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夜、竹谷先輩と狼達の散歩に行って帰ってきたところだった。
「――こんばんは」
「……こんばんは」
またこの少年が現れた。
「お疲れ様です。夜中に散歩なんて大変ですねえ」
「夜の方がみんな調子いいから」
「ふうん。昼と夜でなにが違うんでしょうね」
「そりゃ色々違うでしょ」
「へえ」
少年は薄く笑った。相変わらず変な子だ。
「お雪って言いましたっけ、あの白い雌狼、元気ですか?」
「ああ、うん。その節はありがとう」
「いいえ、大したことではありません」
「……なんでわかったの?」
尋ねると、少年は笑って答えた。
「だから、前回も言ったでしょう。見てればわかります」
「あんたはそればっかりだね」
「本当のことですもん」
聞いても答えてくれそうにないので、もう聞くのはやめる。
「よかったですね、先輩。田村三木ヱ門が――田村三木ヱ門先輩が、戻ってきて」
「あんた先輩のこと普段呼び捨てなわけ?」
「すみません」
少年は笑って謝った。まったく誠意が感じられない。
「ところで、今朝のことなんですけど」
「今朝って」
「七松小平太、先輩、のあれです」
先輩、をあからさまに強調してくすくすと笑った。楽しそうだ。話題の転換といい、自由な子だ。
「あんたあの時食堂にいたの?」
「いいえ?いない生徒もみんな知ってますよ。あんなの噂になるに決まってるじゃないですか」
まあ、そりゃそうか。
「先輩あれ見ててちゃんとわかりましたか」
「なにが?」
「ほら、先輩が一昨日六人じゃ足りないとか言ったから」
「うん?」
そんなことも言ったっけ。え、で?なにが言いたいんだ?
「先輩はそんなだから、見てても何もわからないんじゃないですか?」
「えー、なんか厳しいね」
「ふふ。冗談です。普通の人はわからないもんですよ。見てても、何も」
少年は軽く笑って、それはともかく、と話題を戻した。
「だから、四人以外の人達はみんな天川姫美から離れたってこと。先輩、今朝気づいたでしょ?」
「ああ、そういうこと。うーん」
以前天川さんがまだ好きだと言っていたのは誰だったか。体育委員会や会計委員会は活動があってまだ天川さんに接触していなかったけど、確かに今朝の食堂では普通に食事を続けていた。
「そういえばそうだ」
「そうでしょう」
少年はにこっと笑って頷いた。
「それじゃあやっと本題ですけど」
一昨日も思ったけど、この子は会話の前置きがやたら長い。ついでに話の途中でよくわからない雑談を挟んできたりする。会話するにはちょっとややこしい。
「本題って、なにか用があって来たの?」
「はあ、用もないのにこんなところ来ませんよ」
少年は小首を傾げて言い、話を続けた。
「一昨日も言いましたけど、"権利"のことです」
「ああ、そんなこと言ってたね」
「田村三木ヱ門と伊賀崎孫兵の二人も引き戻したので、約束通り権利をあげようと思って、今日は先輩を待ってたんです」
「前も聞いたけど、なんなのそれ?」
少年は俺の問いに楽しそうに笑った。

「はい。天川姫美かあの四人のどちらかを選ぶ権利です」

「は?」
眉を寄せて首を傾げる。少年はそうなりますよねえ、と笑う。
「貴方にはある程度種明かしをしなければなりませんね」
「なに、種明かしって……」
天川さん達のこと?なんでこの少年がそんなことを知っているんだろう。
「天川姫美が突然生徒達に好かれた理由と、今あれだけ嫌われてる理由です」
「そんなこと知ってるの」
「見てればわかります――」
「またそれ」
少年はそう言ってから、にやにやした。
「――と言いたいところですけど、別に見ててわかったわけじゃありません」
「……あんたねー」
「すみません。ふざけました」
少年はけらけらと笑って、真剣に話しましょう、と微笑に戻った。
「――あれは、術ですよ」
「……術?」
「はい。天川姫美は術を使ってます」
「忍術?彼女は、でも普通の人だよ。くの一でもないし」
「忍術?いえ、分類するなら妖術の類です」
「天川さんは、それこそ妖怪じゃないでしょ」
さらに不可解な顔をする俺に、少年は一瞬置いてからふふ、と笑った。
「妖怪でないにしても、得体は知れないでしょう。なんたって未来から来た」
「うーん……え?」
その言葉にふと違和感を覚えて、少年の顔を睨む。
「なんで未来から来たって」
「あ、間違えた」
――ぱちん。

「妖怪でないにしても、得体は知れないでしょう。なんたって天女様だ」
「うーん……」
天女様かあ。その設定って一応まだ生きてるんだよな。でも彼女は実際、普通の人だ。まあ、本当は未来から来たんだよなんて、先生達以外の人に教えてはいけないし。
結局俺は小さく苦笑するに留めた。
「で?天女様だから妖術が出来るって?」
「天女様だからというか……まあいいです」
少年は曖昧に笑って続けた。
「とにかく彼女は術を使ってるわけです。生徒達に好かれる術」
「ありえないでしょ」
はっきり言っても、少年はそんなことありませんよと笑うだけだった。
「私が言っているのは、その術を解く権利のことです」
「……あのさ、あんた俺がそんな適当な話を信じるって思ってるの?なんのつもりか知らないけど、俺達は本気で天川さんのことで色々悩んでるの。馬鹿にしてる?」
少し苛立って睨むように彼を見ると、少年は苦笑して肩をすくめた。
「馬鹿になんかしてません。事実を伝えているんです。で、天川姫美が嫌われてる理由もこの術なわけですけど」
「もういい。そんな荒唐無稽な話を信じてほしいなら、ちゃんとした根拠を教えてよ」
「根拠ですかー……それは難しいですね。知ってるから知ってる、ってだけで」
少年は平然とそう言った。ため息をつくと、少年はすみませんねえ、と笑った。
「でも、先輩はいい人ですよね。他の人ならもっと早い段階で怒ってどっか行っちゃいますよ」
「そりゃそうだろうね。あんた、なんか変な子だし」
「ええ。そう言いながらまだ話してくれるでしょ?だから私も先輩に権利をあげようと思ったんです」
まだそのホラ話が続くのか……早く部屋に戻りたいんだけどな。
「先輩はもう私の話を信じる気がなさそうですけど、一応言っておきます」
少年はそう言うと一瞬口を閉じて。
「――このままでいると、あの四人が死にます」
「……は?」
俺が眉をひそめると、少年はにこっと笑った。
「先輩が言ったんじゃないですか。人を傷つけないで生きていくことはできない、そうしないと死ぬって」
「そんなこと、いつ」
と言いかけて、天川さんと喧嘩した日のことを思い出した。
「……あんた、聞いてたの?」
尋ねると、少年は笑った。肯定も否定もしない。
「先輩の意見は正しいですよ。こんな場所にいながら一生人を傷つけないでいられるはずがない。だからあの四人はいつか死ぬ。天川姫美の甘言に酔ったまま」
「……」
それは極論だと思う。だからっていつか死ぬなんて言い切るものでもないし、そうならないように彼らだって結局は人を傷つけて自分を守るはずだ。
「先輩、甘いですよ。あの四人の天川姫美への陶酔ぶりを舐めてるでしょ」
「え、別に……」
「あの四人は天川姫美の言葉に背くくらいなら死を選びますよ。今はまだそこまでではなくても、このまま放っておけば」
ね、と少年は笑った。こんな話をしながら笑えるなんて。
「だから先輩に権利をあげようと思って」
「……どういうこと」
「話を聞いてくれる気になりました?やっぱり優しい人ですよ、先輩は」
「いいから、なにが言いたいのあんた」
少年の言葉を遮って問い詰めると、少年は微笑を浮かべて言った。
「最初に言ったでしょ。天川姫美かあの四人のどちらかを選ぶ権利です。天川姫美の術を解く権利です」
天川さんが人に好かれる術を使っていて?
それを解くことができるということは?
「私が言う言葉を四人に言ってやるだけという簡単な方法で、天川姫美の術は解け、四人は以前のように優しくて頼れる先輩に戻る」
「もし本当に術を使っているとして、解けたら他の人達みたいに天川さんを嫌いになるってこと?だから天川さんか四人のどちらかを選ぶことになるの?」
「んー」
少年は俺の解釈に少し考えるような素振りを見せてから、軽く首を振った。
「ま、それも正しい解釈ですけどね。天川姫美かあの四人を選ぶというのは、もちろんそのどちらかが居なくなることになります。選ばれなかったものが」
おそらく天川さんを選んだら、あの四人がいつか死ぬという、あの話に繋がるのだろう。
「あの四人を選んだら天川さんが居なくなるっていうのがわからないよ」
「あの四人を選んだら、天川姫美があの四人に殺されます」
「……はあ?」
少年の言葉が飛躍しすぎてわからない。
「殺すなんて、しないでしょ。他の人達は確かに天川さんが嫌いみたいだけど、殺す程ではない」
「他の人達はですよ。あの四人はこの術の中で特別なんですよ」
少年は微笑んで続けた。
「あの四人は、術が解ければ天川姫美を殺したいほど憎く思うようになるんです。そういう術のかけ方をしている。だから、あの四人は引き戻せないと言ったでしょ?」
「……なんか、あんたの話はごちゃごちゃしていてよくわからない。それって作り話?」
疲れてきた。軽く首を振りながら聞けば、少年はけらけらと笑って答えた。
「事実です。すべて見てるからわかります」
「そう言えばあんたはいつも、見てればわかるとか言うよね。あんたの目はなに?透視能力でもあるの?」
「似たようなものですかね。先輩の気持ちもわかりますよ?」
「それは面白いね。なにか当ててみてよ」
嘲笑混じりに言ってみた。
我ながらあからさまに話題を逸らしにかかっているなあと感じる。
「先輩、私の話を信じかけてるでしょ」
「……」
「信じられないと思いながら、事実ならどうしようと思っていて、やけに私が自信たっぷりに話すから混乱してる」
「……」
「ふふ、ほら当たったー」
楽しそうに笑う。今になってこの少年はなにかおかしいと確信めいてきた。
「……あんた、なに?」
尋ねると、少年はへらっと笑って答えなかった。
「先輩は優しいからどちらかを選ぶなんてできませんか?一つ提案してあげてもいいですよ」
「ねえ、質問に答えてよ」
「天川姫美を明日の夜正門の前に呼び出してください。彼女がそれに応じたら、貴方の望む一番の形ですべてを終わらせてあげることができます。天川姫美の術が解けて、最初の状態に戻り、一から天川姫美と生徒達との関係を構築できるように」
「ちょっと、」
「貴方に権利をあげるのは明日にしましょうか。明日の消灯時間前まで」
「あんたの言葉を信じろって言うの?」
俺がそう言うと、少年は微笑んだ。
「――天川姫美に聞いてみては?明日の夜、正門の前で待ってますね」
少年は廊下の角を曲がって姿を消した。慌てて追いかけて、同じ角を曲がっても、少年の姿はなかった。



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