02



しばらく女の様子を伺っていた善法寺先輩がふと微笑んで、言った。
「特に怪我があるわけでも無さそうだし、気絶しているだけだと思うよ」
「そうですか。まあ眠っているというのも考えにくいですし。相当図太い精神ということになります」
そう軽く言うと、善法寺先輩が眉をひそめて俺を見た。
「そろそろ説明してもらいたいんだけど……一体この女性は?」
「うーん。正直俺もなにがなんだかわかっていないんですけど……」

受け止めた土井先生が何度か声をかけても、空から降ってきた女はまったく反応しなかった。とりあえず大事にして騒がれるのは良くないだろうという先生の判断により、俺は一年は組のよい子達を長屋に送り届け、その途中で誰か他の先生を一人と、医務室の準備をすることになった。
ちょうど近くに山田先生がいたので、緊急事態と称して土井先生のところに行ってもらい、一年長屋を後にしてから、医務室に向かった。ちょうど善法寺先輩の当番だったようで、しばらく医務室は人払いして欲しい、今から人を連れてくる、と要件だけ伝えた。新野先生がいればよかったのだが、彼は残念ながら外出中だった。その後土井先生のところに戻ると、山田先生は学園長のところに行っていて、とりあえず人目につかないように医務室に女を連れ込んだ。土井先生はそのまま緊急の職員会議に呼ばれて慌てて出て行った。何か言いたげにした先輩だったが、とりあえず女の容体を診るのが先と思ったのか、何も言わずに触診を始めて、微笑み、冒頭に戻る。

「――天女様って」
善法寺先輩は目を丸くして驚き、軽く首を振った。
「信じられないような話だね……」
「そうですよね。でも天女様かどうかはともかく、彼女が空から降ってきたのは事実ですよ」
善法寺先輩は困ったように表情を曇らせた。無言が部屋を支配するかと思ったが、意外と早く先輩は再度口を開いた。
「……間者なんかの可能性も、考える必要はあるだろうね」
「……」
そう、それが問題である。
この女が得体の知れないものであるかどうかはこの際脇に置くとして、この学園に害のあるものかどうかがさしあたっての問題だ。
「でも、間者ってありえますかね。こんな変な訪問の仕方、普通ありえないでしょう」
「そうだよね……でも、そう思わせる作戦だというなら乗るわけにもいかないし」
作戦としてはよほどお粗末な気がする。あまりに怪しすぎて、保護する前に学外に捨てる可能性もあるくらいに酷い訪問だ。
「あれ!?そういえば土井先生は怪我は無かったの!?受け止めたんだよね!?」
「え、ああ。大丈夫だと思いますよー」
「降ってきたなら相当の速度だったでしょう!大丈夫だとは思えないよ」
善法寺先輩は怪我を隠して放っておく人間が嫌いである。俺にそんな剣幕でまくし立てられても困ります。
「大丈夫ですよー、善法寺先輩。なんたって天女様ですから」
「ふざけてないで!」
「いや、本当の話かもしれませんよ。空中で浮くんですから」
「浮く?」
俺の言葉に不思議そうに首を傾げた先輩に、先ほど女が土井先生にぶつかる直前に浮いたという話を聞かせ、だから怪我は無いだろうという説明をした。
それを聞いた善法寺先輩はまた目を丸くして驚いた。
「本当に信じられない話だ」
「残念ながら事実です」
そして少しの間。ついに、俺達は二人同時に深くため息をついた。
「こんな変な事に巻き込まれるなんて……」
「不運委員長、諦めてください」
「……まあ、今回一番不運なのは森林だよね」
「それは言わないでください」
本当なら俺だってもう自室に帰って、三木ヱ門との約束通り火器の手入れを手伝いたいところなのだ。一のはの補習に付き合うというだけでも面倒だというのに、よりによってこんな意味のわからないことになるなんて。
「俺はいつまで付き合ってればいいんでしょう」
「とりあえずこの女性が起きて職員会議が終わって今後のことを決めるまでじゃない?」
「あーもう。三木ヱ門と約束してたのにー」
畳に足を投げ出して、だらんとした格好に座りなおす。仲良いよね、という先輩のセリフに、羨ましいですかー、と適当に返事をする。
「いつも思うんだけど、君は何を考えてあんなに田村にべったりなの?」
「何って、そりゃ三木ヱ門が好きだからですよ?」
「いつもそう言うよね」
「先輩は、食満先輩のこと好きじゃないんですか?」
「そりゃ好きだよ。良い奴だし」
「それと同じですよー」
「でも僕は留三郎にくっついてないよ」
「先輩と俺とでは、愛情表現に差があるんですねー」
「そういうことなのかなー」
先輩の言葉に首を傾げる。
何か言いたげな先輩が、何を言いたいのかわからない。俺は人の心の裏を読むのは大の苦手である。
先輩は結局少し笑っただけだった。種類としては多分苦笑である。
「君達を見てると、なんだかどっちも辛そうに見える時があるよ」
その言葉に首を傾げる。どっちも、って?
「三木ヱ門は確かにいつも迷惑そうですけどー……俺もですか?」
「うん。むしろ君の方が、かも」
「ええー嘘でしょう」
俺の方が……か。嘘でしょう、と言ってみるが、嘘ではないかもしれないとも思う。
善法寺先輩は時たま油断ならない時がある、と言う人がいる。俺はあまり感じなかったが、もしかしたらこういうところなのかもしれない。
「君の真意がまだよくわからないけど、なんとなくそんな気がする」
「真意って。俺はいつも素直にいると思いますが」
好きだから好きと言う。それだけだ。
「君は、なんというか、素直なのかかなり捻くれてるのかと判断しかねる時があるから」
「俺は素直な人間ですけど」
「そういうところだよ」
またまた意味がわからない。俺は基本的に素直で、嘘をつかない人間だ。いや、そりゃ人並みには嘘もつくけど。

「土井だ、入るぞ」
と、ここで土井先生が戻ってきた。
「まだ目は覚めないか」
「はい。怪我は無さそうです」
「そうか。とりあえず、部屋を移動させよう。医務室は誰が来るかわからないから」
「はい」
「善法寺は委員会の仕事があるだろうから、来なくても大丈夫だ。このことは他言無用だということだけ」
「わかっています」
「土井先生、俺は……」
「すまないが、森林はもう少し付き合ってくれ」
悪いな、と土井先生が申し訳なさそうにする。ため息をつきたいのを堪えて、わかりましたと返した。
来た時と同じように土井先生が女を抱き上げて、とりあえずその後を着いていく。行き先は学園長の庵にほど近い空き部屋だという。間者の可能性が捨てきれない以上、物が出来るだけ少ない部屋が良いということだった。
「先生方が何人か近くに残って生徒が近づかないようにするから、彼女の様子を見ていてくれるか?」
「あー……わかりました」
「明日の課題とか、そのあたりはある程度都合してもらえると思うが」
「別に課題は特に出てないので大丈夫です」
言い澱んだのは三木ヱ門との約束のためなので課題は関係ない。
まあ、乗り掛かった船ってやつだなと諦めることにした。学園の緊急事態なのだから、しょうがないだろう、俺。そもそも、三木ヱ門との約束も、別に約束と言えないほどのものであるし。
件の空き部屋は本当にがらんとして何もなかった。掃除はしてあったらしいが、あまり綺麗でもない。目を凝らせば埃が舞っているのもわかる。
「それじゃあ、頼むな」
また申し訳なさそうにそう言って、土井先生は忙しそうに部屋を出て行った。まだ話し合いがあるのか、長屋に戻ったよい子達が気にかかるのか。
ため息をついて、部屋の入口近くの壁に背を預け、懐から沢山の手裏剣と布を取り出して、手入れを始めた。

* *

同室者が一年は組の生徒に連れられて行ってから一刻半は経っているが、まだ戻ってこない。
乾拭きを終え綺麗になったユリコを撫でて、ふと空を見上げるとかなり日が傾いていた。もう半刻すれば夕食時間だろう。
『ユリコの手入れ?そっかーじゃあ俺も手伝うね』
午後の座学に向かう途中、放課後の予定を告げるとそう言って笑った。楽しみー、と弾んだ声。
別に気にすることはない、と返し、同時にだらっと後ろから抱きつかれたから声を荒らげたため、話はそのまま終わった。
約束とも言えない約束だし、私は申し出を受け入れたわけでもない。忘れていたところで、別にアイツに落ち度はない。
『ごめん、三木ヱ門。補習の手伝いに行くことになった!ほんとごめん!』
元気なよい子達に引っ張られながらそれだけ言って走って行ったのを見て、少し気に入らないのも、アイツに落ち度はない。
「それにしても遅いな。ユリコもそう思うだろう?」
そう言って撫でると、するりと綺麗な表面に嬉しくなった。やはり火器は常に美しくないと。
「夕食時間になっても帰って来なければ、一緒に迎えに行こうか」
練習用の的のところにいるか、約束を忘れてどこかをほっつき歩いているか。なんにせよアイツは少し人の少なくなった遅めの時間に食堂に行くのが好きなので、鐘が鳴ってから探し始めたらちょうどいい時間だろう。
綺麗になったの見せてやろうなあ、ともう一度ユリコを撫でた。



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