07-7



仙蔵が日の当たる教室の窓際で本を読んでいたところに、仮恋仲中の彼女がやってきた。いつものようににこにこと話し出す彼女を、仙蔵は最初にちらりと目をやっただけですぐに無視の態度に入った。
授業の終わった教室に人はおらず、くのたまの一人で話す声と仙蔵の頁を捲る音だけが虚しく舞っている。
やがて彼女は話をやめた。仙蔵はそれを知覚してからしばらくは特に反応を返さなかったが、思ったよりも長くその沈黙が続いたので、本から目を離して不審そうに彼女を見た。するとくのたまは嬉しそうに顔を明るくさせた。
――こいつは、本当にどういうつもりなんだろう。
告白を受け入れた時点から、仙蔵は彼女に徹底して冷たい態度を貫いている。可哀想でもあるし心苦しくもあるが、それ以上に春市と自分の関係に亀裂が入った原因なように思えてしまって、その態度を崩すつもりは今のところない。
早く彼女から仙蔵に愛想を尽かして離れればいいと思っているし、それが伝わるような態度であるはずだ。それでも未だに仙蔵が目を遣るだけで嬉しそうにするのだから、本当に理解できない。
彼女は嬉しそうなまま言った。
「明日は、満月ですよ。中秋の名月」
「……そうだな」
だからなんだと思いながら仙蔵は低い声で答える。くのたまがさらに嬉しそうに笑ったのは、仙蔵がまともに反応を返したからだ。
「今日、山本シナ先生が突然、明日の放課後にくの一教室のみんなでお月見のお団子を作りましょうって仰ったんです」
それから彼女は、えっと、と一度言い淀んでから、意を決したようにこう言った。
「あの、明日の夜にお月見しませんか?二人で」
頬を赤くして照れながら、不安そうな目をする。
――普通の男だったら、一つ返事で頷くだろうな。
と、仙蔵は冷静に感想を持った。
「明日の夜か」
そう呟きながら、どうしたものかと考える。
――良い言い訳にはなるな。
今朝、仙蔵は文次郎に『明日の夜は春市の部屋で月見だからな。逃げるなよ』と釘を刺されたところだった。未だに自分が破ったという春市との約束はわからず、今彼と会うには勇気がいる。
恋仲と友人を天秤にかけて、前者をとるのは普通のことだろう。今このくのたまの誘いを受けたなら、うまい言い訳で春市と会うのを避けることができる。
「――明日は先約がある」
そこまで考えたところで、口をついて出てきた言葉。仙蔵は自分のことながら苦笑した。
――やはり、彼女といるよりは少しでも春市の声を聞きたいか。
「中秋の名月は友人の誰かの部屋に集まって月見をするのが毎年恒例でな」
言い訳じみていると自分でも思いながら、仙蔵は続ける。くのたまはそんな彼を見て眉を下げた。
「そういうことだから――」
「毎年恒例、なんでしょう」
はっきりと断りの言葉を伝えようとしたのを遮って、くのたまは言った。仙蔵は口を閉じて彼女の方を見る。
「一度くらい、いいじゃないですか」
彼女は顔を俯けていた。仙蔵はそれを見ながら、うんざりした様子で眉を寄せた。
仮にも恋仲であるのに仙蔵が冷たい態度でいても、一言も文句を言わなかった。控えめに悲しそうにするだけで、なんとか意識を向けられようと健気な様だった。それがついに我慢しきれなくなったか。だったらいっそ別れてしまえ、と仙蔵は勝手なことだと知りながら思う。
「私だって立花先輩と一緒に月を見たいんです。あの人ばっかりずるいじゃないですか」
「ずるいとは変な言い方だな。友人同士に対して」
仙蔵が冷たい声で言ったのを聞いて、くのたまは黙り込んだ。仙蔵は苛立ち紛れにため息をついて、また本に目を戻した。
「――明日、亥の刻から子の刻まで。一刻で良いです。一緒にお月見しましょう」
仙蔵は顔をしかめてくのたまの方を見たが、彼女は予想とは違って、意地になっているわけでも怒っているわけでもなかった。
ただ悲しそうに笑った。
「――そうしたら、私、立花先輩を諦めます」


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