03



結構な時間を手裏剣を磨いて待っていたら、ごそりと音がしたので顔を上げた。
布団に寝かされていた女が、身じろぎしながら身体を起こそうとしていた。やっとか、と手裏剣をしまいつつ、少し距離を置いたままで声をかけることにした。
「気がついた?」
「えっ」
ぱっとこちらを向いた顔は、目を丸くして口がぽかんと開いたまま。驚きが手に取るようにわかる、あどけなさのある表情だ。
顔の造形が可愛らしいので、間抜けな表情もそんなに酷くない。むしろ人によっては好まれるくらいだと思う。
「……ここは?」
「説明は後で。ちょっと待って」
部屋の前まで移動してきた気配は、見張り役の先生だろう。さすが、彼女が起きたのに気配で気づいたらしい。
部屋の襖を開けて、案の定そばに立っていた先生に女が起きたことを伝えると、学園長のところにすぐに移動することになっているらしかった。
「移動します、立てますか?」
先生が丁寧にそう聞くが、声はなんだか冷たい。警戒心がむき出しだ。
「移動?えーっと」
「説明は後で。こちらへどうぞ」
相手の調子に乗せられないこと、相手に考える暇を出来る限り与えないこと。先生はどうぞ、と言ったが先導するわけでもなく、そのまま女を警戒してじっと見ている。
「え、え?」
訳が分らない、と声に如実に現れている感じ。なんかかわいそうになってきた。
「すぐにどうこうなるわけでもないですよー。どうぞ」
「こら、森林!」
へらっと笑って促すと、先生が小声で注意してきた。
「あの、貴方達は……」
「説明は後で、と何度言えば?」
「あんま怒らせると良くないですよー」
お前は黙ってろ、と先生がため息をつく。俺は早くこの面倒ごとから解放されたいので、まずは女が動いてくれないと始まらないという感覚だ。
女は少し不安そうに眉をひそめたが、さすがに先生の苛立ちがわかったのか布団から出て立ち上がった。
「森林、確認してから来い」
「はい」
先生は学園長の庵に向かって歩きだし、女はその後をおずおずと着いていく。部屋の前ですれ違う時、俺に目を向けたのでまた笑って見せた。
女が背を向けたのを見てから部屋の中に戻り、布団などを検める。やはり特に仕掛けなどはなかった。
「見たところただの一般人みたいだけどなー」
呟いて、部屋を出て二人の後を追った。
学園長の庵に入ったところで二人に追いつき、すぐに着いた学園長の部屋の前。
先生が中に声をかけると、襖が開いて部屋の中が見えた。学園長と教員数名が床の間を背にして並んで座っていた。先導役の先生はその列の端に加わって、女にはそちらへ、と彼らの前に一つだけぽつんと置いてあった座布団を指した。
女がそこに座ったのを確認して、襖の前に陣取るように俺も座る。場違いじゃないかと思ったが、先生が目で促したのでしょうがない。
これで役者は揃ったのだろうに、先生方は誰一人として口を開こうとしなかった。女はそんな彼らに忙しなく視線を走らせていたが、観察というよりは誰が話し出すのかと待っている様子だ。萎縮した様子はあまりない。先程も思ったが、もしかしたら無防備で鈍感な質なのかもしれない。
「……あの」
「どうしてここにいるのかわかるかね?」
耐えかねて女が口を開いた瞬間、学園長がさえぎるようにぴしゃりと聞いた。うわ、これはかわいそう。精神攻撃。
女はまた困惑したように目を瞬かせ、え、と声を漏らした。
「私、えっと……」
「お主がここに来た理由を聞きたいのじゃが」
「えー……」
「話せないような話でもなかろう?」
畳み掛けるように次々と質問を浴びせる。女はちらりと俺の方へ目をやった。歳が一番近そうだからか、初めに声をかけたからか、さっき笑顔で自分を見たからか。助けて、という声が聞こえるくらいの目だ。本当に素直な人に思える。
「……いや、すまんのう。少し意地悪が過ぎたかな」
「あ、」
学園長の言葉に、女はまた弾かれたように顔を戻した。今度は先ほどとは違って朗らかな笑顔の学園長に、あからさまにほっとした様子。
「とりあえず、お主の名を聞こうか」
「あ、天川姫美と言います」
「そうか。綺麗な名じゃのう」
学園長の言葉に、天川姫美は軽く口元を緩めた。随分気が楽になったらしい。
やはり警戒心は相当薄いようだ。拍子抜けするほど。赤子のような無警戒。
「では、天川殿。話はきちんと聞こうではないか。どうぞ正直に、お話しなさい」
「あ、ありがとうございますっ」
ありがとう、とはやはり呑気な人だ。さすがの俺でもわかる。正直に、話さなければどうなるかと暗に言われているのだが。
というか、まず厳しく相手の調子を崩してすぐさま掌を返して優しく質問。単純も単純な尋問の常套句だが、あまりにあっさり引っかかりすぎやしないか?
しかし、少し呆れさえ感じてきた俺や先生達を更に呆れさせるようなセリフが飛び出した。

「実は、私は未来から来ましたっ!」

静まり返った部屋の中に、カーンという鐘の音が虚しく響いた。


あまりに突拍子もない告白を聞いてから四半刻。とりあえず夕食を摂ってから話し合いの続きをしましょう、ということになって、俺は天川姫美と二人の先生について、彼女を寝かせていた部屋に戻っていた。
一応先の話し合いでは間者だとも学園に害があるとも決まらなかったため、まだ天川姫美の位置づけはあくまで保護観察という形になっている。天川姫美は六年生と同じく齢は十五だそうで、俺より年上である。
「夕食をお持ちしますので、お待ちください」
そういうわけで、俺は天川姫美に丁寧な対応をする必要がある。先生の一人と共に夕食を持ってくるために立ち上がると、待って、と声をかけられた。
「なんですか」
「私、あなたと話がしたいの」
「俺と?」
眉をひそめると駄目?と首を傾げられた。
「夕食を食べながらでいいでしょうか」
「うん、それでいいから」
正直このまま夕食だけ運んで自室に戻りたかったのだが。
部屋を出てからため息をつくと、先生がすまんな、と苦笑した。
「俺こんなに付き合ってる意味あるんですか?」
「まあ、天川姫美の気を緩めるのにいいだろうという判断だ。実際成功したみたいだしな」
「夕食終わったらそのまま戻っていいですよね?」
「ああ。こんな時間まで悪かったな。この後の話し合いについては後で連絡しよう」
とりあえず先の話し合いで、天川姫美がここに来た経緯の確認をしようと、俺と土井先生とで細かく説明をした。天川姫美はやはり自分がどうやって来たのかがわかっていなかったらしく、浮いたと聞いた時には相当驚いているようだった。夕食中に先生達が話し合って、そこで天川姫美の処遇などを決めるという。そこまでくると俺は全く関係がないので部屋に戻ってよし、というわけだ。
食堂にはまだ生徒がいるものの、一番混み合う時間は過ぎている。
「ああ、先生と森林。お疲れ様です」
「立花?なにしてるんだここで」
カウンターの前に立っていた立花先輩が、こちらを向いて微笑を浮かべて挨拶をした。先生が少し眉を動かして言う。
「監視役はどうした」
「ちゃんと他の奴らがやっていますよ。私は二人のために先回りしておいたんです」
実は六年生もこの件に関わっている。というか、ちょうどいいから隠密の訓練を兼ねて、彼らからも天川姫美の様子を伺ってもらっているのだ。
「ああ、いらっしゃい二人とも。立花君から聞いているよ、持っていきなさい」
調理場に引っ込んでいたらしいおばちゃんが、そう言って夕食を載せたお盆を四つ渡してくれた。
「ああ、これを頼んでくれてたんですか」
「先に交渉しておいた方が早いだろう」
「気が利きますねー」
俺が一つ、先生が二つ持ち、先輩が一つ手伝ってくれた。お残しは許さないおばちゃんだから、食堂外に持ち出すのは少し渋られるのである。空にして返しなさいよ、とちゃんと釘を刺されつつ食堂を後にする。
「森林は大変そうだなと伊作が言っていたぞ」
「ほんとですよ。善法寺先輩もさっき医務室で会ったんだから、巻き込まれてくれればいいのに」
不満を口にすると立花先輩はくすりと笑った。まあ頑張れ、という気のない激励をはいはいと気のない返事で返す。
「でもあと夕食だけで終わりなんで、まあいいですよ」
「そうか。こっちはあとしばらく続くらしい」
夕食もお預けだ、と立花先輩は少し億劫そうに続けた。六年生も大変だなあとぼんやり考えていたが、前の角を曲がってきた見慣れた人物に、一気に意識がそちらに向かった。
「三木ヱ門!」
「え、葉太郎!?」
声をかけると、少し俯きがちだった顔をぱっと上げて目をぱちりと瞬かせる三木ヱ門。かわいい。
「今から夕食?」
「ああ……というか、お前どこに行ってたんだ!?探してたんだよ!」
三木ヱ門がしかめっ面で怒ってる。そういえば連絡するのを忘れていた。
「え!ごめん!ちょっといろいろあって部屋に戻るチャンスがなくて……」
「まったく。折角ユリコを綺麗にしたから見せてやろうとしたのに」
「え、そっかー手入れ終わっちゃったかー。ざんね」
「おい、森林!油売ってる時間はないぞ」
先生が少し前に行ったところで待っていた。三木ヱ門に会って夕食が意識の外に追いやられてしまっていた。
「すみませーん」
「何してるんだ?お前」
「なんか面倒なことになってねー。夕食終えたら部屋に戻るから、そしたらちょっと説明するよ」
「そうか。それなら待っている」
「うん。ごめんね。それじゃ」
三木ヱ門の、こういう引き際わかってるというか、俺の言葉をすぐ信用してくれるところも好きだ。
三木ヱ門と別れて慌てて先生と立花先輩を追った俺は、既に天川姫美のことはあまり気にしておらず、早く三木ヱ門に説明して弁解しなきゃ、ということばかり考えていた。



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