02-5



「あっ!仙蔵くんだ!」
廊下の端で仙蔵の姿を見つけて、春市はぱたぱたと駆け寄ってきた。
「な、なんだ?春市」
「ねえねえ、またおいかけっこしよー!」
「おいかけっこ?」
春市はうんっと大きく頷いて、期待の眼差しを向けた。
仙蔵が唐突に春市に勝負を挑み、無事に勝利して目的であった『名前で呼び合う』を達成してから一週間が経っていた。あの時から春市と仙蔵は以前より親しくなったと仙蔵は思っている。何処かですれ違う時なんか、よくて挨拶ぐらいしかしなかったのが、最近は一度立ち止まってちょっとしたお喋りが出来るようになった。初めはお喋りの度にぎくしゃくしていた仙蔵も、最近は大分慣れてきた様子である。
さて、春市の言うおいかけっこというのは一週間前のあれで間違いないだろう。が、一体どうしてまた。
「勝った方が負けた方にお願いが出来るんでしょ?」
「なにか頼みがあるなら聞くけど」
「だめだめー。公平じゃないのー」
春市はそう言って笑った。以前の仙蔵の言葉を覚えているらしい。あの意味のわからない理論。出来れば忘れて欲しい。
「仙蔵くんが言ったんだから、仙蔵くんは何もなしでお願い聞くのは嫌なんでしょ?」
「えっ」
そんなこと言ったっけ。なんて心の狭い奴なんだ、それは。
「だから、ちゃんとおいかけっこで勝負して勝ってみせる……って、あ、そっか。僕が言い出したんだからおいかけっこじゃ駄目なのか」
挑戦を受けた方が勝負の内容を決める。確かにそう言った。この場合、春市ではなく仙蔵が決めることになる。
が、春市がその事に気づいて存外しょんぼりとしたので、仙蔵は慌てて手を横に振った。
「いや、別に大丈夫だ。私もおいかけっこで構わん」
「ほんと?やったあ」
春市はそう喜んで、じゃあやろう!と笑った。
――まあ、いいか。多少のお願いくらい聞くし。
と、仙蔵は軽い気持ちで頷いた。

半刻後。
「何やってんだ、お前。犯罪者ごっこ?」
「文次郎夜道に気をつけろ」
「やめろよ怖いな!」
通りすがりの文次郎に思わず反論しつつ、仙蔵も何をしているのかよくわからない。
春市とのおいかけっこを終えて、仙蔵はとある縁側に座っていた。
――両手は手首を赤い縄で縛られている。
「いや、でも本当に何なんだ?まさかとは思うが、趣味……」
「昼間でも関係ないぞ」
「やめろって!」
ごめんごめん、と文次郎が慌てて謝るのでとりあえず許してはおくが。
「春市が何処かへ行ってしまったんだ。見てないか?」
「春市?……あ、さっき飼育小屋の方で見たっけ」
「飼育小屋?」
「仕事思い出したとかじゃねえの?」
あ、俺も会計委員会だから、と言って文次郎はそのまま縁側から去っていった。正直一人でこうしているよりは文次郎でもいた方がまだましだと思う仙蔵。いたたまれないのである。
――にしても、なんでこんなに縛り方がうまいんだ?全然緩まないのだが。
それからまた少しして、ようやく春市が走って戻ってきた。仙蔵を見て、にっこり笑う。
「よかったあ。どこか行っちゃったかと思った」
「このままでは何処にも行く気になれん」
「そう?」
春市はこてっと首を傾げて、仙蔵の隣に座った。
「この縛り方なんなんだ?びくともしないぞ」
「あ、痣にはならないようにしてあるけど、あんまり動かすとよくないかも」
「そ、そうか……なんなんだ、それ?」
それ、というのは春市が持ってきた箱のことだ。春市はえへへ、と楽しそうに笑って、膝の上で箱を開けた。
「……首輪?」
随分汚れてしまっている首輪だ。重々しい金具が取り付けられていて、およそペットに使うものではない。気性の荒い大型の動物用といったところか。
「生物委員会の動物さん達を外に連れ出すのに使う奴なんだよ。この前古くなったからって新しいの買ったんだ。それで、この古い奴どうしようかって話になったんだけど、引き取る人がいなかったから小屋の中に放り込んであったんだよね」
その重々しい金具をかちゃかちゃと弄りながら春市は説明する。
「ふうん……で、それをなんで今」
「んー」
かちゃり、と金具を弄るのをやめて、春市はほらっと首輪を見せた。仙蔵の手首から繋がる縄の端が、金具に繋がっていた。
「仙蔵くん、目閉じてー」
「……?」
よくわからないながら、仙蔵は言われた通りに目を閉じた。
よいしょっと声をかけて縁側に登った春市が、鼻歌交じりに仙蔵の後ろに立つ気配がする。
「仙蔵くんはー、赤が似合うかもねーって。はいっ」
――そういえばその首輪は薄汚れた赤色だった。
――まさか。
「じゃーん!目開けていいよーっ」
目を開けた仙蔵の首には、しっかりと赤い首輪がかけられていた。
「僕が勝ったから僕のお願い聞いて!僕ねえ、動物さんとお散歩するの好きなの!」
――まさかまさかとは思うが。
「散歩って……」
「ふふっ。仙蔵くん、お散歩いこっか!」
――『あいつは実際変な奴だぞ』
――小平太の言ったのはこういう事だったのか!!


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