められている。
「餓鬼みたく意地になりやがって!」
「子どもみたいで悪かったね!それ、文次郎くんと同じこと言ってるから!」
「文次郎は関係ねえだろうが!そういうとこが子どもなんだよ!」
「それに対して本気で喧嘩してる自分のことわかってんの!?」
「うっせー!話を逸らしてんじゃねえ!」
そもそもさっきから話逸れてるって、と伊作は内心声を上げる。
「――お前、仙蔵に謝れ!怪我のこと悪いと思ってんだろ!!」
留三郎がそう言ったとき、春市ははたと動きを止めた。それから留三郎から目を逸らして畳を睨むように俯いた。
「あれは、仙蔵くんが悪いの!自業自得だもん!」
「嘘つけ!いっつも遠くから心配そうに見ておいて、今更何言ってんだ!」
「そ、そんなことしてないもん……!」
と、春市は言うが完全に嘘である。仙蔵がいるのを見つけた途端に慌てて踵を返し、仙蔵がそれを見て眉を下げ、目を逸らしたところで春市がちらりとまた振り返る。その二人の様子は、ここ数日頻繁に見られる光景だった。それを見て留三郎と小平太は不満げにし、伊作と長次は心配していたわけだ。
「と、とりあえず二人とも落ち着こうよ。ほら、春市も色々思うところがあるんだろうし」
伊作が努めて微笑んで言うと、留三郎と春市は案外大人しく聞き入れた。浮かしていた腰を下ろす二人に安堵の息をついて、伊作はその流れで呟いた。
「っていうか、結局春市はなんであの二人の仲を取り持ったの?」
「……あの二人って?」
春市がまだ不機嫌そうながらそう聞き返したので、伊作は少し首を傾げた。
「仙蔵とあのくのたまに決まってるじゃない」
「……は?」
春市は目を瞬かせて、惚けたような声を出した。
「どういう意味?」
「え、だから、くのたまの告白を受けろって仙蔵にお願いしたって話」
「ああ、それも気になってた」
「私も聞いたぞー。な、長次」
「もそ」
四人は頷く。春市はぼうっとそんな彼らを眺めていた。
――あれ?
五人の心の声が重なったと同時に部屋の襖が開いた。
「お、なんだ、俺が最後か」
「文次郎くん……」
襖に顔を向けていた春市が一番に反応し、他の四人はばっと振り返った。その様子に文次郎は一歩後ずさる。
「な、なんだこの空気……」
「文次郎、仙蔵は!?」
「仙蔵?」
勢い込んで尋ねた伊作に首をかしげながら、文次郎は答えた。
「――あのくのたまと月見だからって……」
と、文次郎が言いかけた直後、春市は縁側から庭に飛び降りた。
「おい、春市!?」
「どこ行くの!」
慌てて部屋にいた彼らがその背に声をかけるが、春市はそのまま走って行ってしまった。
――ああ、間違えた!


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