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「森林先輩大変!毒蛇達がお散歩に行っちゃったみたいです!」
「え!?」

* *

今日は四年生が天川姫美と一緒にいられる日なわけだが、最近はその規則はほとんど関係なくなってきた。
というのも、姫美の周りにいる人数が少なくなってきたからだ。それにつれて姫美も寂しそうにすることが増えてきた。独占できないというのは気に入らないが、姫美が寂しそうなことの方が重要だという全員の意見が一致し、もうその規則は無視しようということになった。教師陣もなにも言わなくなったし。
そういうわけで、以前までは四年生以上の学年に追い払われていた三年生である伊賀崎孫兵も、今日は姫美のところにいた。先程浦風藤内も一緒に来たのだが、姫美と少し話しただけで、用事があるからと行ってしまった。いつもの予習だろうと適当に見当をつけておく。
姫美の両隣には立花仙蔵と鉢屋三郎が陣取って、じゃんけんに負けた善法寺伊作は立花の隣で、そのまた隣が不破雷蔵。後ろはいつも通り斎藤タカ丸。髪を弄りやすいという理由だ。鉢屋三郎の隣に田村三木ヱ門、その隣が孫兵。今日の仕事はすべて終わったという姫美が、縁側でお茶したいというのでこうやって一列に並んでお喋りしている。孫兵と三木ヱ門、雷蔵は場所が遠いのもあって、あまり参加していないけど。
「先輩は姫美さんと話さないんですか」
「お前も同じだろうが」
「今日は四年生の日でしょう」
三木ヱ門は孫兵の言葉にふん、と鼻を鳴らして顔をまた庭の方に向けた。孫兵も別に気分を害したわけでもなく、同じように庭を眺めるのを再開した。
最近はあまり姫美に執着しなくなったことは、孫兵自身自覚している。以前は人付き合いがお世辞にも上手いと言えない性格だったのが、姫美のことに関してはよく笑うし怒るようになっていた。それも最近元のように戻ってきている。
孫兵は、三木ヱ門もそうだと思っている。最近あまり率先して話さなくなった。昨日も立花と善法寺を探すと言って、自主的に姫美から離れたのだ。それに今もそうだが、よくなにか考え込むような様子でぼんやりしていることがある。なにを考えているかなんて知らないし、別に興味もない。
姫美が鉢屋の言葉にけらけらと笑った。何を言ったのかは聞いていなかったのでわからなかった。ただ姫美が楽しそうなので嬉しいと思う。思うだけで、顔にはあまり出ない。
「――きゃあっ!」
ぼんやりしていると急に高い悲鳴が上がって、孫兵はびくりと肩を震わせた。
「うわ、蛇!」
「やだあ!ま、孫兵くん!助けてえ!」
慌てて立ち上がって姫美の様子を見ると、彼女は泣きそうな顔をしていた。
そして驚くことに、足をばたばたとさせて、足にまとわりついている蛇を追い払おうとしていたのだ。
「何やってるんですか!やめてください!」
かっと頭に血が上って、孫兵が思わず怒鳴ると、姫美はびくっと身体を震わせて足をゆっくりと下ろした。
その足からするすると地面に降りたのは、赤い身体の小さな蛇だった。
「――ジュンコ?」
「おい、孫兵!自分のペットの管理ぐらいちゃんとしろよ!」
怒ったように言う鉢屋に、まあまあと不破が宥めるように声をかける。タカ丸や立花、善法寺も眉を寄せて孫兵を非難する視線を向けていた。
「ご、ごめんね孫兵くん……」
「……いえ、すみません、怖がらせてしまって。ジュンコおいで」
孫兵が呼ぶと、ジュンコはするすると孫兵の方へやってきて、彼の差し出した腕を伝っていつもの首周りに巻き付いた。
「動物は刺激しないのが一番ですよ。ジュンコだからよかったものの、他の子だったら噛んでたかも」
孫兵の言葉に姫美は顔を青くしてひいっと引き攣った声を上げた。
「ジュンコを小屋に戻して来ます」
そう言って孫兵は毒蛇達の小屋に向かった。
小屋へ向かいながら、孫兵は内心戸惑っていた。先程の自分の反応だ。
孫兵は、蛇に怖がる姫美ではなく、振り回されている蛇の方を心配したのである。蛇に手荒い真似をされて怒ってしまった。すぐに冷静になったけれど、姫美を怒鳴りつけたあの時は、完全に姫美のことを敵だと感じていたのだ。
はあ、とため息をついた孫兵の顔を、ジュンコがじっとのぞき込んだ。その切れ長の目を見て、孫兵は無意識に頬を緩ませた。
「ジュンコも、姫美さんを脅かしちゃだめだよ」
ジュンコはシャーと暗褐色の舌を出して返事をした。孫兵はそれを見て微笑んだ。
毒蛇小屋の近くには、狼小屋と強い毒を持つ虫達の小屋もある。虫達の小屋を見た孫兵は、いつも通りのようで少し安心した。最近この辺りに来た記憶がなかったのだ。
狼小屋は毒蛇小屋のすぐ近くにある。その狼小屋を覗いて、孫兵は足を止めた。
小屋には、あのよく目に付く狼がいなかった。珍しい真っ白な身体の雌の狼。今は茶色や灰色の狼と、黒い狼が、小屋の中で眠っていたり休んでいるだけだった。
ぼうっと小屋の前に立っている孫兵を、その内の一匹がちらりと見上げたが、すぐにまた視線を外して丸くなった。
「なんで……」
――もしかして。
ちらりと、頭の中で一つの想像が揺らめく。
シャーッとジュンコが耳の横で鳴く。孫兵は狼小屋の前からゆっくりと離れた。
毒蛇小屋の中で、二匹ほどはゆっくりした動作で孫兵の方を見たが、他数匹の蛇は眠っているようだった。
「……少ない」
孫兵はぽつりと呟いた。
――どうして?
――知らない。
――なんで知らないの。
気付くと孫兵の目から涙が落ちていた。
――知らないって何?
――もし、万が一のこと。
――もし、誰かがいなくなったらどうするつもり?
ジュンコが孫兵の頬に頭を擦り付けて涙を浴びている。孫兵は思わずその場に座り込んだ。
――誰かが、死んじゃったら。
――蛇達は、お雪はどこ?
「……え、伊賀崎先輩?」
小さな声がして、孫兵はのろのろとそちらに顔を向けた。四人の井桁模様が驚いた様子で孫兵を見ていた。孫兵が顔を向けると、さらにぎょっとした顔をした。
「ど、どうしたんですかっ?」
「先輩泣いてる?」
「ええー」
四人はぱたぱたと孫兵に駆け寄って騒ぎ始めた。
生物委員の一年生達だった。
「先輩なんで泣くんですか?」
「どこか痛いんですか……?」
佐武虎若と初島孫次郎がわたわたとしていて、残りの二人は顔を見合わせて困った顔をしている。
孫兵は一年生達に泣いているのを見られたのを少し情けなく思いながら、口を開いた。
「あの、さ」
「!はい!なんですか!」
虎若が慌てて答える。他の三人も孫兵が何を言うのか気に掛かっている様子。
「蛇達、と、あと狼小屋の……」
「ああ、みんなですか?」
夢前三治郎は言わんとすることがわかったようで、狼小屋の方を見た。
「蛇達はお散歩に出ちゃいましたぁ……」
孫次郎が眉を下げて小さく笑った。いつものことか、と孫兵は内心ほっとする。お雪は、と今度は上ノ島一平が答えた。
「竹谷先輩が連れていきましたよ。お医者様のところ」
「……え、医者って」
孫兵が慌てて顔を上げると、四人は驚いたようにわっと言って目を丸くした。
「どういうこと?それ、お雪、怪我でも……!」
「わ、ちょ、なんなんですかあ!」
「伊賀崎先輩!?」
一平の肩を掴んでがくがく揺さぶりながら問い詰める孫兵に、他の三人はやめてくださいと孫兵の装束を引っ張った。
「――孫兵!」
きつい声がして、孫兵ははっとして手を離した。きゅうとふらついた一平を三治郎と虎若が支える。
「何してるの、みんな」
「森林先輩!」
両腕にそれぞれ蛇を抱えて駆け寄ってきた森林葉太郎は、顔をしかめていた。
孫兵はそれを見て、先程の自分の行動を思い出した。
「ごめん一平」
「う〜……いいですよう」
一平は口を尖らせつつそう言った。その様子を見て、あまり大した事態ではないらしいと葉太郎は判断した。
「なにかあったの?」
蛇小屋の戸を開けて、葉太郎が四人に尋ねた。
「伊賀崎先輩が小屋の前に居て」
「みんなはどうしたのかって聞くから答えたら、なんか急に」
「えー?」
三治郎と一平の言葉に首を傾げて、葉太郎は孫兵を見た。
「なに、それ。っていうか、孫兵なんか目のあたり赤いけど、こすった?」
「伊賀崎先輩、泣いてたんですよ」
「ちょ、言わないでよ」
虎若が普通に報告するので、孫兵は思わずむっとした顔で眉をひそめた。シャーッとジュンコが鳴いた
「あれ、ジュンコ……どこに行ったかと思ったら」
「ね、先輩。竹谷先輩まだ帰ってこないんですか?」
「え?ああ、そろそろじゃない?」
三治郎の言葉に葉太郎がそう答えると、四人は顔を見合わせて楽しみだねえ、と言い合った。
「……森林先輩」
「ん?なに?孫兵」
「お雪、医者に診せてるって聞いたんですけど……」
孫兵の言葉に葉太郎はうん、と頷いて、ああ、と気がついた。
「それで一平を問い詰めてたわけだ」
「……まあ」
「それは一平の言葉が足りなかったね」
「え?なんですか」
一平がきょとんとして首を傾げる。葉太郎はなんとなく嬉しそうな笑顔を浮かべていて、孫兵は少し疑問を感じる。
「一平が変な言い方をするから、孫兵心配したんだよ」
「ええー!僕が悪いんですか?」
「あの――」
どういうことかと尋ねようとしたとき、おーい、と声がして一年生達がぱっとそちらを見た。
「竹谷先輩だ!」
「おかえりなさあい」
四人は顔を輝かせて、ぱたぱたと竹谷八左ヱ門に駆け寄っていった。その竹谷の隣には、白い狼も一緒にいた。
「お雪……」
「見た通り、お雪は別に怪我なんてしてないよ」
葉太郎が言った通り、特に問題なさそうに歩いている。とりあえずほっとしたが、じゃあなんで医者なんか、と思った時、一年生達がわっと声を上げて騒ぎ始めた。
「孫兵も混ざる?」
「え」
葉太郎は聞きながら孫兵に手を差し出した。孫兵がよくわからないながらそれに応じると、嬉しそうに笑って孫兵を引っ張って立たせ、竹谷達のところに足早に向かった。
「竹谷先輩ー」
「おほー、葉太郎に孫兵!」
竹谷が二人を見て笑った。どうでした、と葉太郎が聞くと、一層明るく笑って言った。
「お雪、妊娠してるってさ!これから巣作りさせてやんねーとな!」
「えっ」
思いもよらない台詞に、孫兵は目を白黒させた。それを見て、葉太郎が可笑しそうに笑った。



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