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背中にのしかかった状態で、タカ丸くんがうーん、と私の髪を触りながら唸った。
「タカ丸さん、あまり時間ないんですけど」
「ああ、ごめんねー。やっぱり切っちゃうの勿体ないなあって」
「もー、早くしてください!」
「はあい」
三郎くんが急かしたので、タカ丸くんは苦笑していつもの鋏を出した。
「じゃ、切るね」
にっこりと笑った顔だが、目は冷たく私を見下ろしていた。
――やだ、やだ!
声は出ないし、体は動かない。さっき三郎くんが苦無で腕につけた傷がじくじく痛む。曰く、強い麻痺性の毒が塗られていたらしい。
「これ切ったらヘアピースにでもしようかなーって思ったんだけど、鉢屋くん使う?」
「いりません。そんなやつの一部なんて」
「えー。髪に罪はないんだよ?」
――私にだって罪なんてない!
――少なくとも殺されるようなことなんて……!
抗議も抵抗もまともにできない。タカ丸くんがくるっといつものように鋏を回した。
前はよく私の髪を結ってくれた優しかった手が、乱暴に私の髪を掴んで引っ張った。
痛い、と思う間もなくザクッという音を立てて髪が切られた。
「容赦ないですね、意外と……」
「んー?鉢屋くんもそうじゃない」
タカ丸くんはけらけら笑って、また一房髪を掴んだ。
ザクッ。
「あ」
「どうしました?」
「あはは、危なーい。耳切りそうになった」
「タカ丸さん怖っ」
三郎くんはそう言ったが、顔はにやにやと笑っていた。
――怖い。なにこれ!
「あんまり怪我させると、勝手にやるなって先輩方に怒られますよ」
「あの二人怖いからな〜、気をつけるよ」
またタカ丸くんは髪を掴んで、今度は少し頭から離れたところで切り落とした。
「せっかくこんな綺麗な髪なのに、なんで本体がこんななんだか。髪が可哀想」
「まあ、その辺はほら、これも女だし」
会話を続けながら、ザクザクと躊躇なく髪を切り落としていく。タカ丸くんが好きだって言うから、戦国時代にきてまともに髪の手入れも出来ないけどずっと大切にしてきた髪なのに。
麻痺していても涙は出るらしい。ぽろぽろと私の頬が濡れていくのを、二人は冷ややかな目で見ていた。
「――終わったか?」
涼しげな声がして、三郎くんとタカ丸くんの目が私から外れた。
「立花先輩、善法寺先輩」
「うわ!なんかすごいことになってる」
かすかに足音が近づいてくるのは聞こえたが、顔が動かないので姿は見えない。
「移動するぞ」
「もうちょっとー」
タカ丸くんが仙蔵くんにそう返して、ぐいっと横髪を引っ張って。
――ザクッ。
――痛い!!
「はい、オッケーだよ〜」
「ああ、もう。米神は出血が多いんだから!あまり血出さないでって言ったでしょー」
伊作くんが非難するように声を上げた。
「だってえ」
タカ丸くんは私の背から離れた。彼の切った側が上になるように顔が横を向いてしまって、目に血が入ってまた痛い。
――もうやだ!もうやめて!
「――移動したらすぐ殺しちゃうんでしょ?だったら今のうちに一回くらい切っちゃいたいじゃない」
タカ丸くんは笑って、仙蔵くん達はため息をついた。
――なんでこんなことになったの、神様!

* *

少年に手を引かれて、裏山の中の獣道を走る。三木ヱ門も後からついてきていた。
「本当に四人が天川さんを連れ出したの!?」
俺の質問に、少年は淡々とした口調で応じた。
「ええ。ちょうど今裏山の奥に移動し始めました。急がないと」
「おい、そんなことわからないだろ!」
三木ヱ門がもっともな不満の声を上げると、少年は振り返って微笑んだ。
「――わかるんだよ。私は」
本当に、変な子だ。
「葉太郎、なんなんだこいつ!」
「さあ……」
三木ヱ門は不満げに言う。俺も少年については、常に笑っている変な子ということしか知らないので、何も答えられない。
――ただ、この少年の言葉は侮れないとはさすがにわかってきた。
「田村三木ヱ門も、ついてくるなら黙ってきたらどうなんだい」
「本っ当に失礼な奴だな!先輩に対しての態度じゃないだろ!」
「もう先輩後輩設定は森林葉太郎先輩でこりごりだよ」
「え、何それ。どういう意味?」
少年は苦笑して前を向き直った。三木ヱ門が納得いかない様子でくそ、と悪態をついたのが聞こえた。
――ところで、彼が向かっている方向を確認して気がついたことがあるのだが。
「ちょっと、この先は崖だよっ?」
「そうですね」
「戻らないのか!?」
三木ヱ門の問いに、ええ、と少年は頷いた。獣道から、少し開けた場所に出る。すぐそこは崖である。
「時間がないので、このまま行きましょう」
『え?』
俺と三木ヱ門の間抜けな声が被った時。
――少年は俺の手を引いたまま崖からひょいっと飛び出した。
「葉太郎っ!」
三木ヱ門が切羽詰った声を上げて俺のもう片手に手を伸ばした。
掴まれる。
「あっ……!」
当然三木ヱ門も俺達と同じく崖から落ちる。彼は手を繋いでいたわけではないから、立ち止まれただろうに!
三木ヱ門が怪我なんかしたら……!
ぎゅっと三木ヱ門と繋ぐ手に力を入れると、三木ヱ門も同じように力を込めた。
「――お二人は本当にお互い大好きで」
少年がふふ、と笑った。
――ふわりとした浮遊感を感じ、身体が一瞬浮き上がった。
「はっ?」
「な、」
俺と三木ヱ門が小さく声を上げると同時に、俺達は地面に降り立っていた。
「もう少し奥です。急ぎますよ」
「ちょ、ちょっと!何今の!」
少年は少し振り返って、にこりと笑っただけだった。
――天川さんが初めて現れた時も、これと同じではなかったか。

* *

三郎くんにずるずると引きずられて連れてこられたのは、森の中でぽっかりと開けた場所だった。
「あれだ」
「ああ、はあい」
仙蔵くんの声がして、三郎くんはそれから少し移動した。ずるりと足に痛みを感じたのは、地面に落ちていた石に引っかかったらしい。少量の血が地面に筋を作った。
「よっ、と」
三郎くんが軽い声でぽいと私を放った。
浮遊感があって、暗がりに落ちた。
「さすが作法委員長。サイズ、ぴったりだね」
「ふん。この私がこんな奴のために穴掘りなんかするとは」
上から伊作くんと仙蔵くんの会話が聞こえて、穴に落とされたのかと理解した。
「ほら、あと力仕事してないのは伊作だけだぞ」
「はいはい。でもさあ、この分担斎藤だけ軽くない?髪切るのって趣味の延長でしょ?」
「え〜。じゃあ僕も手伝おうか?」
そんな風に軽い口調で会話を交わしたのが聞こえた後。
――ばさばさ、と土が落とされた。
そこで、彼らが何をするつもりなのかがようやくわかった。
――嘘。
――やだ、やめて!やめて!
「早くしろよ、あまりかかると先生方に気づかれる」
「わかってるよー」
ばさばさ、と頭の上に土が降りかかった。
――埋めるつもりだ。
――誰にもバレないように、すべて埋めてしまおうと!
「体育委員とかは大丈夫ですよね」
「さっき近くを通っていったからしばらくは戻らないんじゃないかな」
――助けて!
――誰か、誰か助けて!!
「少なくともすべて終わるまでは誰も気づかないさ」
仙蔵くんの言葉がぐわんと頭の中に響いた。

「――天川さんっ!!」

ばさ、と土の音に紛れて。
彼の声が聞こえた。

「なんで……」
伊作くんとの困惑した声。土を落とすのは中断したようだった。
「葉太郎くん、三木ヱ門くんも……」
「お前達、なぜこんなところに」
タカ丸くんと三郎くんも驚いた声。
「それはこっちの台詞でしょ。こんなところで何をしてるんですか、あんたら」
葉くんの怒った声が聞こえる。
――どうして、彼がここに。
「……さっきの呼びかけを聞く限り、わかっているようだが」
仙蔵くんの声は冷静だった。
「……本気でこんなことをするとは思ってませんでしたよ」
「そうか。残念だったな」
「ええ、残念ですよ!」
――なんでそんなに怒っているの。
「お前達はなぜここに来たんだ」
「先輩達が天川さんを連れ出したってこいつが言うから、引き止めに来たんですよ」
仙蔵くんの冷たい声。葉くんの苛立った声。
「――森林、それなら聞けない相談だ。帰ってくれ」
三郎くんが言った。
「はあ?」
「お前には迷惑もかけたし、色々と世話にもなった。私達はお前に感謝もしてるし、お前の頼みは聞いてやりたいとも思う」
「だったら――」

「でもこればかりは無理だ。この女はここで殺す」

三郎くんの淡々とした声は、強い意思を持っていた。
「そんなこと……なんでそんなことになるんですか!」
葉くんが怒鳴った。今度は柔らかい声が、ごめんね、と言った。
「葉太郎くんの言うこともわかるよ。僕らもこんなことしたくはないんだけど」
「だったらしなければいいでしょう!」
「うん、そうなんだろうけどね……」
タカ丸くんはそれだけ言って黙り込んだ。
「なんなんですか、タカ丸さん!」
「森林」
伊作くんの声が、ゆっくりと葉くんの名前を呼んだ。
「斎藤の言う通りなんだよ。僕らだって、好き好んで人を殺したいなんて思わない。出来ることならこの人のことも許してあげたいって、三日間悩んできたんだよ」
伊作くんの声はやけに優しい。

「――やっぱり無理だった。友達と話しても後輩と話しても、ずっと彼女を殺すことばかり考えてしまう。この人を殺してしまわなければ、僕らは元のように戻れない」

「……そんな、こと、」
葉くんが低い声で呟いた。
「そんなこと、言われても、だからって天川さんを殺させるわけには、いきません」
「……森林、わかってよ」
「嫌です!」
葉くんの声が泣きそうに聞こえた。
「なんでそんなに勝手なんですか!無理だなんて言わないでくださいよ!俺のお願いくらい聞いてくれないんですか!俺は――」
――葉くん、なんであなたが一番辛そうにしているの?
「――俺はずっと、学園のみんなと天川さんに仲良くしてほしいって、それだけなのに」
――ああ、そうだった。
――あなたは、最初からずっとそうだったんだ。

――あなたは、最初からずっと、私と学園のみんな、どちらも大切にしてくれていたんだね。

パン、と乾いた音が響いた。

「――やっと終わった」
涼しい声が響いた。
ふふ、とその声が笑った。
「――それでは、すべてお話しましょう」



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