05



天川姫美が学園にやってきた次の日の朝。俺は六年長屋に向かっていた。両手に二人分の朝食の載った盆。落とさないように気をつけながらのんびりと歩いていた。
――後で三木ヱ門に謝らなきゃなあ。
朝食を一緒に食べられないと言ったとき、三木ヱ門は特になにか反応したわけではなく、そうかと一言言っただけでまた学園のアイドルらしく身だしなみのチェックに戻った。その淡白な返答を若干悲しく思いつつ、まあ彼が寂しくないならそれはそれでいいんだけど。なんにせよ一人で食事を摂るのはやっぱり寂しいものなので、後でちゃんと謝るつもりだ。
そして、三木ヱ門をそんな状況に追いやった原因のところに、現在向かっているところである。憂鬱だ。

朝早く、起きてすぐの俺と三木ヱ門の部屋に、先生が一人やってきた。そして俺だけを廊下に呼び出し、井戸に向かう道筋を辿りながら、前日の夜に行われた二回目の会議の内容を報告した。
簡単に言うと。天川姫美の素性はよくわからず、その処遇についてはまだ少し考える時間を取ることになった。彼女の今後が決まるまで、既に関わった以外の生徒達とは接触させず、六年長屋の端の空き部屋で過ごしてもらう。その間、彼女の監視や聞き込みを、六年生や教員で行う。
そして、しばらくの間、教員と六年生の次に状況をわかっている森林葉太郎を彼女の世話係とし、食事や暇な時間の話し相手にする。

そういうわけで、朝から誰もいない食堂でおばちゃんから二人分の朝食を受け取り、天川姫美のいる部屋に向かっているところだった。昨日のうちに移動は終わっているらしく、夜通し六年生や教員が代わる代わる監視を続けていたらしいが、なんの怪しい行動もなく朝になったと先生が言っていた。

目当ての部屋に着いたので、少し息を大きく吸って吐く。
「天川さん、起きてますか?」
部屋の中に声をかけてみるも、なんの反応もない。少し首を傾げていると、かたりと小さく音を立てて天井板が一枚外され、ひょいと善法寺先輩が顔を出した。
「おはよう。彼女はまだ寝てるよ」
「おはようございます……って、寝てる?ほんとですか?」
昨日の話では、彼女は突然時代を超えてこの学園にやってきたということだったが、かなり適応力の高い人らしい。
「さすがに夜はなかなか寝付けなかったみたいで。先生が、起きてなかったら気にせず入って起こせばいいって言ってたよ」
「いいんですかね。一応女性の部屋に無断で入るなんて」
「僕もそう思ったんだけど、そもそも常に監視してるんだから今更だって」
「あー。それもそうですね」
じゃあ、と特に躊躇いなく襖を開けた俺に、上からええっという驚いた声色の声が降ってきた。
「天川さん起きてくださーい。朝ですよー」
「森林躊躇いなさすぎ!もう!」
非難するように言って、善法寺先輩はまた天井裏に戻っていった。そんな声には耳を貸さず、ずかずか部屋に上がり込んで、大きめの声で呼びかけながら、持ち込んだ盆を一旦文机に置いておく。
「天川さーん」
「んん……」
ついに天川姫美は小さく呻いてごそごそと緩慢に身を起こした。
「ほら、布団あげますから早く出てくださいよー」
「もー……なんなのぉ……」
のろのろと布団から這い出てくる様子は冬眠開けすぐのジュンコ達にも似ている。
掛け布団を手早く畳み、まだ目を擦ってうんうん唸っている天川姫美を布団から離れさせて敷布団も回収する。押し入れに仕舞っている途中で、天川姫美はあれ、と声をあげた。
「昨日の」
「やっと目が覚めましたか?」
押し入れを閉めながら振り返ると、天川姫美はきょとんとした表情でこちらを見て、首を傾げていた。誰かに寝間着を借りたのか、昨日の変な南蛮衣装ではなかった。それはいいのだが結構な問題が一つ。
「説明は後でしますけど、とりあえず寝間着がはだけてるの直してください」
「え、うわ。やっぱり浴衣ってすぐこうなるよねー」
なにその軽い反応。あんたそれ俺だから何にも思わないけど、年頃の男にそんな際どいの見られておいてそれはなくない?
当然あまり見るものでもないので、視界から天川姫美を追い出しながら部屋の隅に準備されていた膳を部屋の中央に準備する。
「あのー、俺も男なわけですけど、そんな反応でいいんですか?」
「え?そりゃあなたは男だけど、え?」
「わからないんですか、本気で!?」
大丈夫かこの人!
膳を二つ準備し終えて振り返ると、一応まだマシ程度には整えたようで少し安心。そっか、この人は自称未来人だから、寝間着を着るのに慣れていないということか。演技にしては、細かい。
文机から盆を持ち上げると、朝ごはん?と無邪気な声が聞いてきたので子どもか、と呆れが増幅する。
「お膳だあ」
「珍しいものでもないでしょう」
「ううん。お膳なんて旅館に行ったときくらいしか見ないよ」
一瞬どういうことかと困惑したが、そういえば彼女は未来から来たのか。なんだか混乱するなー。
「未来では膳は使わないんですね」
「そう。机と椅子だもん。あ、畳だったらちゃぶ台とか」
「……よくわかりませんが、とりあえず準備できたので食べましょうか」
「一緒に食べてくれるの?」
「はい。お一人ではつまらないでしょう?」
三木ヱ門は今もしかしたら一人でつまらないのではないだろうかと少し思ったが、まあ誰かと一緒に食べてるだろうと思い直す。昨日もタカ丸さんと一緒だったらしいし。
「うわー、ありがとう!」
嬉しそうに笑う。ちょっと罪悪感を感じて苦笑を返した。というのも、食事中は誰しも警戒が薄れてしまうもので、その間になにかボロを出すのではという意図があるからだ。俺なんかはまったく思いもしなかったのだが、先生や六年生は昨日の夕食の時も目を光らせていたというのだから、経験の差だろうか。
個人的には、そんなことをしなくてもあまりに警戒心が無さすぎる幼子のように感じるのだが。
「昨日もお話したかったけど、結局先生達がいて緊張しちゃって」
「はあ。天川さんも緊張とかするんですね」
「当たり前じゃない!」
心外とでも言いたそうだが、学園長達を前にしてあんな風にぼんやりしていては全くそうとは思えないのである。そして今も善法寺先輩を含め三人ほどが監視しているので、見えていないだけで昨日と状況は何も変わらない。
「昨日一番最初に私のところにいたのがあなただったでしょ?だからかな、一番話しやすいんじゃないかと思ってたの。昨日も笑ってくれたし、結構あれで落ち着いたんだよ」
「そうだったんですか」
ふうん。この人も普通に誰が話しやすいとか考えるんだ。別に怪しくもない、本当に普通の人って感じだなあ。
「あなたの名前、教えて?私は天川姫美」
「森林葉太郎です」
「葉太郎かあ……葉くんって呼んでいい?」
「えっ。まあいいですけど」
緊張だなんだとさっきまで言っておきながら段階をすっ飛ばしてあだ名呼び。なんというか、やっぱりこの人は変な人だ。マイペースなのか?
「じゃあ葉くん。なんで今日私を起こしに来たの?」
「それはもっと早くに気にするべきところだと思いますけど」
呆れつつ世話係になったことを伝えると、少し驚いた後、嬉しそうに笑った。
「そっかあ。葉くんがお世話してくれるなら安心!」
「と言っても、俺は授業もあるので朝と放課後しかいませんが」
「授業かー。大変だね。私も学校に通ってるけど、勉強は嫌いなの」
成績も悪くてー、と苦笑いする天川姫美は、たしかに勉強が出来るようには見えない。失礼だけど。
「未来ではどんな勉強をするんですか」
「そんなに変わらないんじゃ……あ、でも色々あるか。英語とか」
「えいご?」
「えっと、外国の言葉!」
「南蛮語ですか?そんなものなかなか使わないのに」
「ねー。私英語苦手。外国に旅行とかなら行きたいけど、わざわざ会話なんてしたくないし。英語使うような仕事をする気だって無いし」
ちょっと何言ってるのかわからないけどとりあえずそうなんですかー、と聞き流す。あまり参考になるような話でもなさそうだ。
でも、これだけペラペラ未来の話をされると、やっぱり未来から来たというのは本当かもしれないという気がしてくる。そうでなければ頭の中がぐちゃぐちゃになりそうな話だ。
そうして適当な会話をして朝食を終えた。相手は自分が元いた"へいせい"という未来の話を楽しそうに語っていた。空を飛んで数刻で海の向こうの国に行けるだとか、遠くの人と連絡をとれるカラクリがあるだとか。夢物語にしか思えない話だったし、彼女自身その原理を詳しくは知らないというのだから適当なでっち上げかとも思うが、そんな発想がポンポン現れるというのも考えられず、判断がつかなかった。
「それでは、俺は授業があるので行きますが、くれぐれも特別な用も無く部屋を出ないようにしてくださいね。部屋を出る時は襖を開けて廊下に呼び掛ければ誰かしら来ますから」
「はあい。昨日の夜も言われたからわかってるよ」
食器が重ねて載せられている盆を手に、部屋を出る前に注意すると、天川姫美はにこにことしながら返事をした。しかし、一瞬の後にその顔を顰めた。
「ねえ、葉くん」
「なんですか」
神妙な顔でゆっくりと俺のことを呼ぶ。突然雰囲気が変わったのに少し警戒して返答すると、彼女は真剣な目で俺を見上げた。
「……もしかして、私は学園の人達に嫌われてるのかな」
「は?」
思わず眉を潜めて意味がわからないのを全面に押し出してしまった。感情を表に――しかも観察対象に――出すのはよくないことだとすぐに顔を真顔にしたが、天川姫美はまだ神妙な顔をしたまま。
「だってみんな必要なことしか言わないもの。葉くんは今日私の話を楽しそうに聞いてくれたけど、他の人達は私が声をかけてもずっと無表情なんだから。少なくとも好かれてはいないんだよねー……」
少なくともではなく、絶対好かれてはいません。あと俺も笑ってただけで特に楽しかったわけではないんですよ。
「私は他の人達ともお話ししたいけど、嫌われてるなら申し訳ないな。私なにかしたかな」
「……天川さん、本気で言ってるんですか?」
思わずそう問いかけてみたら、天川姫美は首を傾げて不思議そうにした。
「だって葉くんもそう思わない?」
きょとんとした表情。澄んだ瞳をじっと俺に向けて逸らさない。
「天川さんは今気づいたんですか?」
「昨日のこと思い出してふと思ったの。思い過ごしならそれでいいんだけど」
思い過ごし?なんでそんな言葉が今その頭にあるんですか?昨日から先生達、警戒心見え見えだったじゃないですか。
「天川さん、今更すぎませんか」
「え!じゃあ葉くんはわかってたの?」
「むしろなんでわからないんですか」
「だってみんな何も言わなかったもの」
――言ってくれないとわからない。
その言葉を聞いて一瞬呆けてしまった。それからふふ、と口をついて笑い声が漏れた。
「あれ、なにか面白いこと言った?」
「いえ……そうですね、言葉にしてくれないとわかりませんよね」
「そりゃそうよ。だって私とその人は違うんだから」
「そう、そうですよね」
彼女はあたりまえといった顔で頷く。
「俺あなたを疑ってたんです」
「疑ってた?」
「はい。未来から来たなんてありえないって思ってました。先生方もきっとそう思ってます」
「えーそうなの!?ほんとなのに!」
心外だと言いたげに声を上げている。彼女の目はずっとブレない。
「でも本当かもしれないと今思いました」
「かもしれないじゃなくて、本当よ」
「そうですね。あんたみたいな人でも十五になるまで生きてるんだから」
――天川さんの言った言葉は、十に満たない頃の俺が思っていたこと、酷く幼く無知な言葉だった。



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