07-3



伊作がじっと仙蔵の喉を見て、深いため息をついた。
「あのさ、仙蔵。ちゃんと渡した薬塗ってる?」
「ああ」
仙蔵がさらりと答えて頷いたが、伊作はまだ不審そうに眉をひそめる。
「あれちゃんと塗らないと、傷が残るかもしれないんだよ?」
「わかっているさ」
新しい包帯を渡されて、仙蔵は慣れた様子でするすると巻いていく。
四日前に春市の縄で締められた首には、締められた跡が未だにうっすらと残っている。しかし伊作が懸念しているのは、そちらではなく傷の方だ。
小平太と留三郎に引きはがされた時、春市は仙蔵の首に残ったままの縄を一気に引いた。もともと戦闘でも使えるようにと作られた縄であり、そうして回収された後には細長い傷がいくつも残った。伊作曰く、圧迫による痣は残らないだろうが、その傷の経過が心配だという。
「……仙蔵、あの後春市と何か話した?」
伊作の問いに、仙蔵は一瞬手を止めた。それから何事も無かったように包帯を巻き終えた。
「顔も合わせていないな」
「そっか……僕も、ほとんど見ないよ」
伊作が寂しそうに眉を下げた。
「会ってもすぐに顔を背けて走っていっちゃうし」
「あいつはあれで、頑固というか、執念深いところがあるからな」
四日前の食堂での一件以来、春市は他の六年生との接触を避けているようだった。仙蔵に至っては、遠目で姿を見るくらい。同じ組の小平太と長次についても、授業が終わるとすぐに何処かへ行ってしまって話すタイミングがないらしい。
「……未だによくわからないんだけどさ」
伊作がなんとなく言いにくそうに仙蔵の顔を伺う。それに少し眉をひそめたが、仙蔵はあくまで冷静に、なんだ、と聞き返した。
「春市と仙蔵、何があったの?」
「何も」
「そんなはずないだろ」
いつになく強い口調で言う。仙蔵は納得のいかないらしい伊作の顔を見て、ため息をついてみせた。
「本当に何もない」
「嘘だよ。何もないなら、春市があんな風に怒るわけないし、それに、まだあのくのたまのことだって聞いてないよ」
四日間なら、長く待った方だろう。その間、伊作を初めとして仙蔵と春市以外の五人は、何か言いたそうにしながら二人を見やっていた。
「そろそろ教えてくれても良いんじゃない?」
「……」
仙蔵は伊作の顔から少し目を逸らした。困っていることは伝わっただろう。それでも伊作はじっと仙蔵の言葉を待っていた。
「……春市にお願いをされたんだよ」
「お願い?」
観念したように小さな声で話し出した。伊作は首を傾げて復唱する。
「いつものことだろう。おいかけっこの罰ゲーム」
「ああ、そういう。で?どんなお願い?」
「……あのくのたまからの告白に、承諾するようにと」
仙蔵が言うと、伊作は目を丸くして、はあ?という反応をした。
「なにそれ?なんで?」
「私が知りたい。何が悲しくて春市にそんなこと」
仙蔵が不機嫌に呟いたので、本当に知らされていないらしいのがわかった。
「くのたまに仲を取り持ってくれるように頼まれたとか?」
「そうでもなさそうだ。春市に認められるか不安だというような事を言っていたし」
「うーん」
伊作が悩ましげに首を捻った。仙蔵はもう嫌という程その理由については頭を悩ませたので、その様子をただ見ていた。
「じゃあ、春市は何にあんなに怒ったの?」
「知らん。約束を破ったとか言っていたが……」
「心当たりはないの?」
「あったらとっくに謝っている」
心当たりが無いから、春市に会えない。
おそらくあの怒りようからして、相当頭に来ているらしい。何が理由かわからないままで謝ったところで、許してはもらえないんだろう。かといって、何のことか等と聞けば、また最低だの馬鹿だの罵倒されるだけなのは目に見えている。案外あの時の暴言と捨て台詞は、仙蔵に強い衝撃を与えた。もうあんな風に言われるのも御免だ。
「でもさあ、このままってわけにもいかないでしょ?」
「……」
伊作が心配そうに言う。
――このままでいいわけがあるか!
心の中ではそう叫びながら、仙蔵は難しい顔で黙り込んだ。
「……とにかく、僕らも心配なんだから。ちゃんと話し合ってよ」
「……ああ」
仙蔵が小さく頷いたので、伊作はふうとため息をついた。
「あと、薬はちゃんと朝夕二回塗ること!」
「わかっている」
「嘘。だってちゃんと塗ってれば昨日には薬が切れて僕のところに来るはずだったんだから」
じとっと睨むように見られて、仙蔵は苦笑した。
「薬残ってるの?新しいの作ろうか?」
「大丈夫だ。残っているから」
「もう。傷が残って困るのは仙蔵なんだよ?」
聞き分けのない子どもに言い聞かせるように、眉を寄せて首を傾げる。わかったわかった、と手を振って、仙蔵は立ち上がった。
「世話になったな。また明日も頼む」
「はあい。おやすみ」
伊作は苦笑して、伊作と留三郎の部屋から出ていく仙蔵を見送った。留三郎は鍛錬に出ると言って部屋にはいない。
自室に戻って、仙蔵は部屋に文次郎がいないのに気づいた。委員会活動か鍛錬かで部屋にいることの方が稀なので、今日は後者だろう。
伊作に貰った塗り薬は、傷の跡が残らないように塗るものだと言われた。それは仙蔵用の棚の中に無造作に放り込まれている。伊作には悪いが、仙蔵はその薬をまだ二三度しか使っていなかった。朝や夜にそんなことを気にするほどの余裕が無いという理由もあれば、単純に面倒くさいという理由もある。
そして、心の片隅では、傷が残ってしまった方が良いという理由も転がっていた。
――春市が、自分の手で私に傷を残したことを後悔すればいい。
そんなほの暗い欲を伴って。



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