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食堂に天川さんを訪ねると、案の定その周りには数人の生徒達が集まっていた。今日は一年生の日だったはずだが、六年生や五年生にとってはあまり関係ないらしい。まあ一年生もあまり関わりたがらないし、問題ないんだけど。
「あの」
声をかけると、三木ヱ門がちらりとこちらを見た。次に不破先輩が振り返って、どうしたのと聞いた。
「天川さんと話があるんですけど、いいですか」
そう言った途端、これも予想は出来ていたが、周りの生徒達が眉を寄せた。
「何の用だ?」
「少し言いたいことがあって。あまり時間はかからないと思います」
立花先輩の問いにそう返すが、まったく納得していない。天川さんと一言話すのも面倒くさくなってしまったなあと思った。
「……葉太郎ですから、滅多なことはないと思います」
三木ヱ門が助け舟を出してくれた。ちょっと驚いて目を向けたが、俺の方は見ていない。潮江先輩がまあなあ、と頭をかいた。
「――私も、葉くんに言いたいことがあるから、いいよ」
「えー」
七松先輩が不満そうに声を上げたのを、天川さんは苦笑してなだめる。本当に、随分仲良くなったものだ。
「ここでは出来ない話か?」
鉢屋先輩が言った。はいと頷くとじとっと睨まれた。
「三郎も睨まないの!」
天川さんが笑いながら言うと、鉢屋先輩はばつが悪そうに目を逸らした。
行こ、と天川さんが促したので、生徒達に軽く頭を下げてから移動した。途中何度か確認したが、ついて来てはいないらしい。
食堂から少し離れた、一年ろ組の生徒が好きそうな静かな場所に着いて、立ち止まった。天川さんもそれにならう。
「葉くんと話すの久しぶりかなあ」
「そうですね。さっきの通り、なかなか面倒ですから」
そっか、と天川さんは屈託なく笑う。
あまり無駄話をしている時間はない。早く医務室に戻りたいし。
「さっそく本題ですが、まずは天川さんの話を聞きますよ」
「あ、そう?」
天川さんは少し首を傾げて、じゃあ言うけどね、と前置きして。
「昨日の、伊作くんへの態度、酷いよ」
「……ああ、あれですか」
一瞬よくわからなかったが、そう言えば昨日善法寺先輩に捨て台詞を吐いてしまったんだった。
天川さんは眉をひそめて続ける。
「伊作くん、悲しそうだったし、怒ってたよ?」
「まあ少し言い過ぎたかもしれませんが……でもあれは先輩も悪い」
「何よそれ。人を悲しませておいて、そんなこと言うの?」
天川さんが顔をしかめて言った。
「伊作くんに謝って」
「今の善法寺先輩には、謝りません」
「信じられない。葉くんがそんなこと言うなんて思わなかった!」
天川さんがきっと俺を睨む。そんなに怒るとは思わなかった。
「というか、善法寺先輩は自分の仕事を放棄したんですよ」
「だって留くんの怪我がそんなに酷いなんて言ってなかったじゃない!なのに伊作くんを責めるなんて酷いわ」
「怪我の程度の問題ですか?一年生が走って呼びに来たのに、まだ仕事する気がないということが問題だと思うんですけど」
こちらもさすがに眉をひそめる。天川さんはまだ怒った様子で、むっと黙り込んだ。
もうこの話はいいだろうか。
「俺の方の話をしてもいいですか」
「……いいけど」
天川さんは不満げに頷いた。俺は一つため息をついて、彼女の目を見た。
「天川さん、みんなに言っているそうですね。人を傷つけるのはよくないことだって」
「言ったよ」
それがどうしたの、と聞いてきた。まあ、天川さんにとっては当然のことなのかもしれない。というか、そりゃ一般的にはその言葉は正しいんだけど。
「今回の食満先輩の怪我は、任務で負ったものだと思われます」
「みんなもそう言ってた」
「昨日先生達に確認したんですけど、いつもの食満先輩なら何も問題ないだろうものだったそうです」
ある城の情報を探るという、なんてことのない任務だ。上手くいけば戦闘もないし、その城は新興で、強い兵がいるわけでもない。
「多分食満先輩は少ししくじって、城の人間に見つかったのでしょう。それもよくあることです。いつもの食満先輩なら、何も問題はなかった」
どうとでもなるだろう。最近鍛錬を怠りがちだとはいえ、学園一の武闘派の名は伊達じゃない。適当に牽制して、逃げてくればそれでよかった。
学園とは敵対する城だったのだから、どうとでも。
「何が言いたいの?」
「わかりません?」
うん、と頷いた。この人は、相変わらずこうだ。なんというか、何も考えていないんじゃないかと思う。俺が言うことでもないけど。
「俺の予想ですが、天川さんが人を傷つけてはいけないと言ったから、食満先輩はあの大怪我を負ったのでは」
天川さんはその言葉に目を見開いて、顔を俯けた。
「天川さんが悪いとは言いませんが、一つ言っておかなければならないと思って」
俺の言葉に、天川さんは顔を上げた。
不思議なことは、彼女の顔に後悔の色が感じられないことだ。悲しそうにしてはいるけど。
「天川さんの言葉に、それほど影響される人がいます。発言には気をつけて下さい」
「……そっか。全然気づかなかった」
眉を下げて困った顔をする。
「私のせいで留くんは怪我したんだね」
「まあ、本人がまだ目覚めてないので、予想ですけど」
しかしそれ以外に原因が見当たらない。任務に関係ない場所で怪我をした可能性もある。どっちにしろ、食満先輩が戦闘を避けたことは確実だろう。
「そういうことなので、一応他の人達にもさっきの発言の訂正をしておいてもらった方がいいと思って」
「訂正って?」
天川さんは不思議そうに首を傾げた。言い方が悪かったかと言い直す。
「だから、場合によっては人を傷つけることもあるという話を」
「え!それはだめだよ葉くん!」
「……え?」
天川さんが声を上げたので、困惑する。だめってなにが。
「どんな場合でも、人を傷つけるのはだめだよ」
当たり前のような顔で言った。
「……どういうことですか」
「だから、人を傷つけるのはよくないよって」
「それは何度も聞きました」
天川さんの考えが理解できない。
「そんな綺麗事は、現実で通用しないでしょう」
「そんなことない」
天川さんが真剣な表情で言うものだから、なんだか腹が立った。
「そんなことないって、本気ですか?」
「だって、誰も傷つかずに生きていけるもの。私は今まで人を傷つけたことなんてないわ」
その目は純粋に光っていた。じっと俺を見上げてくる。そんな戯言を心から発しているのがわかった。
彼女の純粋で心優しいところは美点だ。あの人達もそう言っている。俺もそう思う。
――今はその汚れなさが気に障る。
「現実を見てください。そんなことありえないんですよ。相手が自分を攻撃すれば、その相手を倒さないとこっちが負ける」
「負けるくらいなんだっていうの。人を傷つけるよりはよっぽど美しいはずじゃない」
――そんな風に純粋に育てるものなら俺達だってそうしたかったよ。
「あんたは本当になにも理解してませんね!」
急に怒鳴った俺に驚いたのか、天川さんは目を見開いて一歩身を引いた。
「ここはあんたのいた世界とは違うんですよ!負けるってことは死ぬってことなんです!人を傷つけないで生きていくなんて、出来るはずないんだよ!」
敵を踏みつぶして生き延びる世界。死にたくなければ他人を蹴落とすしかない世界。
この乱世で戦う者として生きるなら、そうして生きるしかないのに、そう教わってようやっとその考えを受け入れた人達――まだ『たまご』の俺達にとって。
「――あんたの存在は毒になる」
――天川さんの言葉にすがりたくもなる。
「どういう意味……?」
天川さんの恐る恐るといった声。
ちらりと視線を送ると、彼女は眉を下げて俺を見上げていた。
――今初めて天川さんが憎いと思った。
――俺は彼女の無知ゆえの純粋に負けたのだから。
――……こんなものに。
そうして俺はほとんど無意識に言葉を吐いた。

「――天川さんなんていなければよかった」

何を口走ったか気づいてはっと顔を上げた時には、天川さんは目を釣り上げて俺を睨みつけていた。

彼女は当然激昂して、そんな風に思ってたの、葉くんがそんな人だったなんて、と喚いた。
違う、そんなこと思ったことはなかった。
しかしそんな言い訳は白々しいと理解していたので、思わず黙り込んでしまった。
「葉くんなんて嫌い!」
天川さんはそう言って走り去った。
――こんなこと言うつもりはなかったのに。
俺は黙って地面に目を落とし、しばらく呆然と立ち尽くしていた。



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