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「それでは、すべてお話しましょう」
少年の言葉を聞いて、そちらを振り返ったら。
――そこは今まで居たはずの森の中ではなく、見慣れた学園の校庭だった。
「……は?」
三木ヱ門が小さく声を上げた。
「なにこれ……」
「何今の!」
「急に出てきた!」
「瞬間移動!?」
放課後の校庭である。もちろん生徒がたくさんその場に居て、一気に場が騒然となった。
「おい、何をしたんだ!」
立花先輩がこちらを睨みつけた。
少年の方を見ると、相変わらず軽い微笑みを浮かべて立っていた。
「あんた……」
「はい、私の仕業ですよ」
少年はくすくすと笑った。
「なんなんだ、お前」
三木ヱ門が眉をひそめて問うと、少年はにっこりと笑って言った。
「そうだなあ、なんだろう。強いて言うなら――」
少年は少し考えるように言葉を止めて首を傾げてから。

「――神様かな?」

と言って可笑しそうに笑った。
「……はあ?神様?」
思わず顔をしかめると、少年は苦笑した。
「ええ、そんな感じです」
「おい、森林!そいつふざけてるだろ!」
鉢屋先輩が少年をびしっと指さして言った。少年は肩をすくめて苦笑する。
「ふざけてないよ。ほら、森林葉太郎先輩と田村三木ヱ門はわかるでしょ?色々神様っぽいことしてあげたじゃない」
ちらりと三木ヱ門を見ると、彼も俺をちらりと見上げた。お互い不可解な顔をしている。
「神様っぽいねえ……」
少年は困った顔で笑った。
「まあ、いいでしょう信じなくても。最後に簡単に説明だけして終わるつもりですし。先生の人達も来ましたね」
少年の言葉の直後、学園長含めた先生達が数人駆けてきた。
「山田先生、土井先生、すごいですよー!先輩達が瞬間移動しました!」
「わかったわかった!お前達少し離れてろ!」
一年は組の生徒達が土井先生と山田先生に駆け寄ってはしゃぐ。
「おー?なんとなく戻ってみれば!なにか始まるのか?」
七松先輩率いる体育委員会の人達が帰ってきた。委員会途中で帰ってきたのか、後ろの後輩達もまだそこまで疲弊してはいないようだ。
「揃ったかな?」
少年が呟いて、笑った。
「それでは、なにか質問があれば受け付けるよ?どうぞ」
「はーい!今のは手品かなにかですか!」
『しんべヱ!』
一年は組の子達は相変わらずで。
「手品じゃないよ?ふふ、じゃあ何かって聞かれても困るけど」
「あんたも別に答えなくてもいいのにさ……」
「今ならどんな質問も答えてあげますよ?先輩色々聞きたがってたじゃないですか」
「今はそんなに頭が働いてないよ……」
「そんなものですか」
少年はけらけら笑って、わかりましたよ、と頷いた。
「じゃあ勝手に話しましょうか」
「待て。その前にそこの三年生は誰じゃ?名を教えてくれ」
学園長が言った。先生達は難しい顔をして少年を見ていた。
「名はないよ。神様みたいなものだ。天川姫美を連れ戻しにきた」
「神様あ?」
ああやっぱりそうなるよ。少年は苦笑して、まあそれは置いといて、と言って続けた。
「そもそも天川姫美をここに送ったのも私だ」
「え、じゃあ姫美さんって本当に天女様だったんだ」
「え」
ざわつく周囲の様子に、少年はうーんと首を傾げた。
「天女様ってやつじゃないけど……まあいいや、なんでも」
投げやりに答えただけだった。
「天川姫美をここに連れてきた理由から話そうか。まず、天川姫美は元の世界でもこんな風に嫌われていたんだ。細かい理由は省略するけど」
「天川さんが?」
思わず尋ねると、少年は苦笑した。
「森林葉太郎先輩だけですよ、そんな反応するの。他の人達はみんな納得してますよ」
「だって、天川さんが嫌われてるのは術のせいだって」
「まあそれもありますけど。そもそも天川姫美の性格は人に嫌われやすいんですよ。森林葉太郎先輩はわからないかもしれませんね、あなたは彼女と同類だから」
少年が笑って言った言葉に、一瞬ぎくりとした。
「ほら、あなたが学園に入れられたのって、あなたが一族の人達に嫌われたからじゃないですか」
「おい、お前!」
三木ヱ門が声を荒らげると、少年は肩をすくめた。
「田村三木ヱ門が怒るのでこれ以上はやめておきましょう。とにかく、そういうわけで天川姫美は嫌われていて、元の世界に味方がいなかったんです」
「それならおかしいだろう。君が本当に神のような存在だとして、それで天川さんをこの世界に連れてきたなら、彼女を助けるためのはずだ。彼女の今の状況と噛み合わない。失敗したのか?」
山田先生が眉を寄せて尋ねる。少年はそれに顔を向けて、いいえ、と首を振った。
「全く失敗なんてしていない。計画通りだ。もう少し説明しようか。その前に――」
少年はそこで言葉を切って、ぱっと姿を消した。
「――天川姫美はいつまでそうしているつもり?ぼうっとして、話聞いてないでしょ。あなた当事者なんだからちゃんとしなよ」
「うわあ!びっくりしたあ」
「え、どっから!?」
タカ丸さんと善法寺先輩の声で、その場の視線が彼らの方に向いた。
「なんだ、あれ……」
三木ヱ門がぽつりと呟いて、周りがざわざわとして騒然となった。俺は驚いて目をぱちぱちさせて天川さんを見ていた。
彼女の自慢の髪はばっさりと短く刈られていて、土に汚れた白い肌と山吹色の小袖には、赤い血が垂れていた。
――彼女はあの四人に殺されかけたのだった。
「え?毒?ああ、そういえばそんなことあったか」
少年は気だるげに天川さんに話しかけていて、一つため息をつくと、しゃがみ込んで地面に伏している天川さんの肩をぽんと叩いた。
そしてまた二人の姿が消える。
まさかと思って少年がさっきまでいた場所を見ると、少年は本当にそこに戻ってきていて、しかも隣に天川さんが立っていた。
髪は元の長さに戻って、肌の血は綺麗さっぱりなくなっていて、小袖は白い袖のないものに変わって。
――学園に落ちてきた天川さんの見た目そのままで。
「え、なに?」
「どうせすぐに帰るんだから、最初のように戻しておいたんだよ」
天川さんも困惑しきった表情で、自分の手や着物を呆然と眺めていた。
「ここからはあなたも知らない話だから、きちんと聞いてなよ」
少年は天川さんにそう言って、ええと、と言って。
「嫌われていた話まで終わったよね、それから」
「ちょ、そのまま話再開するの!?今の一連の流れ説明してよ!」
思わず口を挟むと、少年は首を傾げた。
「え、別に見た通りでしょう?天川姫美がまともに話を聞いてないみたいだったので、回復ついでに帰る用意もしておいただけです」
「色々と追いつかない……あんたなんでもありだね!」
少年は俺の言葉に笑った。
「はは、まあそりゃそうですよ。神様みたいなものだって言ったでしょう」
「……こうはっきり見せられると、さすがに信じるしかない気もするのう」
学園長が困ったように呟いた。
「で、天川姫美の話ですよ。天川姫美はみんなに嫌われていて、味方は一人もいなかった――と、彼女は思い込んでいた」
「え?」
天川さんが驚いた声を上げると、少年は彼女に目を向けた。
「思い込みだよ、あなたの。あの世界にもあなたの味方はいた」
「嘘……そんなはず」
「その彼が私に祈ったから、こういうことになったんだよ。神様が動くほど祈ってくれるような相手がいたんだ。あなたが気づいていなかっただけ」
神様が動くほどの祈り、とは。やはりそれほど強い想いだろうか。
「私は基本的に不干渉なんだよ。変に引っかき回すと色々ややこしいことになるから。それを動かしたんだから、あれは結構見所のある人だ」
「その人は、何を願ったの?」
尋ねると少年は俺の方を見て、微笑んだ。
「森林葉太郎先輩と同じですよ。天川姫美が周囲の人間と仲良くなれれば、って」
結局それなんですよ、と少年は続けた。
「その人は天川姫美がみんなに許されるのを望んだ。別に私にしてみれば、天川姫美の性格を作り替えて、周囲の記憶も作り替えて、彼の願いを叶えてもよかったんだよ。多分その方が簡単だったんだけど」
ああ、なんかそんなことも簡単に出来そうだ。この少年なら。
「じゃあなぜそうしなかった?おかげでこっちは散々だ」
鉢屋先輩が憎々しげに言った。少年は苦笑する。
「それは申し訳なかった。でもあなた達が学んだこともあるだろう?委員会活動はサボってはいけない、甘い夢を見ているわけにはいかない」
少年の言葉に、先輩達や周囲の人達がふと黙り込んだ。
「なぜと言われると、わたしがあの人を気に入ったからだよ。そうでもなければこんな面倒なこともしない」
「あの人って、その願った人?」
ええ、と少年は頷いた。
「そうやって彼の願いを叶えても、すべては最初から無かった事になるだけ。そうなると、天川姫美をあれほど愛した彼が可哀想だと思ってね」
「それがなんでこうなるんだ?」
三木ヱ門が聞いた。すると、少年は俺を見た。
「――森林葉太郎先輩がいたからです」
「……俺?」
少年はにこりと笑った。
「あなたは優しい。天川姫美に似ている。彼と同じように、天川姫美の味方になると思ったんです。確かにあなたは私の計画通りに天川姫美の味方になったし、私の目的も達成された」
そういえば、少年はさっきから目的という言葉を使った。
「その目的って、なに?」
少年は微笑んだ。
「――天川姫美が、気づくことですよ」
「気づく?」
天川さんが小さく呟いた。
「なにに?」
「あなたの失敗」
少年は天川さんの目を見た。
「あなたが今まで自分の味方に気づかなかったことに気づくこと。それが私の目的だよ」
天川さんの味方が、少年に願った。
それを少年は受け入れて、その人のためにとこの世界に天川さんを連れてきた。
――味方に気づくこと。
なんとなく、話が見えてきた。
「天川姫美は自分の味方がいる事に気づくべきだった。その相手が、自分のことばかりを考えて、何でも自分のためだけに動くわけでないことも」
そして、と少年は笑った。
「――天川姫美はやっと気づいた。森林葉太郎先輩が、自分の言う事を聞かなくても、一番の味方であったことを知った」
もう少し遅ければ本当に殺されたね、と少年は笑えない事を言って笑った。
「私の目的は達成したし、もうここに留まる理由はない。最後の説明も荒方こんなものだ。何か聞きたいことがあるなら答えるけど、誰か何かある?」
「ある」
少年の言葉に、低い声で答えたのは立花先輩だった。
「どうぞ」
「――そんな終わりでは納得できない。天川姫美が元の場所に戻って生きていく?そんなことで気が収まるか!」
そう言って彼は少年を睨みつけた。鉢屋先輩や善法寺先輩、タカ丸さんも顔をしかめていた。
――やはり彼らは天川さんを許せないのだ。
「立花先輩、もういいでしょう。もう彼女はいなくなる、それではダメなんですか?」
言ってみても、四人の表情は変わらなかった。
「どこかでそいつが生きているというのが気分が悪い。もう一生会わないだろうが、そういうことではない」
「――それは勝手にどうぞ」
少年が涼しい声で言ったので、立花先輩達の顔が更に歪んだ。
「なんだと?散々引っかき回しておいて、それか」
「大丈夫だよ。立つ鳥跡を濁さず。きちんとすべて丸く収まるようにするつもりだ。天川姫美がいなくなるまで我慢していればいい。そうすればすべて忘れているよ」
少年はそう微笑んだ。
「――記憶を作り替えるくらい簡単だからね」
立花先輩達はその言葉にしばらく黙って少年を睨んでいた。
「……そう」
最初にタカ丸さんが呟いた。
「なら僕は部屋にでも戻るよ。その人の顔を見ていたら、気持ち悪いから」
眉を下げて無理やり小さく笑顔を見せて、タカ丸さんは背を向けて去っていった。
次に鉢屋先輩が何も言わずに走り去っていった。不破先輩が慌てて追いかけて、それを追ってあの仲の良い五年生達がいなくなった。
「――仙蔵、伊作」
立ちすくんでいた二人は、名を呼ばれてのろのろとそちらを見た。
「――こっちへ来い」
六年生は、六人揃ってその場を去った。潮江先輩と七松先輩は立花先輩の両手をそれぞれ握って、食満先輩と中在家先輩は善法寺先輩の肩を叩いた。
「……それじゃ、そろそろ帰ろうか」
少年が淡々と言った。六年生の背を見送っていた全員の目がそちらに戻る。
「残っている限り彼らが可哀想だからね」
「……うん」
天川さんが小さく頷いた。
「森林葉太郎先輩」
名前を呼ばれて、少し驚いた。
「なに?」
「すみませんでした。あなたには一番迷惑をかけた」
「そんなことないよ」
そう言って俺は、小さく笑った。
「――天川さんに会えてよかった」
天川さんはそれに目をぱちりとさせて、泣きそうに顔を歪めた。
「葉くん……私、ね」
「なんですか?」
「……ありがとう。ずっと、私のことも考えててくれたって、私ずっと気づかなかったの。ごめんなさい、本当にありがとう」
ついに涙をぽろぽろと流して、天川さんはありがとうとごめんなさいを繰り返した。
「――いいですよ、もういいですから」
――心から天川さんと会えてよかったと思った。
――やはり純粋で、真っ白な人だった。
天川さんは目を擦って俺の顔を見た。その目に笑いかけた。
「戻ったら、あなたの味方の願い、叶えてあげてください」
「――うん!」
天川さんは笑って大きく頷いた。
「もういいかな?」
「うん」
天川さんは少年の問いに頷いた。そう、と少年は今度は俺の方を見た。
「ありがとうございました。森林葉太郎先輩」
「……一つ聞きたいんだけど、なんで俺にだけ先輩って付けるの?」
少年はくすくすと笑って、答えた。
「一度敬語と言う奴を使ってみたかったんですよ」

――それでは、さようなら。

少年がそう告げた次の瞬間、二人の姿は跡形もなく消えていた。



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