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天川姫美と他の四人が楽しそうに会話しているのを、不破雷蔵はぼんやり眺めていた。
少し離れた校舎の廊下を、彼らを遠巻きにして生徒達が過ぎていく。雷蔵と他の五人は中庭の木陰に座って休んでいた。
ばたばたと音を立てて走っていったのは、体育委員会の生徒達だった。楽しそうな七松小平太を先頭にして、後に続く後輩達はうんざりした顔。
最近図書室に行ってないな、と雷蔵はぼんやり思い返した。
「なあ雷蔵」
「……あ、なに?三郎」
ぼけっとしていたら反応に遅れた。さっきまで姫美の傍にいた鉢屋三郎が、いつの間にか雷蔵の隣に立ち、そんな雷蔵を気にした素振りもなく、不満げに校舎の方を見ていた。
「勘右衛門と兵助がいる」
「ああ、そうだね」
廊下を渡って行った二人を見ていたらしい。それがどうしたのかと思いつつ、三郎の顔を見上げた。
「あいつら、なんなんだろうな」
三郎はますます顔をしかめて、既に見えなくなった二人の背を睨んでいた。雷蔵はその様子に驚く。
「どういうこと?」
「あいつらもこの前まで姫美さんと一緒にいたくせに」
「……みんなにも思うところがあるんだよ」
雷蔵が苦笑しつつ言うが、三郎はまだ怒っている。
「最近みんな変だろ。姫美さんが悲しむから言わないけどさ、なんでみんな急に姫美さんを嫌うようになったんだ」
「嫌うって……」
「みんな隠してるつもりなんだろうけど。八左ヱ門も勘右衛門も兵助も、他にもたくさんいるだろ」
三郎がそれに気付いていたとは思っていなかった。気付いていたら彼らに何か言うだろうと思っていたのだが、そんな素振りは一切なかったからだ。
「なんで、わかるの?僕は知らなかったな」
「善法寺先輩とタカ丸さんも多分気づいてないさ。立花先輩は私と同じで気づいているけど」
相変わらずその二人は人の感情の機微に鋭い。三郎の顔を見ながら、雷蔵は不安に顔をしかめる。
――まさか、僕がそうだってことも気づいている?
その時、姫美の名前が遠くから呼ばれた。見ると吉野先生がやって来るところだった。彼女はちょっとした事務の作業も手伝っているから、そのことだろう。
ちょっと行ってくるね、と言いおいて姫美が木陰から出ていった。手伝おうか、という善法寺伊作の申し出は断られた。
「雷蔵」
三郎が不意に呼んだ。雷蔵はどきりとしつつ答える。
「な、なに」
「雷蔵は、姫美さんから離れたりしないよな?」
三郎は無表情に雷蔵を見ていた。
――気づくと、他の三人も同じように雷蔵の方を見ていた。
雷蔵は思わず立ち上がってしまって、目線が同じになった三郎がその反応に眉を寄せた。
「なんでそんなこと聞くの?」
「答えろ雷蔵。お前はみんなとは違うよな?」
三郎が雷蔵を睨む。他の三人は無表情でいた。
――なんだ、急に。さっきまで普段通りだったはずじゃないか。
「なに言ってるの、僕は、別に……」
「……」
雷蔵が眉を下げて答えるのを、四人がじっと見ていた。その目は明らかに冷たい。
――何も失敗なんてしてないはずだ。だって今日はほとんど何もせずに彼らの隣にいただけなんだから。
「……不破雷蔵」
不意に立花仙蔵が雷蔵の名を呼んだ。彼は雷蔵に対して、他の三人以上に冷たい目をしていた。きつい印象のある美しい顔立ちが、雷蔵をじっと睨んでいた。
「お前――」
「どうしたのーっ?」
姫美が少し離れた場所から駆けてきた。四人の目が雷蔵から離れ、柔らかな温かさを取り戻す。
――違う、先程の冷たさを温かさの下に隠しただけ。
「姫美おかえり」
「なんの用だったの?」
立花と善法寺が声をかけると、姫美はふわりと微笑んだ。
「うん、事務のお手伝いで、資料を運んでほしいんだって」
「そうか。不破」
「は、はい」
立花が雷蔵を見た。
「手伝ってやれ」
「え、僕?」
姫美の手伝いは、彼女の隣に立っていられる権利のようなものだと思っている。それをわざわざ雷蔵に渡すなんて、どういうつもりなのだろう。
「たまにはお前も姫美と一緒にいたいだろ?」
「そうだねえ。不破くんはいつも遠慮してるみたいだもんね」
立花の言葉に、斎藤タカ丸がにこにこと同意する。
――なんだ一体。何を考えているんだこの人達。
「雷蔵、行ってこい」
「三郎……」
三郎は雷蔵をじっと見ていた。
「不破、いいでしょ?」
伊作が小さく笑ってみせた。
――全員の雷蔵を見る目が、どこか観察するようで気味が悪い。
「いや、僕は……三郎も行こうよ」
「今日のところはお前に譲ってやるよ」
譲ってやる、と言っておきながら目には少なからず苛立ちが見える。
――彼らはいつの間にこんな目をするようになった?
「じゃあ雷蔵くん、行こ!」
姫美がにこにこと笑って雷蔵の手をとった。

――雷蔵は思わずそれを振り払ってしまった。

「――雷蔵っ!!」
三郎が声を上げて雷蔵の首元を掴んで、どんとその身体を木に押し付けた。
「いっ、」
「お前っ、どういうつもりだよ!」
「い、まのは……」
「――やはり、そうか」
立花が立ち上がった。呆然とした様子の姫美を、タカ丸が三郎達から離れさせた。
「不破、お前も他の奴らと同じだったんだな」
立花の言葉に、雷蔵は目を見開いた。
「なんで……」
「一昨日の小平太の件から、少し周りを見るようにしたんだ。そうしたらすぐに気づいたさ」
立花は冷たい目で雷蔵を睨んだ。
「――お前は、一度も姫美と目を合わせなかったな」
話す時も、笑う時も、一瞬たりとも。
――彼女の目は何か良くないものが渦巻いていて、恐ろしい。
「雷蔵、私は信じてたんだぞ」
「三郎……」
「お前はそんなことしないって、思ってたのに!」
ぐっと三郎が手に力を込めた。首元の圧迫に雷蔵が苦しげに呻いた。
「雷蔵、お前、なんで姫美さんのところに残ってたんだ?」
――それは、三郎が。
「姫美さんに何をするつもりだったんだよ?」
「ち、が……っ」
――お前が、心配で、だから。
「やめて、三郎……!」
ひゅっ、
と三郎の目の前を棒手裏剣が過ぎ、咄嗟に三郎は雷蔵から手を離した。
雷蔵は咳き込んで座り込み、他は皆手裏剣を撃った人物に目を向けた。
「――なにやってんですか、あんたら」

* *

鉢屋先輩は憎々しげに俺を睨みつけて、立花先輩は冷ややかな目で俺を見つめていた。タカ丸さんと善法寺先輩は、天川さんの隣で眉を寄せている。
その天川さんは状況がわかっていないようで、呆然と俺を眺めている。
「森林、またお前か」
「また俺ですみませんね。一体どういうことですか」
立花先輩の言葉に嫌味っぽく返して、不破先輩に目を向けた。
――まさか鉢屋先輩が不破先輩を責めるなんて思っていなかった。
――あの四人はやはりおかしい。
「お前には関係ないだろう」
「不破先輩は俺を何度か助けてくださったので、お返ししたんですよ」
「……そっか、不破はあの時は既にそうだったんだ」
善法寺先輩が思い出すように呟いた。
「森林、お前が」
鉢屋先輩が低い声で唸った。
「お前だろ、雷蔵が姫美さんを嫌うわけない、お前が何か言ったんだ、そういうことだろ」
「はあ?なんなんですか、鉢屋先輩」
言いがかりも甚だしい。タカ丸さんと善法寺先輩も困惑した顔で彼を見た。しかし鉢屋先輩は尚俺を睨むだけだった。
「そんなはずないんだ、雷蔵があんな風に姫美さんを拒絶するはずが」
鉢屋先輩の様子に疑問を感じる。
――なんでこんなに不破先輩を庇うようなことを?
――さっき不破先輩の首を締めていたのは彼自身のはずなのに。
「雷蔵が姫美さんを嫌うはずない!私がこんなに好きなんだから!他の奴らもそうだ!八左ヱ門も勘右衛門も兵助も、みんな――!」
「……ああ」
鉢屋先輩の目が辛そうなのを見て、なんとなく気がついた。
――なんだ、鉢屋先輩はまだ前のままなんだ。
まだ不破先輩や他のみんなが好きなんだ。だから天川さんが嫌われるのが辛いのだろう。
――でも、その"好き"は。
「……天川さん!」
名前を呼ぶと、天川さんはびくっと肩を震わせた。
「――ごめんなさい」
「え……?」
「――俺は天川さんのことは好きです。でも先輩達のことも好きです。みんなが幸せになれればよかった。そうできたかもしれない」
「森林、何を」
立花先輩と善法寺先輩が顔をしかめた。
「――もし、本当に天川さんが術なんか使っていて、それを本当に俺が解けるとして、それであんたが一人になったら」
「葉くん、なにする気?」
天川さんが顔を青くして俺を見ていた。
――あんたのことは今でも好きです。
――あんたは昔の俺に似ている。
「――俺は天川さんの味方でいます」
天川さんは俺の意図に気づいたようで、俺をきっと睨みつけた。
俺は四人の顔をそれぞれ見た。
立花先輩は眉をひそめて俺の言葉の意味を考えている。善法寺先輩は天川さんと俺を交互に見ていた。タカ丸さんは眉を下げて困った顔をする。鉢屋先輩は泣きそうな顔をして俺を睨むばかり。
「――彼らを手放してください」
「葉くん、やめて!」
天川さんが叫んだ。

「――"あんた達は、最初から、天川さんのことなんか好きじゃなかったんですよ"」



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