07-4



春市は部屋の外からかかった声に顔をしかめた。
「話がある。入れてくれ」
「嫌だよ。帰って」
「無理だな」
なにそれ、と春市は不満げに呟いた。
「別にいいだろう。他の奴ならまだしも、俺は」
「えー……」
突っぱねられても無理に部屋に入ってこようとせず、障子の向こうで許可を待っているのが彼らしい。
長次や伊作のように心配そうでもなければ、小平太や留三郎のように不満そうでもない。そんな彼ならまあいいか、という心理が働いて、春市はため息混じりにどうぞ、と答えた。
文次郎はその答えを聞いてすぐに、躊躇いなく障子を開けて部屋に入ってきた。
「ああ寒い。もうすっかり秋だな」
「夜は冷えるよ。羽織も無ければ寒いに決まってるじゃない」
「馬鹿者。話が終わったら鍛錬に出るんだ。羽織なんか着て来るわけがないだろう」
相変わらずだなあと思って春市は少し笑った。文次郎は昼間と同じ装束姿である。
「話ってなに?」
だったら時間を取らせるわけにもいかないだろう。春市は文次郎に尋ねた。
すると彼には珍しく、いや、と言い淀み、結局本題とは取れないような話を始めた。
「そういえば、明後日は満月だぞ。また他の奴らを呼んで、月見でもするか」
「文次郎くんって話をはぐらかすのが壊滅的に下手だよね」
春市がはっきりと指摘すると、文次郎はばつが悪そうに顔を逸らした。
「まあでも、確かに秋の月見はいいよねえ」
「去年は確か伊作と留三郎の部屋で集まったんだったか」
「そうそう。伊作くんが用意しておいた団子が、鼠に齧られちゃってね」
「そうだったな」
結局その後団子無しでの月見は有り得ないと言い出して、小平太と文次郎と留三郎が学園長の隠しているものを貰おうと画策し、それがバレて三人は酷く怒られたのだ。結局長次が次の日の放課後に作ってくれて、一日分欠けた月をみんなで眺めたことまで思い出した。
「今年は、この部屋が良いんじゃないか。一人部屋だし、騒いでも大丈夫だろ」
「そうだね。そういう話になればね」
淡々と答えると、文次郎は口を噤んでしまった。
――今の状況では、月見なんてとてもじゃないが出来ない。
「……四日経ったが、俺は未だに詳しい話は聞いていない」
文次郎が低い声で言った。やっと本題か、と春市は文次郎の顔を見る。
「お前が食堂で随分派手に仙蔵を責めたというのも想像できない」
「そうだろうね」
春市自身、あの時の自分の激しさには困惑するほどである。
「ただ、仙蔵の首を締めたのは本当だろう」
「うん」
文次郎と仙蔵は同室。遠目に見た、仙蔵の白い肌に馴染んだ白い包帯を春市は思い出していた。
「……お前、何がそんなに気に入らなかったんだ?」
「……それは、誰かに聞いてこいって言われたの?」
「いや。単に俺が気になるだけだ。気になって鍛錬にも身が入らないから、この際はっきりさせたい」
文次郎は単純な男だ。友人と友人が喧嘩をしたというだけで、鍛錬に身が入らなくなるほどの。
「……僕は悪くないもん」
「はあ?」
口を尖らせて、春市は言った。文次郎が不可解そうに顔をしかめる。
「約束を破った仙蔵くんが悪いんだから」
「……仙蔵も約束がどうのと言っていたな」
文次郎が顔をしかめたまま言った。
「約束ってなんだ?仙蔵は、その約束がわからないから謝れないと言っていたが」
「わからない?信じらんない!」
「俺に当たるな」
不機嫌そうに声を上げた春市に、文次郎は面倒そうに眉を寄せた。憮然として畳を睨む春市を見て、確かにこの話題に関しては随分ご立腹だと文次郎は思った。
「しかしなあ」
文次郎はなんとなく納得がいかないような声で言った。
「仙蔵は人との約束を忘れるような男ではないぞ」
「僕もそう思ってるよ。つまり、仙蔵くんは覚えてるけど約束を破って、知らないフリしてるってことでしょ」
「いや、そこまで疑ってやらなくても……」
文次郎が苦々しい顔をする。ふんと鼻を鳴らして、春市は不機嫌そうだった。
「本当に約束したのか?」
「したよ!いつものおいかけっこで勝ったら、お願い聞いてくれるって言ったの!」
疑うの?と目を細める春市に、文次郎はいやいやと手を横に振る。
「なんて頼んだんだ?」
文次郎が聞くと、春市は何か考え込んでから、首を振った。
「教えない」
「なんで」
「仙蔵くんが約束を破ったのを認めて謝るまで教えてあげないの!」
子どもか、と文次郎は呆れ顔。何その顔!と春市は怒り顔。
「仙蔵には言わないから、教えてくれよ」
「信用できないもん」
「お前、仮にも友人に対して……」
少し傷ついたような顔をした文次郎に対し、子どものようにそっぽを向く春市。
「ちゃんと約束するから。仙蔵を見ていて、お前との約束を破ると大変だとはわかった」
「当たり前だよ」
春市は即座にそう返したが、そう言われればそうだ、と思って文次郎に顔を向けた。
「……じゃあ、絶対仙蔵くんには言わないこと。言ったら」
「首を締められるんだろ」
「文次郎くんならもっと酷い怪我でも良さそうだしね」
「それは差別だろ!」
慌てて反論する文次郎に、春市はけらけら笑う。
「じゃあ、教えてあげる」
「おう」
そして話が元に戻って、文次郎はなんとなく姿勢を正した。
「仙蔵くんと一緒にいるくのたまのこと」
「恋仲のか」
文次郎が零した単語に、春市はむっと顔をゆがめて畳をばしばしと叩いた。
「それだよそれ!」
「どういうことだ?」
「僕が勝ったら、あの子からの告白をお断りする約束だったの!」
「……え?」
春市の言葉に、文次郎は目を瞬かせた。
「それを無視してさあ。食堂でお喋りしてんだもん、そりゃあ首も締められるよ!」
「さすがに首を締めるのはやりすぎだろうが……」
そう諌めながら、文次郎は事の不可解さに眉を寄せていた。
――そんなこと、春市が頼まなくてもそのつもりだったはずだが。
「そもそも仙蔵は告白を受ける気は無かっただろ」
「だったら僕のお願い聞けばいいじゃない」
「まあ、そりゃそうだが……」
だから不可解なのだ。顔をしかめたまま、文次郎は続ける。
「でもあいつ、今まで告白されて応えたことなんかあったか?」
「あったよ。三年の時と四年の時」
よく覚えてるなと文次郎は驚く。同室の自分は全く記憶にない。
――だって仙蔵は、ずっとこいつのことばかりだったから。
「でも二回だろ?」
「二度あることは三度あるって知らないわけ?」
知っているけども、と文次郎は困った顔をした。
「とにかく、仙蔵くんはもしかしたらあの子のこと気になってるのかなって思ったの。だから約束したのに」
「なんでそうだと?」
「……なんとなく」
春市が目を逸らして言った答えに、文次郎はため息をついた。それに少し不満げな顔をして、春市が続ける。
「僕だって半信半疑だったよ!でも実際僕の約束を蹴ってあの子といるんだから、そういうことでしょ」
「うーん……」
尚も不可解だというように首を傾げる文次郎。
――これは、仙蔵にも話を聞いた方がいいな。
「……ま、お前の主張はわかった」
文次郎がそんな曖昧な答えで話を終わらせようとするので、春市は頬を膨らませた。
「だから、僕は悪くないから」
「わかったわかった。ところで、なんでそんな約束をしたんだ?別に仙蔵があのくのたまと恋仲になったところで、お前には関係ないだろ」
文次郎の問いに、春市はふと表情を消して、少しの間を置いた後にぼそっと呟いた。
「……仙蔵くんは、僕のだもん」
その声は滅多に聞かないような低い声色で、少しの怒りとそれを大きく上回る寂しさと羨ましさが混ざっていた。
文次郎はその声にしばし目を丸くして、はっと何かに気づいたように息を呑んだ。
「まさか、お前、仙蔵のこと――」
「今更はっきりさせる事じゃないでしょ」
春市の不機嫌そうな声が文次郎の言葉を遮った。
「や、ちょっと待て。本当に?嘘か?」
しどろもどろに尋ねる文次郎に、春市は眉を寄せて呟いた。
「――僕は、前から仙蔵くんのことが好きだったの」


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