04-4



仙蔵が春市に命じられたのは、犬と猫の世話だった。春市が言った通り、全員大人しい質であった。
が、一匹少し気にかかる奴がいた。
「なあ春市」
「なに?」
「猫の、カオリのことなんだが」
「カオリちゃんがどうかした?」
その猫は他の猫よりも一回り小さい体をしていて、まだ二歳だという。白い毛並みの美しい猫だ。
「昨日の夜から、ほとんど餌を食べないんだ」
「え?おかしいなあ」
春市は首を傾げて、後で見に行くね、と頷いた。
春市が世話をしているのは、まだ完全に調教しきれていない動物達。他の動物達と喧嘩したりしないよう、彼らは別に小屋を作ってそこで育てられている。
仙蔵がその小屋を出ると、外でまた文次郎と留三郎がぎゃあぎゃあと言い合いをしていた。人様の家でも、こいつらは相変わらず折り合いが悪い。伊作がそれを止めようとしているのを、小平太が笑いながら傍観している。
「絶対に駿一の方がかっこいいだろうが!」
「いいや、ハヤテの方がかっこいい!」
「なにをー!」
「はいはーい!私は虎子が一番かっこいいと思うぞ!」
「ちょ、それならうちの才蔵だって!」
「伊作のは蛙だろうが!」
「な!蛙を馬鹿にしないでよ!」
「お前らはなに馬鹿みたいな言い争いを……」
「あ、仙蔵!」
我が子自慢というか、世話してる子自慢をしていた。
馬の駿一は留三郎が世話をしている。留三郎は馬と牛の世話を任されていた。文次郎はハヤブサのハヤテを推している。こいつは鳥達の世話だ。小平太は虎と熊という、この中ではかなり危険な部類の動物を扱っていて、伊作は蛙とか蛇。
「なあ、絶対駿一が一番かっこいいよな!」
「だからハヤテだっつの!」
「虎子はー?」
「才蔵……」
「親馬鹿も大概にしろ。いや親じゃないけど」
「じゃあ仙蔵は誰が一番かっこいいと思う?」
伊作の言葉に、仙蔵は少し考える。
「私は犬のヤシロを推す」
『お前もじゃねえか!』
――私のは親馬鹿ではない!純然たる事実だ!

春市がカオリの様子を見に行くというので、仙蔵もついて行った。
カオリを柵の内側から抱き上げて、春市はしばらく優しい声で語りかけていたが、結局うーんと眉を寄せて言った。
「体調が悪いのかな。困ったなあ」
「医者に連れて行くか?」
「そうだねえ。今から行こうか。仙蔵くんも来る?」
「行く」
仙蔵がすぐに頷くと、春市はにこっと笑った。
手足の皮を外して、カオリを連れて二人は門を出た。この頑丈な門は、動物の脱走を防ぐためらしいのは今ならわかる。
「みんな動物達に良くしてくれてるね」
「最近は少し鬱陶しいだろう。今日も馬鹿みたいな言い争いをしていた」
「みんながあの子達を好きになってくれて嬉しいよ。鬱陶しくなんてないさ」
春市は本当に嬉しそうに微笑んだ。それから前を向き直って、ゆっくり話し出した。
「去年まで来てくれた人達も、とっても可愛がってくれたんだよ」
「そうか」
「でもね、夏休みの前に手紙出したら、みんなに行けないって言われちゃった」
やはり一度は以前の彼らに頼んだらしい。春市は少し眉を下げた。
「忙しいんだろ」
「そうだよね……でもその内の一人に言われたの」
春市は思い出すように一度目を閉じて、開いてから続けた。
「『本当はあまり乗り気じゃなかった』って。申し訳ないなあ。無理に頼んでたつもりはなかったんだけど」
「……それは、断らない相手が悪いだろ」
「どうだろうなあ……」
春市は目を細めてカオリの背を撫でた。
「仙蔵くんも、来年から嫌になるかも」
「そうは思わないが」
「どうかなあ」

次の日、春市の家に新しい人達がやってきた。
「毎年手伝ってくれる演者さん達よ」
春市の母が言うに、見世物の演者であるらしい。これから一週間練習をして、山を下りて三日間活動する。毎年恒例だからか、どの人も随分くだけた様子でいた。
その内の一人が、冗談めかして言った。
「この家の人達、みんな優しいけど怒ると本っ当に恐ろしいからな。気をつけろよお」
春市もそうなのかという仙蔵達の質問に、彼はうんうんと頷いた。

カオリは医者に診せた二日後には普通にしていた。夏バテみたいなものだと医者に言われたが、確かにそう大したことはなかったようだ。
「よかったねえ」
春市はカオリを抱き上げて安心したように笑う。
「仙蔵くんに心配かけて、だめだよー」
「お前はよく動物に話しかけるよな」
「話せば話すだけ、心が通う気がするんだよ。仙蔵くんも話しかけてみたらどう?」
春市はそう言って、カオリを差し出した。
「え、いや私は」
「ほらほら。カオリちゃんも仙蔵くんも話したいよねえ」
春市はカオリの顔をのぞき込んで笑った。カオリが大きな目を瞬いた。
はい、と渡されて、仙蔵はおずおずとカオリを抱き上げる。カオリがじっと仙蔵の顔を見た。
「……え、っと、気分はどうだ?」
『ぶっ!』
ばっと振り返ると、口を押さえて必死に笑いをこらえる文次郎と留三郎がいた。かっと顔が熱くなる。
「お、お前らああ!」
『あははははっ』
二人は爆笑しながら走って逃げていった。待てええ!と駆け出した仙蔵を見て、春市がけらけら笑っていた。春市に預けたカオリが、彼の腕の中でみいと鳴いた。

ざわざわと町の人々が騒ぐ間をやってきた一団を見て、伊作は目をぱちりと瞬かせた。
「な、なんか、こう見ると怖いね……」
「変な威圧感があるな」
仙蔵が頷く。二週間近く世話をしてきた動物達であり、大人しくて人を襲うなどありえないのはわかっているが。しかしやはり道の真ん中をのしのしとやってくる虎だの熊だのハヤブサだの、なかなか壮観である。
「ああ、仙蔵くん達。チケットはどうだい?」
「あら、すごいわよ、この子達。女の子沢山連れてきてくれて!」
「さすがだねえ」
春市の両親がそう言い合って、彼らは見世物小屋の裏に向かった。裏にも簡単な小屋が作ってあり、動物達はそこで三日間過ごすという。
動物達を小屋に入れてから、春市達四人が店の前に戻ってきた。
「お疲れ様」
「伊作達ずるいぞ。こっちは歩きで山を下りたのに」
「なんだ、この程度で音を上げるとは。だらしないなあ、留三郎」
「なにい!」
「こら、二人とも、見世の前で喧嘩しないで」
春市に諌められ、文次郎と留三郎はバツが悪そうに顔を背けた。
彼らが山を降りる前に、仙蔵と伊作は春市の母と一緒に馬で町まで来ていた。以前の『いいわね、この子達』の意味は、チケットを沢山売ってくれそうに見目がいい、という意味だった。
「後で僕も手伝いにくるから」
春市が仙蔵達に笑いかけた時、きゃあっと声が上がったのでみんなしてそちらを見た。
「春市くん!遅いよお」
「待ってたよー」
「ああ、いつもありがとうございます〜」
見世物小屋の見える場所の甘味処から、二人組の女が駆け寄ってきた。春市がにっこり笑って見せると、二人はまたきゃあと声を上げる。
「春市くーん!久しぶりー!」
「今年も来たよー」
「春市くんちょっと背伸びた?」
「相変わらず可愛いー!」
「早くチケット売ってえ」
何処からともなく女の子達が集まってきて、春市の周りを囲んできゃあきゃあ言い出した。呆然とそれを眺める仙蔵達に、経験者である小平太と長次が言った。
「なんかな、毎年春市にチケットを売ってもらうために来てる人達がいるって」
「……結構、人気らしい」
「へ、へえ〜……」
伊作が苦笑混じりに相槌を打ち、文次郎はどことなく気の毒そうに仙蔵をちらりと見た。
「ま、まあ、気にすんなっ」
留三郎に肩を叩かれて、仙蔵は彼らの気遣いにいたたまれない気分になった。

三日間の見世物を終えて、あとは帰るだけかと仙蔵達が言い合っていると、春市が気まずそうに言った。
「あのさ、最後に仕事が残ってるんだけど……」
六人は顔を見合わせた。


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