07-2



昨日から仙蔵と恋仲になったくのたまが、頬を赤くしながら話している。身振り手振りをつけて明るい声で仙蔵を笑わせようとしているようなのは見て取れるが、仙蔵は彼女と恋仲になってからまともに笑っていない。
オチまで話し終わって、またくすりとも笑わない仙蔵を見て、彼女は悲しそうに眉を下げた。しかしそれは一瞬で、また何かを面白おかしく話し出す。既に仙蔵は彼女の話をまったく聞いていないのに。
――こいつも、何が楽しくて私と一緒にいるのか。
――結局春市が私と彼女をくっつけようとした理由もわからないし。
この前日に春市とのおいかけっこに負け、それから夜までうじうじと悩み、結局春市の言う通りに彼女の告白に承諾の意を伝えた。好きになったわけではなく、あくまでチャンスを与えるということで、と説明をする仙蔵をぽかんと見ていた彼女は、仙蔵が言葉をやめると途端に泣き始めた。そして途切れ途切れに、それでもいい、嬉しい、ということを言った。
そういうことで、今日からこの二人は恋仲なのである。一応。
「――あ、あの、七松先輩、なんであんなこと言うんですかね」
「……小平太?」
ふと聞こえた友人の名前に仙蔵が反応すると、彼女はやっと会話らしい対応をしてくれたことに目を輝かせて、早口で続けた。
「長次って、中在家先輩でしょう?教えるって、なんかご友人に認めてもらえたみたいで、緊張しちゃうっていうか」
「……そういうものか?」
おそらく小平太は仙蔵に恋仲が出来たからと面白がっているだけなのだが、乙女心にはそれ以上の意味を見出せるらしい。そもそも小平太達に仙蔵の恋仲相手を認めるかどうかの権利は無いだろう。
「私なんかが先輩方に認めてもらえるかどうか、怪しいですけど」
そう謙遜して笑う。彼女はいい子だと仙蔵も思うから、その点は心配しなくてもいい気がするけど、そもそも何を認めてもらうんだ?恋仲といっても、今は仮だとはっきり言ったはずだが。
「――特に、六年ろ組の白石先輩とか」
と、彼女が言った。仙蔵は反射的に顔をしかめた。
「……春市か」
――それこそ問題無いだろう。あいつが手引きしたのだから。
「お二人はとっても仲がいいから」
そう言ってから、彼女は何か言いたそうに口を開いたが、すぐに俯きがちに口を閉じた。
――春市のことで何かあるのか?
仙蔵はその様子から読み取った。
「何か言いかけたな」
彼女はそれに顔を上げて、なんとなく悲しそうな目をして、小さな声で言った。
「……先輩は、」
しかしその続きは無かった。
「――仙蔵くん!!」
その声に、仙蔵が彼女からぱっと意識を逸らしたからだ。
「……春市?」
食堂に駆け込んできた春市は、仙蔵の声を聞いて一瞬立ち止まり、ちらりと仙蔵の前に座って春市を振り返っているくのたまに目を向けて。
ぎゅっと眉を寄せたかと思った時には、仙蔵の視界がぐらりと揺れた。
――は?
ガタガタッと音がして、誰かが悲鳴を上げたのも聞こえた。一緒にいたくのたまが、仙蔵の名前を呼んだのも。
しかしそんなことは全て仙蔵の耳を通り過ぎて、気がつくのは、目の前の春市の無表情と息苦しさだけ。
「――最低」
春市がぽつりと呟くと、更に息が出来なくなった。ぐっと呻いて両手を動かそうとしたが、春市はそんな仙蔵の右腕を勢い良く踏み付けた。
「最低、最低。仙蔵くんの馬鹿」
感情を押し殺したようにぽつりぽつり呟かれる。その度に首が圧迫される感覚。
――首を締めてるのか。
「なんでそんなことするの?仙蔵くんの馬鹿。もう最悪」
「な、に……」
「馬鹿、馬鹿」
「白石先輩!やめて!」
くのたまの声。春市はぴたりと仙蔵を詰る言葉を止めて、自身を睨みつける彼女を振り返った。
じとりと彼女を睨みつけて、春市はまた呟いた。
「本当に最悪。なんで約束破るの?」
そうしてもう一度仙蔵を見た春市の顔は、もはや無表情ではなかった。仙蔵は酸欠でぼんやりした視界でその表情を捉えた。
――なんで、そんなに辛そうな顔をする?
「ねえなんで?犬だって指示されたことは守るのに、なんで仙蔵くんはそんなことも出来ないの?随分躾がなってなかったみたいだね!」
春市の声に激情が滲み出てくるのに従って、仙蔵の首を締める縄もぎり、と細い喉に食い込んでいく。
「春市っ!?」
「やめろ、この馬鹿!!」
バタバタと駆け込んできた伊作と留三郎が声を上げた。声も出さずに春市に掴みかかったのは小平太だった。抵抗した春市だったが、小平太と留三郎の二人がかりで仙蔵から引きはがされた。同時に首を締める縄がいくらか緩まって、仙蔵は急に戻った呼吸にむせて激しく咳をする。
「仙蔵、大丈夫!?」
伊作と長次が仙蔵に駆け寄った。仙蔵はそれに頷いて返そうとしたが、瞬間びりっと首に痛みが走って呻いた。
「春市っ!!」
伊作が鋭い怒声を上げた。当の春市は小平太と留三郎に抑えつけられたまま仙蔵を睨んでいるばかり。
「小平太、留三郎!春市を連れて行って!」
「わかった!」
伊作の指示で、二人は春市を引きずって食堂を出ていった。最後に春市が、酷く怒りながらも泣きそうな声でこう言った。
「仙蔵くんなんか大ッ嫌い!!」



前<<>>次

[26/38]

>>目次
>>夢