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目の前には俺を睨みつける鉢屋先輩と久々知先輩。面倒くさいことになった。
昨日の天川さんとのやりとりのことで、二人は俺にかなり怒っているらしい。好きな人を傷つけたのだから当然か。
「お前、どういうつもりだよ」
「はあ、すみません」
俺のぼやっとした返事に二人はさらに顔をしかめた。
「姫美さん泣いてたんだぞ」
「……すみません」
なんと返したものかと考えて、結局謝罪を繰り返してしまった。それを適当な返事と捉えたのか、鉢屋先輩が声を荒らげて言った。
「なんであんなこと言ったんだ!いなければなんて言われるような人じゃない!」
そうですね、と思うが言葉に出しても白々しい。結局黙って彼らの説教を聞くしかない。
「最低だ、森林」
「……そうですね」
久々知先輩の言葉に小さく呟いたが、二人ともそんな声は聞こえていない。まあ聞かれてもどうなるわけではないけど。
「姫美さんに謝れ」
「……天川さんは俺に会いたくもないでしょう」
「言い訳する気か」
睨まれた。なんともやりづらい。そもそも天川さんに言った言葉だって、今は思ってないから困る。でも心の底ではそう思ってるかも知れないとも思うからまたややこしい。
本当に人間関係って面倒くさいな。一度変なことを口走っただけでこんなに大事になったりして。いや、悪いのは俺だとはわかってるけど。
「森林、お前――」
「お、葉太郎こんなところにいたのか!」
鉢屋先輩の言葉を遮った、場違いな元気な声。
「――七松先輩?」
久々知先輩が不思議そうに声を漏らした。まさかの人物の登場に、俺を含めた全員が七松先輩が悠然と近づいてくるのを驚きつつ見ていた。
「鉢屋、久々知。葉太郎を借りるぞ」
「え、まだ話は終わってないんですけど」
「いいじゃないか、話ならいつでもできるだろ」
相変わらず自分の意見を通して他人の意見は極力放置する態度。陰で暴君などと囁かれる原因の一つだ。
「そういうことじゃ――」
「しょうがないよ、三郎、兵助」
不満げな二人を宥めたのは、今まで黙って二人の後ろにいた不破先輩だった。
「雷蔵、でも」
「七松先輩だって多分同じだから、いいじゃない」
その言葉に、それもそうかと納得した久々知先輩と、まだ少し納得のいかない様子の鉢屋先輩。そしてこれはやばいと自覚したのが俺。
多分同じ……つまり七松先輩も俺が天川さんに暴言を吐いたことを怒っているということだ。これは非常にまずい。七松先輩に本気で殴られたら、多分死ぬ。
「悪いなー三人とも。よし、葉太郎こい」
「……どこにですか?」
「裏々山だ。お前には灸を据えてやらなければと仙蔵達が言ったからな!」
あ、本気で死ぬかも。

裏山を過ぎて裏々山まで移動し、途中で七松先輩がこの辺でいいか、と立ち止まった。
森の中だ。動物や虫の動く音さえ聞こえそうなほど静かだ。
「……え、ここですか」
「ん?もっと奥がいいか?」
「それは問題ではなく……他の六年生がいるものだと思ってました」
俺が言うと、七松先輩はきょとんとした顔で首を傾げた。
「なんでだ?せっかくのチャンスなのに」
「だって立花先輩がどうのと……チャンス?」
まあ深読みしすぎただけなら嬉しい限りだけど。しかしチャンスという言い方は気になる。
七松先輩はにっと笑って言った。
「もちろん、いつも言ってるだろ?あの時の借りを返す!」
「……え、これってそういうことなんですか!?」
てっきり天川さんのことで連れ出されたと思っていたのに。そうじゃないなら大人しく相手をする義理はないぞ。
「それならいつも言ってますけどお断りします!」
「今回に限ってはお前には選択肢はないと思うぞ?」
「なんでですか」
七松先輩はけらけら笑って、お前は結構バカだよな!と失礼なことを言って、続けた。
「断るなら一方的に私がお前を痛めつけるだけになるが、いいのか?」
「え」
「姫美を悲しませておいて何もないなんてありえないだろー」
笑っているのに恐ろしいとは、つくづくこの人は怖い人だ。というか、目が笑ってない。
「……そういうことなら」
「おお!やったー!」
渋々頷くと、七松先輩は目を輝かせた。さっきのぞっとするような恐ろしさは消えたが、了承したことで単純な物理的恐怖を感じ始める。
「ルールは覚えてるだろ?私が鬼で、お前が逃げる。お前が逃げ出して五つ数えたら私が追う。武器は、お互い上級生になったが、使用不可だ。面白くないしな。範囲は裏々山の中だけ。日が暮れるまで降参しなければお前の勝ち」
簡単にルールの確認をして、七松先輩は笑顔を獰猛なそれに変えて、言った。
「――それじゃ、やるか。鬼ごっこ」

七松先輩と俺とは、基本的にあまり接点がない。委員会も違うし、学年も二つ違うと結構な差だ。しかも俺は六年生に親しい人は一人もいない。
それが、なぜ微妙に仲良さげに七松先輩に葉太郎と名前で呼ばれているのか。そして現在彼と鬼ごっこなんかしているのか。
俺は一年生の頃、学年で一番の体力と身体の使い方については一目置かれていた。その頃七松先輩は三年生。彼は既に、体育委員会で六年生までも手こずらせるほどの体力、運動馬鹿っぷりを学園中に知らしめていた。
そんな七松先輩が俺の話をどこからか聞きつけ、鬼ごっこをしようと俺を誘ったのである。その頃の俺は本当に馬鹿だったから、七松先輩がどんな人物かもあまりわかっていないまま了承し、言われるままに裏々山までついて行った。
途中でその話を聞きつけた当時の体育委員会の先輩達が慌てて俺達の後を追い、七松先輩に思いとどまるよう説得するも、だだをこねられてあえなく断念。せめて武器は危ないからと二人が持っていた手裏剣や苦無などを全て没収し、手出しはしないが様子を見守ると言ったのでそういうことになった。
武器の使用不可、範囲は裏々山だけ、五つ数えたら鬼が追い始める、相手を拘束して降参させれば七松先輩の勝ち、日が暮れるまでに彼が勝たなければ俺の勝ち。
最低限のルールを定めて始まった、俺と七松先輩の唯一にして苦々しい思い出となる鬼ごっこ。
七松先輩が想像以上に恐ろしい存在だと知った幼い俺は、本気で七松先輩に石をぶつけたり頭を何度も殴ったり。七松先輩がぐったりしたところで、これはやばい、と先輩達が間に入って中断するという形で終わった。
以来七松先輩は俺にその借りを返すために鬼ごっこに誘うようになった。最近はほとんどなかったから忘れたのかと思っていたが、甘かったらしい。

――なんであの七松先輩に向かって石なんて投げたんだよ、三年前の俺!
一年生の頃の自分を殴ってやりたい。武器がないからって目につく限り一番当たって痛そうな石を投げたりなんかしていたことを思い出す。
――おかげで今、大変なことになってる!
そもそも今となっては最上級生になった七松先輩。普段から鉄球をボールに遊んでいるような超人だ。
「――ぅおっ!」
ごおっと風の音がしたので、近場の木の幹を力一杯蹴りつけてその場から離れる。七松先輩が放った石は、俺が直前まで足場にしようとしていた枝をばきっと折って落ちていった。その下を覆っている他の枝も巻き添えをくらう。円筒の空間が出来上がった。
――あれはどう見ても石じゃなくて岩だ。
「七松先輩、ちょっとくらい手加減してくださいよ!」
「絶対に、嫌だ!」
そう言うと思った!七松先輩は嫌に楽しそうな声で返事をした。多分笑顔だ。後ろを振り返る余裕もないから確認はできないけど。
七松先輩が五つ数えた後、見つからなかったのはほんの少しの間だけ。すぐに俺を見つけた彼は、以降ずっと俺を正確に追い続けている。多分距離もだんだん縮まっている。
「相手にならないってわかってるでしょ!?もういいじゃないですか、やめましょうよ!」
「いーやーだ!」
不意をついて枝から枝への移動から地面に降りて走り出す。すぐに七松先輩も続いた。全然釣られたりせずに淡々と追ってくるのも精神的に辛い。
「私は別にお前と五分五分で戦いたいわけじゃないんだ!」
七松先輩が言った。俺は返事もせずに方向転換してより木の密集した場所に飛び込んだ。木々の合間を縫って走る。後ろからたまに細い枝を折る音が聞こえる。七松先輩はこういう目の細かい場所は苦手だという予想は当たったようだ。
「私はな、葉太郎!一度完全に負けたお前に、今度は私が圧倒的な差で勝ちたいんだ!」
「もう十分圧倒的でしょう!」
「まだだ!」
びゅっと風を切る音。咄嗟に顔だけを左へ傾けると、すぐ横を尖った石が顔の右を横切って目の前の木に刺さった。その石を引き抜いて手に持つ。また投げられたらたまらない。
「お前の顔を血まみれにしなければ終わらない!」
「ひっ!七松先輩怖すぎー!」
本気で引き攣った声が出た。三年前のことを根に持ってる。完全にその時の立場が逆転するまで満足できないらしい。今のあんたに顔面攻撃されたら多分血まみれで済まない。脳震盪出血多量の上頭が割れて死ぬ!
「でもお前はやっぱりすごいぞ!四年生なのに、不運込みの伊作ぐらいには骨がある!」
「それってすごいんですか!?」
善法寺先輩の不運は相当だから、どうも褒められている気がしない。
また木の枝を足場に飛び移っていく。七松先輩はまだ地面を移動するつもりのようだ。あの人は地面にいたら石や岩を投げてくるからやめてほしい。そのために高いところに戻ったのに。しかも俺のちょうど真下あたりにいる。このまま同じ高さにこられるとその時点で距離は片腕程度にまで詰まるだろう。
ちらちらと七松先輩の動向を確認していると、ふと彼の頭が左右に振れたのがわかった。
一歩目で前へ向かう勢いを殺し、二歩目で右に向かって飛び出した。あっと七松先輩が声を上げるのを聞きながら、全速力でその場から離れる。七松先輩の気配は追ってきたが、こちら側はさっきの辺りよりさらに地面の足場が悪いのは確認済みだ。駄目押しに先ほど回収した尖った形の石を七松先輩の顔めがけて放つと、七松先輩の気配とはっきり距離が開いたのを感じた。
――とりあえず、一旦逃げきれたか。

七松先輩が来ないので息を整えて警戒していたが、一向に近くにくる気配がなかった。少し不思議に思って立ち上がる。おびき出す作戦かもしれないと用心しつつ来た道を戻っていくと、結局七松先輩は俺が引き離した場所のすぐ近くで足と腕を投げ出して座り、ぼんやり枝葉に遮られた空を見ていた。
「……どうしたんですか」
「おー……」
ある程度距離をとりつつ声をかけると、これまたぼんやりした声が帰ってきた。不可解さに眉を寄せていると、七松先輩がはあとため息をついた。
「――よしっ!」
七松先輩がため息!?と驚いてすぐ、彼は勢いづけて立ち上がった。すぐに俺も立ち上がって逃げる体勢に入ったが、七松先輩はもういい、と笑った。
「今日はやめだ」
「え?」
「今回は無効!これじゃあダメだ」
「何がですか?」
よくわからなくて首を傾げる。七松先輩は眉を寄せて悔しそうに言った。
「私は今、本調子じゃなかったらしい。隙をつかれるなんて、そんな初歩的な失敗をするとは……」
「ああ、それは俺も少し変だなと思いました」
七松先輩が俺に隙を見せるとは思っていなかった。しかもその後の俺からの引き離され方もあっさりしすぎていて驚いたのだ。
「思えば最近鍛錬を怠りがちだった。委員会にも参加していないし」
それから七松先輩は俺の顔をじっとみて。
「だから無効だ。私の調子が完全に戻ったらまたやろうな」
「嫌ですよ。調子の良い先輩なんか相手にしたら本当に死にます」
そう言うと七松先輩は大きな声で笑って、それからぐっと伸びをした。
「なんか久しぶりに身体を動かしたらうずうずしてきた!学園に戻って、体育委員集めていけいけどんどんでマラソンだー!」
七松先輩の大声に驚いた鳥達がぴいぴい鳴きながら飛びさっていった。

[あとがき]



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