07-5



頬だけでなく顔全体を真っ赤にして、彼女は仙蔵を見上げた。意を決したような目を見て、仙蔵は頭の片隅で面倒の二文字を浮かべる。
「――す、好きです!立花先輩!」
大人しくて、好感は持てた。今も、こうして面と向かって想いを伝える点は良い。差出人不明とした恋文で伝えっぱなしにされるよりは、よほど気持ちがいい。ただ、その相手が自分だと考えた時点で、なんだかどうでもよくなってきた。
しかし本気の相手に内心の諸々を知られるのはさすがに申し訳がない。こんな風に冷めた心で見ている罪悪感の代わりに、仙蔵は眉を下げて困った顔をしてみせた。
「気持ちは嬉しいが、」
「わかってます。立花先輩は私のこと、なんとも思っておられませんよね」
彼女はくのたまの五年生だと言った。悲しそうに小さく笑う。いい子だと思う。
「それでもいいです。意識してもらえるなら、私に少しでもチャンスをくれるなら」
微笑みの下ではおそらく気が気でない。くのたま上級生となれば感情を表に出さない技術は相当だ。仙蔵には通用しないが。
「しかし、」
「返事はいつでもいいですから!」
くのたまはそう言って、深く頭を下げて私に背を向けた。
あ、と小さく呟きながら、少し彼女に手を伸ばした。引き止めようとしたが、相手もくの一のたまご、全力で走っていけば、あっという間に見えなくなってしまった。
少しでもチャンスをくれるなら。
彼女の言葉には、隠しきれない自信が見える。チャンスなら、もらえると思っている。
――チャンスなんて無い。
――私は誰かと恋仲になるつもりなんて微塵もないのだから。
――唯一欲しい相手は、そんなこと一つも考えていないのだから。

その日の放課後に仙蔵と鉢合わせた春市は、大きな目をぱちりと瞬かせた。
いつもなら仙蔵に襲いかかるにも世間話をするにも、まず最初に明るい笑顔を見せる。しかしこの日の春市の顔は静かに落ち込んでいるように見えて、仙蔵は心配そうに声をかけた。
「どうしたんだ?」
「あー……ううん、別に何も」
春市はそう言ってへらりと笑ったが、それもいつもの様子とは全く違っていて、仙蔵は心配そうに眉をひそめた。
「――それより、仙蔵くん!」
一瞬俯いたかと思えば、春市はやっといつもの笑顔を見せて懐に手を入れた。
仙蔵はそれを見るや否や、長い付き合いで染み付いた反射的な動きで春市に背を向け、駆け出した。
後ろから追ってくる軽やかな足音を聞きながら、仙蔵は先ほどのどこか悲しげな春市の様子をちらちらと思い浮かべていた。
――一体、今日はどうしたのだろう。

「――仙蔵くーん。出てきてよ〜」
――お前に呼ばれてのこのこ出ていくほど馬鹿ではない!
声には出せないので、心の中で言い返す。
この日のおいかけっこが始まってからおよそ半刻。いつもおいかけっこは短くて半刻、長くて一刻で終わる。春市の気分で始まり、春市の気分で終わる。
「――今日はもう終わりにするからぁー」
おや、と思う。普段おいかけっこが終わるのは、春市が諦めてふらふらと何処かへ行ってしまうのを合図としている。この日のように宣言がされるのは、誰かに止めるよう言われた時くらい。
「……本当に終わりか?」
「あ、そんな所にいたの」
隠れていた屋根裏の板を外して顔を出すと、春市が見上げてきた。気づかなかったような反応をするが、驚く様子が無かったことと、しばらくこの場所に留まっていたことから、隠す気の無い嘘だとわかる。
「珍しいな。そうやって宣言するのは」
「うん。ちょっと仙蔵くんに言いたいことがあって」
先ほどの悲しげな様子の説明が聞けるだろうかと期待したが、そうではなかった。
「明日もおいかけっこしたいの」
「はあ?」
仙蔵は面倒と不可解を混ぜたような表情をした。また明日も同じように追いかけられなければならない面倒くささと、普段とはやはり様子の違うことに対する不可解。
「……お前、今日はやっぱり変だぞ」
「そうかな?まあ、そうかもねえ」
一度自分で否定したくせに、すぐまた翻す。どうも今の自身との会話に対する注意が逸れているのがわかって、仙蔵はますます眉を寄せる。
「おいかけっこがしたいっていうか、仙蔵くんに頼みたいお願いがあるの」
「なんだ?そのお願いって」
「仙蔵くんは捕まえないとお願いを叶えてくれないから、言わないー」
それはいつものお前のお願いが罰ゲームだから、と思いながら、仙蔵は黙っておいた。
「ねえ、明日もおいかけっこしてくれる?」
「……別に構わないが、明日なら勝てると思っているのか?」
「明日は本気でやる」
春市がふと真剣な顔をしたので、仙蔵は面食らってしまった。
「だから、明日のおいかけっこで僕が勝ったら、お願い聞いてよ」
「……勝てたらな」
「絶対勝つの!」
春市が不満そうに頬を膨らませる。その様子はいつもの年齢より幼い春市と同じで、仙蔵は思わず笑ってしまった。
「珍しいな、そんなに真剣なお前は」
「今回はちょっと、本当に勝たなきゃな事情があるからね」
どんなお願いがされるのかを考えると背筋が薄ら寒いが、春市が本気で真剣に頼むなら、どんな願いも叶えてやろうじゃないかと思い始めた。
「あ、それに当たって、頼みがあるんだけど」
「私は捕まえないと叶えてくれないんじゃないのか」
「むー。ちょっとしたことだよ!」
揚げ足を取ってみると少し怒ったように顔をしかめた。くすくす笑いながら仙蔵は首を傾げた。
「なんだ?」
「あのね、今日告白されてたでしょ」
そこで仙蔵の笑顔が凍りついた。
「……なんでそれを」
「あそこ、廊下の窓から見えるんだよ?知らなかった?」
知らなかった?と聞かれれば当然知っていたが、その廊下は普段生徒も教員も通る用事のない場所だ。だからこそ秘密に話したい奴らがそこを使うというのに。
「偶然通りかかった時に見たら仙蔵くんとくのたまの子がいたから、見てたの」
「……悪趣味だぞ」
「仙蔵くんだったから見てただけー。流石に知らない人同士だったら見てないって」
――いや知り合いでもやめろ。特に私の時は!
仙蔵は急激に不機嫌になった顔で春市をじとりと睨む。その春市は仙蔵の不機嫌を読み取りながら、ごめんね?と軽く謝ってくる。もっと誠意を込めてほしい。
「……で、それがどうした?」
「返事した?」
「その前に逃げられた」
「ああ、そう。やっぱりね」
春市は頷いて、少し笑った。
「じゃあ間に合った」
その言葉で、春市が頼みたいお願いの内容が仙蔵にはわかった。
「返事は、明日のおいかけっこが終わってからね」
「……春市、それは」
「勝手に返事しないでねえ」
いつも通りののんびりした口調で言いながら、春市の目はじっと仙蔵の目を見ている。
「どういうつもりだ?」
「仙蔵くんの好きにされると、僕が困るの」
春市はすうっと表情を消したと思えば、小さな声で言った。
「……明日勝ったら、僕のお願い聞いてよね」
――私の気持ちとは逆のことを?
春市はそのまま挨拶もせずに仙蔵に背を向けて行ってしまった。


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