43



朝は、姫美さんが朝食の準備の手伝いをしているのであまりお話し出来ないのだが、彼女が真面目に働いている様子を見るのも愛おしくて、早くに食堂に行く。たまにちらりとこちらを伺っては、にこりと笑ってくれるのも可愛らしい。
この日、部屋を出る時にふと振り返った。部屋の隅の籠の上に、風呂敷に包んで武器の類が置いてある。私のものではなく、葉太郎のものだ。
――今日は演習だから武器を使うけど。
持っていってやるべきか、と迷う。しかし結局やめた。そのまま部屋を出て、食堂に向かった。
毎朝私が姫美さんのところにずっといることは、葉太郎も知っている。その間に部屋に入って準備をするはずだ。
葉太郎は、私がいなければ普通に部屋を使っているらしい。授業で必要なものがあれば毎回きちんと持ってくるし、使い終われば部屋に戻している。おそらく竹谷先輩の部屋に置かせてもらうのは遠慮しているのだろう。
部屋で鉢合わせたことはない。私もあまり部屋にいないし。
――なんであんなこと言ってしまったのだろう。
ここ最近そればかり悔やんでいる。

* *

「あ、今日演習だ」
「ん?どうした?」
「竹谷先輩先に行っててください。俺部屋に取りに行く物があるので」
「おう、わかった」
竹谷先輩は頷いて食堂に向かった。俺は裏口から五年長屋を出て、四年長屋へ向かった。演習で必要な武器を、昨日のうちに取りに行こうと思って忘れていた。毒蛇達の回収と、お雪のことで完全に失念していたのだ。
三木ヱ門はおそらくもう食堂にいるだろうから、部屋に戻っても別に問題ないだろう。ちょっととってすぐに出ていけば鉢合わせもしない。
こうして三木ヱ門と会わないようにと気を張るようになってどれほど経ったか。というか、三木ヱ門との関係に気を張るようになったのは。
一昨日のことでお礼を言いたいけど、なんだかんだで昨日は三木ヱ門に話しかけられなかった。今日こそは、と思うが、今日もだめなのではないかと頭の片隅では思ってしまう。

* *

馬鹿なことをした。まったく、人の心配の前に自分のことをきちんとやるべきだ。
食堂から自室に戻る私の足取りにも苛立ちが見え隠れしている。
葉太郎の武器の心配をしていたら、私が自分の武器を忘れるとは。最近こういうミスが多い。我ながらぼんやりしすぎだ。
自室に着いて襖を開けて、ぴたりと動きを止めてしまった。
中で武器を床に広げていた葉太郎も、私を見て同じように動きを止めていた。
――ああ、失敗した!この私がこんなヘマをやらかすとは!
「……お、おはよー、三木ヱ門」
「あ、ああ……」
ぎこちない挨拶にこちらもぎこちなく返して、どうしようと焦る。一旦出直す?というか、別に同室者なわけだしそんなことしなくても。いやでも今はこう、喧嘩というか、そんな感じだし。
え、どうするんだこの状況。
「……ごめんね、すぐ出ていくから」
「は?いや、別に気にする必要はないだろう、同室なんだし」
「え、あ……え?あ、そう?」
「……う、うん」
言ってしまった手前、私が気にして出ていくわけにもいかなくなった。葉太郎は笑いながら頬を引きつらせている。
ああ、本当に私は何やってるんだ!

* *

あまりに気まずい。
三木ヱ門は意外なことに、なにも言わずに俺を部屋に置いてくれたが、それはそれでなんの会話もなくて気まずい。
早く部屋を出た方がいいと思いつつ、武器の扱いは気を遣うので急ぐというのも難しい。三木ヱ門も俺に背を向けて自分の武器を準備している。
ああもう、なんで昨日のうちに来なかったんだ、俺は!
――でも、これはチャンスなのかもしれない。
三木ヱ門が立ち上がった。準備は終わったらしい。そのまま部屋を出ようとする。
「――三木ヱ門、」
「っ、な、なんだ?」
三木ヱ門はぴくりと肩を震わせてから、振り返った。眉を寄せて複雑な表情をしている。
「あのさ……ちょっと、話があるから、今日の放課後時間とれない?」
「……」
三木ヱ門は驚いたように目を丸くして、それから少し視線を逸らして迷った様子を見せたが、結局小さく頷いて、
「わかった。部屋で待っていてくれ」
と言った。

* *

放課後、部屋に戻ると葉太郎は既に帰っていた。
私を見ておかえり、と小さく笑った。ただいま、と小さな声で返す。
――久しぶりだな、こんなやりとり。
「ごめんね、三木ヱ門。わざわざ」
「いや別に私は……お前こそ、忙しいんじゃ」
葉太郎は私の言葉に苦笑を浮かべた。
まずいことを言った、と自覚した。葉太郎が忙しいのは私のせいもあるのだと思い出した。
「……すまん」
「え、なに?なんで謝るの」
やめてよ、と葉太郎は困ったように笑った。相変わらずよく笑う。
ただ、楽しそうには笑ってくれないなと思った。当然なのだが。
「……話って、なんだ?」
「あ、うん」
尋ねると、葉太郎は笑みを消して、眉を下げて視線を落とした。
「……一昨日のこと」
「一昨日?」
「三木ヱ門が不破先輩を呼んでくれたんだってね」
一昨日、立花先輩と伊作先輩が葉太郎と一緒にいるのを見つけた。遠目でもなにか良くない空気だということはわかった。葉太郎が無表情で俯いていたからだ。
「ありがとう。助かった」
「別に、礼を言われるようなことはしていない。不破先輩にすべて押し付けただけだ」
結局、不破先輩が二人に何か言って彼らがその場を離れたのを見て、逃げてしまった。それだけだった。
「でも助かった。不破先輩が来てくれなかったら色々言われただろうし」
「だったら不破先輩に礼を言ってくれ。私は何もしていないし、そんな風に言われるとかえって申し訳なくなる」
そう言うと、葉太郎はごめんね、と苦笑した。
「……というか、謝るべきなんだろうな、私は」
「え?なんで?」
「……友人を見捨ててしまったから」
そう言うと、葉太郎はきょとんとした顔をして、それからふわりと嬉しそうに笑った。
――あ。
「ありがとう、三木ヱ門」
――やっぱりこいつは、こういう笑顔が似合う。
「俺、三木ヱ門に嫌われたと思ってた」
「そんなこと……」
否定しようとして、数日前の最後に私が葉太郎に言った言葉を思い出して、思わず顔をしかめた。
「……あの時は、ごめん」
すんなり言葉が出て、自分でも驚いた。
「ううん。俺が悪かったから」
三木ヱ門は悪くないよ、と葉太郎は苦笑した。また困った顔に戻った。
「朝、話したいって言って頷いてくれたの、嬉しかったよ」
「そう、か」
「うん……ちょっと怖かったんだ」
顔も見たくない、と言ってしまった。そんなこと、本気で思っていたわけではなかったのに。
困らせてしまった。
「……私は、後悔していたんだ。あんなことを言ってしまって」
「……そっか」
また葉太郎は小さく笑った。なんとなくきまりが悪くて目を逸らす。
「よかったあ。嫌われてなくて」
「……私は、お前を嫌いになったり、しない」
「俺も、三木ヱ門のことは嫌いになれないよ」
嬉しそうだ。私もつられて微笑んだ。
仲直りした方がいいですよ、と神崎に言われてからずっと胸に澱んでいたものが、ようやく溶けて消え始めた――。

――こんな終わりでいいのか。

ふと脳裏に過ぎった言葉に、私はまた笑みを消した。
――こんな曖昧に終わらせていいのか。
「……三木ヱ門?」
「……」
葉太郎が小さく首を傾げて問いかける。私は黙って俯いたままでいた。
――まだ、なにも聞いていない。
――まだ、なにも解決していない。
「……葉太郎」
「……なに」
私の声が固いのを聞いて、葉太郎はふと目を細めた。
「――なんで、姫美さんにあんなことを言った?」
「……」
今更こんな話を蒸し返すのか。葉太郎と仲直りして、それでよかったと言って終わればいいんじゃないか。ほら、葉太郎が無表情で俯いた。これじゃあ立花先輩達と同じだ。
けど。
――答えてくれ葉太郎。
――私はお前と、そんな曖昧で馴れ合いのような関係でいたいわけじゃないんだ。
――お前を嫌いになれないのは私も同じだ。
――だから、すべて話してくれよ。
葉太郎は黙ったままなにも言わない。
「……お前が姫美さんを嫌いじゃないのはわかっているんだ」
「……え」
「お前は、姫美さんを嫌ってあんなことを言ったわけではないだろう?そのくらいわかる」
葉太郎は目を見開いて私を見ていた。気付いてないと思っていたのだろう。
お前が、人を嫌っているかどうかくらい、見ればわかるんだよ。私はずっとお前を見ていたんだ。今でもそれくらいの判断はできる。
お前の姫美さんに対する目は、彼女が学園に来てから今まで、一度だって変わったことはない。
「だからわからないんだ。どうしてお前はあんなことを言った?お前は何を考えて、姫美さんの存在を否定したんだ」
「……まさか、三木ヱ門がそんな風に思って聞いていたなんて思ってなかった。みんなみたいに、俺が天川さんを嫌いになったと思っているとばかり」
「それくらいわかる。もう四年の付き合いだぞ」
「……そう」
葉太郎は小さく笑った。別に目が潤んだわけでもないのに、なぜだか葉太郎が泣くような気がして息を呑んだ。そんな笑顔だった。
「……三木ヱ門、ごめんね」
「なにが」
「俺は、やっぱり三木ヱ門が好きだ」
その言葉に、息が詰まるような気がした。
――『じゃあ、三木ヱ門は俺を受け入れてくれるの?』
「……それ、は」
「わかってるでしょ」
私は随分酷い顔をしていただろう。葉太郎は眉を下げて、またごめんと謝った。
「答えてくれなくていいよ。三木ヱ門も困るでしょ」
「……」
無言は肯定だった。葉太郎は困ったように笑った。また泣きそうな風に見えた。
「……三木ヱ門の言う通り、俺は天川さんを嫌いになったわけじゃないんだ」
「……ああ」
「でも、みんなそう思ってる。そうじゃないと言っても、どう考えても言い訳がましいから、言えなかった」
だから、立花先輩と善法寺先輩の前で、ああやって黙っているしかなかったのか。
「――それに、もしかしたらそうなのかもしれないって自分でも少し思うんだ」
「え?」
それは先程までの言葉と矛盾していて、私は葉太郎の顔を見た。
葉太郎は顔をしかめて辛そうだった。見たことのない顔だった。
「俺は、三木ヱ門も天川さんも好きだよ。二人とも楽しそうならそれで良いと思うんだよ。それも紛れもなく事実のはずなんだ」
葉太郎は本当に泣きそうな顔をした。
葉太郎は自分の弱さを人に見せたがらない質であると知っているのは、おそらく私だけだろう。葉太郎自身でさえ、気付いているか怪しい。
「――でも、三木ヱ門が天川さんを好きなのが、どうしようもなく辛いと思ってしまう時がある」
葉太郎が目を細めた。
きゅっと胸が締め付けられるような感じがした。
「多分俺は天川さんに嫉妬しているんだ。俺のこれは、三木ヱ門のような愛ではないから」
――『"愛"は恋より一層強い感情だ』
なんて、そんなことを本気で信じていたのは私だけれど。
恋心が痛い。私の姫美さんへの"愛"は、これに勝っていただろうか。
「ごめん、三木ヱ門。三木ヱ門は俺を信じていたと言ってくれたよね。嬉しかった」
葉太郎は笑った。眉を下げて、辛そうに笑った。
「でも天川さんを憎いと思ってしまった。みんなが俺を最低だと言うのは、正しいんだ」
――私は、葉太郎を愛しいと思った。
――姫美さんを憎いと言う葉太郎を、とても愛しいと思った。

* *

三木ヱ門はじっと黙っている。彼の顔を見ることが出来なくて、俺もじっと黙って畳を睨みつけていた。
最低だと罵られるか、はたまた幻滅したと思われるか。少なくとも、天川さんが好きな彼に、天川さんが憎いと言ってしまっては、もう嫌われてしまっただろう。
どれほど沈黙が続いたか。
「……そうか」
と、三木ヱ門は静かに呟いた。
その声が妙に穏やかで、ゆっくりと顔をあげて三木ヱ門の顔を見た。
なぜか少しの微笑さえ浮かべて、三木ヱ門は静かに俺を見ていた。
「わかった」
「……怒らないの?」
「別に」
三木ヱ門はふと笑った。まったく予想外の反応で、逆にこっちが焦る。
「お前、妙にかわいいところがあるな」
「……はあ!?」
普段の三木ヱ門からは想像のつかない発言で、思わず声を上げると三木ヱ門はまた笑った。
妙に機嫌が良さそうだ。なんなんだ一体。わけがわからない。
「ちょっと、三木ヱ門どうしたの!?」
「いや、なんなんだろうなこの感じ」
こっちが聞きたいっつの!
三木ヱ門はとても楽しそうに笑って、言った。
「いいよ。お前が姫美さんを嫌いでも、憎くても、好きでも。私はお前を嫌いになんてならないんだから」
その言葉を聞いて、俺は三木ヱ門の顔を見つめた。
――……ああ、やっぱり好きだ。
――これはあんたの言った"愛"ではないけど。それには勝てないのかもしれないけど。
――好きだよ、三木ヱ門。



前<<>>次

[45/55]

>>目次
>>夢