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――天川姫美。忍術学園に、約二ヶ月滞在していた天女様。とても優しい人だったので、学園のみんなに好かれていた。数日前に神様が迎えにきて、彼女は天に帰っていき、その日々は思い出となった。

* *

教員用の長屋の一室で、現在数人の忍たま達が作業中だ。わいわいと会話しながら、ある者ははたきで埃を落とし、ある者は濡らした手拭いで拭き掃除をする。
そしてほとんどの者は箪笥や籠の中身を、これは誰のだーと声掛けしながら全て外に出していた。
「これはー」
「伊作じゃないか?」
「ん?ああ、そうだ。置いといて」
「また伊作か?」
潮江先輩が呆れるように言うと、伊作先輩は苦笑してからまたはたきでの掃除に戻った。
――ここは、天川姫美が使っていた部屋だ。
天川姫美が元の世界に戻って数日経った。その間この部屋は人も入らずに放置してあったのだが、そろそろ掃除をしようということになった。
それにあたって問題となったのが、彼女の滞在中に忍たま達がこぞって贈った数々の贈り物だった。先生方は最初捨ててしまおうかと思ったそうなのだが、やはり勿体無いということになり、各自回収するようにと言われた。ついでに掃除もやっておいてと頼まれ、この状態だ。
掃除はみんな面倒くさがったのでじゃんけんで担当を決めたところ、予想通り保健委員の伊作先輩と三反田が抜擢された。暇だからと私についてきた葉太郎もそれを手伝っている。
しかしこうして見ると、みんな天川姫美に相当貢いでいたらしい。特に、やはりあの四人が酷い。いや、別に私には関係ないんだが。
――天川姫美がその全てを大事に保管していたのだということを、私は初めて知った。
「にしても、こんなに女の物があっても邪魔だなあ」
七松先輩がうんざりしたような声で言った。食満先輩がため息混じりに同意する。
「使えるもんでもないしな」
「いっそ売るかなー」
「えー」
タカ丸さんが目を丸くして七松先輩を見ると、七松先輩は首を傾げた。
「だめか?」
「だって、思い出の品じゃない」
「そうは言ってもこんなにはいらんだろ」
七松先輩は少し眉をひそめて、うーんと唸った後、ああ、と何か思いついたらしかった。
「じゃあ滝夜叉丸にやろう!」
「ええ!?なんでそうなるんですか!」
滝夜叉丸が驚いて声を上げると、七松先輩はけらけら笑って答えた。
「ほら、お前達まだ女装の授業とか残ってるだろ?使えばいいじゃないか」
「いやいや、私も自分の分があるんですよ!押し付けてるだけでしょ!」
「なはは!まあそうとも言う!」
七松先輩は笑い、滝夜叉丸は肩を落としてため息をつく。
「まあ、誰かにあげるというのは良い案だろ?」
「そうだなあ」
そうしてわいわいと誰に押し付けるかという話を始めた六年生を置いて、今度は鉢屋先輩が贈り物の選別を引き継いだ。
見ていると、随分みんな楽しそうだ。時々天川姫美との思い出話を交えながら、和やかに作業を続けている。

――当たり前だろう。彼らには天川姫美との良い思い出しか残っていないのだから。

多くの生徒達が天川姫美を好いていた。一時は委員会活動もしないで天川姫美にかまけていたが、最後にはきちんと仕事をこなしながら、天川姫美に恋をしていた。彼女が天に帰るときも、みんなで集まって見送りをした。不運に巻き込まれた六年生、時間が合わなくてその場を離れていた五年生とタカ丸さんは天川さんの見送りが出来なかったが。そうして、彼女は良い思い出となった。いなくなったことを寂しいとも思うが、みんな案外すっきりと受け入れている。
――そういうことに、なっているらしい。
――私がなぜ本当のことを覚えているかは、わからない。
ふと葉太郎の方を見ると、あいつは五年生に何か言われたか、彼らに向けてけらけら笑っていた。
――葉太郎も、何も覚えていないようだ。そんな素振りを一切見せない。
「ん、これで終わりだな」
鉢屋先輩が誰のだ、と掲げると、また伊作先輩がはーいと反応した。数えたわけではないが、彼が一番多く贈り物をあげていたような気がする。
「あとは掃除だけして終わりだな」
「手が空いたなら手伝ってよね」
伊作先輩が言ったのを、しょうがないなあと軽口をたたきながらみんなが動き出した。
――あれ?
「三木ヱ門」
葉太郎に名を呼ばれて、慌てて葉太郎を見上げた。
「なんだ?」
「全部戻ってきた?何か足りないんじゃないの」
葉太郎が尋ねた。数人が会話を聞いたようでこちらを見る。
「ずっと待ってたみたいだから」
「ああ、まあ」
「そうなのか?」
曖昧に頷くと、鉢屋先輩が不思議そうな声で言いながら先ほどまで漁っていた籠を持ち出してきた。
「でも中身は全部出したぞ」
「別の場所に片付けてるとか?」
「先生方が先に回収しちゃったかも」
口々に喋りながら、先輩方が部屋の中に散らばったので、慌てて声を上げる。
「いや、別にいいですよ、そんな良い物でもないし」
「どんなやつだ?」
「え、と、玉簪です、木でできた……」
潮江先輩の質問に答えると、立花先輩が首を傾げた。
「玉簪なら、先生方は回収してないだろうな」
天川姫美は学園から必要最低限の衣類だけ支給されていた。だから化粧品や装飾品の類は、全て贈り物だ。先生方は私達が贈り物を回収する前に支給品だけ回収しておいたそうなので、そこに混ざっているかもしれないと考えたのだろう。
「部屋のどっかに残ってるのかな」
「や、だから別にいいですって」
「きっと掃除の途中で出てくるよ」
「そうそう、だから気にしなくていいよー」
不破先輩の言葉に頷いて、尾浜先輩がへらっと笑った。申し訳なくて眉をひそめていると、葉太郎が苦笑した。
「みんな気にしてないって。三木ヱ門も掃除手伝ってよ」
「ああ……そうだな」
一つため息をついて、私も手伝いに加わった。

人数が多いので四半刻もしないうちに部屋の片付けは終わったが、結局例の簪は見つからなかった。
「なんで簪ないんだろ?」
葉太郎が首を傾げた。他にも数人、同じように不思議そうにする。
「天川さんがどこかで落としたのかな」
「学園内なら誰か拾って届けるだろ。天川さんあまり外には出なかったし」
「そうだよねえ」
うーんとみんなが首を傾げる中、タカ丸さんがあっと声を上げた。
「三木ヱ門くん、もしかしてあの赤いちりめんが巻いてある簪じゃない?」
「はい、そうです」
「そっかあ。あれ三木ヱ門くんがあげたやつだったんだ」
タカ丸さんはなんとなく懐かしそうに言った。疑問に思っていると、伊作先輩が言った。
「あれ、天川さんかなり気に入ってたみたいだったよね」
「そうなんですか?」
「うん。知らなかった?」
伊作先輩はにこにこと笑っていた。
あの人が私の簪を気に入っていたかどうかなんて知らなかった。
「あの簪、多分天川さんが帰る日に挿してたんじゃないかな」
「え?」
タカ丸さんはそう言って、思い返してからまた一つ頷いた。
「確かそうだったよ。なんとなく覚えてる」
「あ、そういえばそうだったかも」
鉢屋先輩も思い出したように言った。
「二人とも時間が合わなくて、見送りのとき居なかったんじゃ」
久々知先輩が言うと、そうだけど、と二人は小首を傾げた。
「朝に会ったときにでも見たのかな」
「タカ丸さんはわかるけど、なんで三郎も?俺は覚えてないよ」
「僕も忘れたなあ」
久々知先輩と不破先輩が言った。鉢屋先輩は不満そうにえー?と眉をひそめた。
「結構はっきり覚えてるけどなあ」
「まあ、三郎は細かい所気にするタイプだもんね」
不破先輩が笑った。
――いや、そうじゃない。
――あの二人が覚えているのは……。
「三木ヱ門、どうする?もう少し探す?」
葉太郎が私の顔を覗き込んだので、はっとする。
「え?」
「だから、天川さんが持って帰っちゃったかもしれないけど、もしかしたらそうじゃないかもしれないし」
「あ、ああ、そういうことか……」
ぼんやりした反応だったからか、葉太郎が不思議そうに眉をひそめる。
「いや、別にいい。そんなにする程の物でもない」
「そう?」
首を振って答えると、葉太郎は少し眉を寄せたが何も言わなかった。
「じゃあ、解散だな」
「先生には六年が報告しておこう」
潮江先輩と立花先輩がそう言って、みんなぞろぞろと部屋を後にした。最後に部屋を少し振り返る奴もいた。
――これで、天川姫美の騒動は全て終わったことになるだろう。
――全員が、全ての記憶を塗り替えて。
最後まで部屋に残ったのは、私と葉太郎だった。
「三木ヱ門、部屋に戻ろー」
「……ああ」
葉太郎が襖の前であっさりと笑うので、なんとなく目を逸らし、そのまま部屋を出た。
歩き出そうとして、葉太郎がまだ部屋から出ないのに気づいた。
――見ると、葉太郎は無表情で部屋の中に目を向けていた。
「葉太郎……?」
「うん。行こうか」
声をかけると顔を背けたままそう答え、それから葉太郎はようやく部屋から目を離した。私にへらりと笑いかけて歩き出した。慌ててそれに並ぶ。
――今の反応はなんだ?
しばらく互いに黙っていたが、教員用の長屋を出たところで、葉太郎が立ち止まった。
「俺ちょっとやることあるから、行ってくるね」
「やること?」
「うん」
何だろうと思ったが、葉太郎はそれだけ言ってすぐに行ってしまったので聞けなかった。
少し疑問に思いながら自室に戻った。天川姫美の部屋から持ち帰ったものを片付けていると、やはりあの簪が気になる。
――天川姫美があの簪をつけて帰ったわけではない。彼女が帰るとき、少年は彼女の格好を随分風変わりな感じにして連れ帰ったのだから。
――それに、その直前彼女の髪はざっくり切られていた。
「……そうか」
思いついて、私は部屋を出た。

裏山の奥。森の中で、突然開けた場所。
その程度の記憶しかないが、私は目的の場所を探していた。前は到底真似できないような方法で来て帰ったため、たどり着く可能性はあまり高くない。まあ、運がよければ見つかるだろう。
天川姫美があの四人に殺されそうになった場所だ。
タカ丸さんと鉢屋先輩が覚えているのは、その日に彼女と会った時に見たからなんてぬるい理由ではないだろう。
あの四人は、彼女を殺そうとした時に見たのだ。髪を切ったから、その時にどんな簪を挿していたかはよく覚えているはずだ。
もしかしたら、その時にどこかに落とされたのかもしれない。
多分この辺だろうと見当をつけて森の中をさまよっていると、ピイと高い鳴き声がした。見上げてもその主は見つからない。またピイと鳴いた。
「――三木ヱ門?」
後ろから声がして、振り返った。
葉太郎が驚いた顔でやってきたところだった。
「何してるの?」
「葉太郎こそ……」
「まあそうだね……」
葉太郎はへらっと苦笑したが、少し眉を下げて困った顔をした。対する私も似たようなものだろう。
「用事があるって言ってたが」
「うん、そうだよ。三木ヱ門も用事?」
「まあ……」
曖昧に頷くと、葉太郎はふらりと目を逸らした。それからまた視線を私に戻して、小さく笑う。
「一緒に行く?」
「……ああ」
――おそらく目的は同じだったのだろう。
葉太郎が先を歩き、私が少し後ろについて行く。葉太郎は迷いなく一方向を見て進んでいくが、場所がわかっているのだろうか。
ピイとまた鳴き声が聞こえて、ぱっと開けた場所に出た。
「あ、ここ……」
辺りを見渡して、目的地だとわかった。
葉太郎がピュウと口笛を吹くと、ピイピイと鳴いて一羽の鷹が降りてきた。葉太郎は左手を掲げて、その鷹を腕に止まらせた。
「お前の鷹だったのか……」
「委員会で飼ってる子だよー。最近ちゃんと仕事してくれるようになったんだけど、まあまだ実践では使えないよね。結構鳴き声がうるさいから。ちゃんと訓練しないと、鳴き声でバレるしさー」
葉太郎は餌をやりながらぺらぺらと喋る。それを無言で聞き流しながら、地面を見渡す。葉太郎が少し離れた場所に移動して、同じように何かを探すような素振りを見せた。
「……この子をね、あの崖から飛ばしてさ」
葉太郎がぽつりと呟いた。顔を上げて葉太郎の方を見たが、葉太郎はこちらに背を向けていて、鷹の首元をごしごしと擦っていた。鷹がピイと鳴いた。
「開けた場所の上で旋回するように指示したの」
左腕をゆらゆらとさせてから、葉太郎は勢い良くその腕を振った。鷹はその動きに合わせて滑らかに飛び出し、そのままピイピイと鳴きながら空に向かって飛んでいった。ぐるぐると二周旋回して、そのまま学園の方に向かった。
それをなんとなく見送ってから葉太郎に目を戻すと、葉太郎は振り返ってこちらを見ていた。へらりと眉を下げて笑っている。
「――お前、覚えているのか」
尋ねると、葉太郎は少し間を置いてから頷いた。
――こいつは隠し事が得意なのだった。

* *

三木ヱ門は不満げに眉を寄せた。
「なんで何も言わなかったんだ」
「それは三木ヱ門の方もじゃない」
「私は、お前が忘れたのだと思ってたから」
「俺も同じだよ」
三木ヱ門はため息をついて、俺は苦笑した。
――三木ヱ門は、天川さんのことを覚えていた。
全く気づかなかった。
「お前は、最初からずっと忘れたように振舞っていただろ。得意の隠し事だな」
「まあ、そうだけど」
俺以外は全員忘れたのだと思っていた。
実際覚えている人は一人もいなかったし、みんな天川さんとは良い思い出しかないと思っている。
――そして、それはとても幸せそうだった。
「三木ヱ門、なんで覚えてるの?」
「私が知るか。どうせあの神様とかいう奴がやったんだろ」
この場所のことも、あの少年のことも。やはり全て覚えているようだ。
「そっか……」
「なんだ、不満そうだな」
三木ヱ門が眉をひそめた。否定しようかと思ったが、やめた。
――実際、不満なのだ。
「……三木ヱ門は、全部忘れていた方がよかったのに」
そう言うと、三木ヱ門は少し顔をしかめた。
「どういう意味だ?」
「だって、三木ヱ門は天川さんと良い思い出あまりないでしょ」
――他のみんなは幸せそうだった。天川さんとの記憶を塗り替えて、幸せな気持ちだけ残して。
――三木ヱ門だって、それでよかったじゃないか。
「みんな天川さんとは苦い記憶しか残らないから、あの少年が全て忘れさせてくれたんだ。そういうことでしょう」
だんだんと顔が俯きがちになっていく。三木ヱ門の表情はわからない。
「みんなもう天川さんのことを思い出すことはなくて、それが多分一番幸せなことだろうから」
「それでお前はそれを見ながら、何事も無いように笑っているつもりだったんだろう」
三木ヱ門の苛々した声がした。顔を上げて彼を見ると、顔をぎゅっとしかめっ面にして、三木ヱ門は俺を睨むように見ていた。
予想していなかった反応で、目をぱちりとさせる。なにをそんなに苛立ってるんだろう。
「お前、私をなんだと思ってるんだ」
三木ヱ門は低い声で言ってから、はあとため息をついた。
「確かに良い思い出ばかりではない。天川姫美のこともまだ許していない」
だが、と三木ヱ門は俺の目をまっすぐ見た。
「全て忘れるより、今の方がよっぽどましだ」
「……え?」
思わずまた目を瞬いた。三木ヱ門は真剣な表情で続ける。
「今までお前だけが全てわかっていて、お前一人が悩んで、お前が全てを終わらせてしまった――」
三木ヱ門はそれからふと顔を綻ばせて。
「――最後になってやっと、お前に並ぶことができてよかった」
――お前だけ取り残すことにならなくて。
――本当によかった。
天川さんとの記憶は、おそらく少年が残していったものの方が、夢物語のような幸せな話に違いない。
それでもそんな記憶より、俺を一人にしないことを選んでくれるというのだろうか。
「……でも、その記憶はない方がいいんでしょ?」
「お前は天川姫美のことは忘れたいのか」
俺は首を振った。天川さんとのことは、忘れたくはない。みんなが忘れたなら、代わりに俺が全て覚えていたい。彼女がここにいたこと、俺だけでもきちんと覚えておきたい。
「――それなら」
三木ヱ門は微笑んだ。
「私はお前と共有したい。苦い記憶も、二人で取り残されるなら幸せだろう」
三木ヱ門の言葉に、俺はしばし呆然としてしまった。
――なぜだか酷い安堵を感じて、泣きそうになった。
「ありがとう、三木ヱ門」
おそらくおかしな笑顔になっただろう。
でも三木ヱ門はそれを見て、俺の大好きな笑顔で笑ってくれた。

ストレヰンジ・ラバーが去った
(二人で残った)


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